エリア継体vol.1 継体帝の石棺


継体天皇陵は、
どの古墳が真なのか?
継体天皇陵は茨木市
太田茶臼山古墳」が
宮内庁の治定により、
三嶋藍野陵」として
継体天皇陵とされていますが…

今城塚古墳」こそが、
その真陵であることは、
衆目の一致するところです。
エリア継体」の古墳めぐり、
いきなり結論からスタートです。

史蹟 今城塚古墳
かつての墓域の惨状は
今とは隔世の感があり、
本当にヒドかったそうです。

継体天皇は別名、
男大迹(オオド)。
父は彦主人王
(ヒコウシノオオキミ)、
母は垂仁天皇の7世の孫
振姫(ふるひめ)と伝わります。

『延喜式』の記述にある
継体陵の位置
嶋上郡」となっていますが、
現在の継体陵の
太田茶臼山古墳があるのは、
嶋下郡」で、
場所はあきらかに入れ違い。

今城塚古墳は、
前方後円墳としては
全国で40位ですが、
後期古墳の中では
大きい古墳で、
規模から言えば優位。

で…タイトルの石棺。
石組みの遺構は、
後円部中央にありましたが、
慶長伏見地震で滑落。

鎌倉時代に盗掘で
石室の石材が
残されてありません。
その訳は「山城」として
利用された際に解体、
持ち去られたのでしょう。

墳丘が荒れすさんだ理由は、
戦国時代に三好長慶
城として利用したため。
今城塚という名も、
ここに由来しています。

茨城大名誉教授の
茂木雅博さんによると、
築城に由来する古墳は、
前方後円墳だけで
全国で28基も
存在するのだそうです。
古墳が荒れた原因の一つに、
戦国時代の存在があります。

で…大王の棺か否か。

発掘調査によって、
金銅製馬具甲冑などの
副葬品の破片約620点。

それとともに、
材質の異なる三種類の
家形石棺の破片
出土したのです。

兵庫・高砂一帯産の
播磨の竜山石

大阪と奈良の境の
二上山産の白色凝灰岩

そして「ピンク石」と
呼ばれる熊本・宇土産の
阿蘇凝灰岩

熊本の石をなぜ用いたのか?
大きな労力をかけて
運んだということは、
被葬者には大きな力が
あったということ、

これには間違いがありません。

ただ今城塚古墳以外は、
天皇陵に繋がる古墳が
見当たらないというのも
謎が深まるばかりです。
ただよほどの思い入れ、
強い思想的背景が
あったからこそ

大王の石棺となったのです。

継体天皇をめぐる古墳、
「エリア継体」として
綴っていきます。

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