蕪村のふるさと②〜蕪村公園 リンクを取得 Facebook Twitter Pinterest メール 他のアプリ 投稿者: 虎次郎 - 4月 03, 2016 「春風や 堤長うして 家遠し」淀川堤防上にある 蕪村句碑と生誕地の碑。 『春風馬堤曲』にある句は、自筆を拡大して刻まれています。初代句碑は地元有志のものだったのですが、淀川改修工事で一時的に取り除かざるを得なくなったのを、復活したのは1978年2月のこと。 ちなみに生誕地の碑は、1979年3月に大阪市が建てたもの。 蕪村は生前自らの出身地についてほとんど語らなかったそうです。ただ唯一の例外…「馬堤は毛馬塘也則 (つつみなりすなわち) 余が故園也。」の言葉。ちなみに毛馬という地名は、天正年間に織田氏がこの地に毛馬城を築き布陣したこと、古くは雑草の茂る毛志島と呼ばれ、それがなまって毛馬???とか。毛馬閘門の手前にひろがる蕪村公園には蕪村の句碑が並びます。いくつかを・・・ 「なの花や 月は東に 日は西に」訪れた頃… 紅梅が咲き誇っておりました。「春の海 終日のたり のたりかな」ついうとうとと気持ちよく眠ってしまいそうな風景で浮かんだ一句なのかもしれません。こちらはボケの花。「鳥羽殿へ 五六騎いそぐ 野分哉」保元の乱の時、崇徳上皇は鳥羽殿にあって 兵を挙げたが、その鳥羽殿へ味方の兵が 馳せ参ずるさま。「夏河を越す うれしさよ 手に草履」「夕風や 水青鷺の 脛をうつ」夕風が吹いている。川面に青鷺が立っている。夕風に吹かれて川は少し波立ち、青鷺の脛(はぎ)を 波がしきりと打っている。 リンクを取得 Facebook Twitter Pinterest メール 他のアプリ
異界との出入り口《春日権現験記絵》 投稿者: 虎次郎 - 9月 16, 2021 『 春日権現験記絵 巻八 』の一場面 板葺きの屋根の軒先から、 腰に 小槌を差した赤鬼 が家の中を 逆さまにのぞき込む。 家の中では 男が激しく嘔吐 … ただ事ではないことは察しがつきます。 屋根の上の鬼は男に 取り憑こうとしている "疫病神" 。 《 化物昼寝鼾 》見越し入道ら 鳥居清長画 1784年 逆さまにのぞき込む異形 … 恐怖を呼ぶ一つのパターン。 現代の 都市伝説 にも、 車のフロ ントガラスの上から 逆さまの顔がすっと下りてくるとか… 妖怪の見越し入道 にも、 後ろからぐっと首を伸ばして 顔を逆さまに出してくる。 妖怪や幽霊が上の方から 逆さまに姿を現すというのは、 恐怖を感じるパターンとか。 ただ『春日権現験記絵』家人たちは、 鬼に気が付いていないと言うより、 見えていないのだと思います。 病人のいる家の外に 石が置かれ 、 祭壇を置いたあとも見えます。 小屋の中には既に命を引き取った とみられる女が横たわっていて、 《病草紙》 の形相ともみえます。 詞書にはこうある… 「弥生の朔日、河原に出たるに、 傍らなる車に、法師の紙を冠にて 博士だちをるを憎みて 祓戸の神の飾りの幣帛に 転も紛ふ 耳はさみかな」 「 耳はさみ 」とは、 林立した幣帛に紛れた紙冠、 もしくは、場にふさわしからざる 法師その人を指す とか… 呪術を終えて帰っていくのは 陰陽師 の" 声聞師 "※1か それとも僧形の" 宿曜師 "※2か。 さらに左に絵巻をたどると、 物々しい武士の一段。 詞書によると、館の主である 大舎人入道の夢にでてきた武士 。 人の目には見えない疫鬼、 夢の中でだけみることができる 武士の一団も疫病が可視化されたもの。 14世紀初頭の制作された時代、 "鬼と武士"に異形なる存在 に、 疫病の姿が表されているのです。※3 実は 武士の登場は巻二 にみえ… 残虐なシーンを描き出し、 武士が世を騒がし、 厄災を撒き散らす存在 として、 共有されていたことを 焼き付けさせていました。 巻六第一段には、 地獄の表現 がみられます。 実はこのシーンは、 春日明神のおはからいで 地獄行きを逃れた男。 春日明神の案内で " 地獄ツアー "の一幕なのです。 この男は 興 続きを読む
2015あけおめ!! 投稿者: 虎次郎 - 1月 01, 2015 今年のマニフェスト 1.ココロの優しい美女に出逢ふ 2.歳男 無事これ名馬なり 3.阪神タイガース日本一 4.すべての人に幸あれ ちなみに…昨年の事業報告をば。 1.スタジアム巡りを完結させる 西武ドームに乗り込み叶わず。 虎観戦は2014年はこんな成績でした。 25勝17敗0分3中止 勝率5割9分5厘 地方遠征は草薙、広島、横浜、 そして屈辱の福岡 2.三陸に行ってみる 東北には行けなかったけど… いろんなことに行きましたし、 地元のお酒も楽しみました。 3.映画を10本 新書を20冊 映画は4本、新書は10冊。 達成度悪すぎました(TдT) すでにFacebookの奴隷になっております。 今年はライブを大事にいたします(._.)。 4.ココロとカラダを整える 扁桃腺がハレて62時間ダウンしたことが ありましたが…発熱はこの3日のみ。 2月にちょっとトラブルに見舞われたけど、 おおむね元気に過ごせました。 ココロの方は…というと。 そろそろ尖るのをヤメないと思うけど、 感情おしころしてなんて無理だから。 すこしは大人っちになれますように。 てなわけでハチャメチャな虎次郎を よろしゅ〜〜〜〜に(・ω・)v 続きを読む
神戸山の手をあるく〜旧ディスレフセン邸 投稿者: 虎次郎 - 6月 05, 2015 山本通三丁目に建つ 旧 ディスレフセン邸 。 1895年(明治28)に建築ですが、 現在は門兆鴻氏の邸宅として現役。 主屋と付属棟を結ぶ渡り廊下があり、 使用人部屋や厨房につながります。 小松益喜 さんが1970年に 「 渡り廊下のある異人館 」として、 描かれています。 小松益喜さんの 「 神戸異人館今昔 」によっても、 神戸の北野町、山本通り、 そして居留地にも現存していない 貴重な渡廊下のついたお家です。 旧ハンセル自邸と異趣を画すのは、 山本通に面した北側にも、 硝子戸立てのベランダ が 設えられているところでしょうか。 日本瓦葺となっていますが、 スティックワーク といわれる、 外壁に柱や梁を装飾による 切妻屋根が目を引きます。 左右非対称でありながらも、 切り妻屋根の組合わせが、 落ち着きなかにリズミカルさを 醸し出しているように思います。 色は戦時中に スイス人の ジーベルへクナ一 さんが 居宅としていたころがヨカッたそうで、 柱は深緑、下見板は灰色、 窓枠は深緑、鎧窓は黄緑だったとか。 個人の邸宅なので中を伺うことは できないのですが… やはり使われてるほうが おうち本来の姿ですもんね。 「 ディスレフセン邸 」 →門兆鴻邸 建築年:1885年(明治18) 構造:木造2階建 設計:A・N・ハンセン 続きを読む