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伏見街道沿い 「いづ松」の鯖寿司

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「東福寺」に面する通りは「伏見街道」という道。 豊臣秀吉が伏見城築城にともなって開いたもの。 京の七口の一つである伏見口から 伏見に至る全長8キロメートル。 九条陸橋のかかるところにある 「 伏水街道 第二橋 」と刻まれた 親柱が保存さてていて風情を伝えていた。 「東福寺駅」から降りてほどなくのところに、 「 いづ松 」というお寿司屋さんがあった。 あの祇園四条にある「 いづう 」さんから 先代が「のれん分け」された店と 知って… 美味しい「 鯖寿司 」を目指して、のれんをくぐる。 初代「 いづみや卯兵衛 」の名をとって「いづう」。 若狭湾から京都に運ばれてくる一塩鯖を用いた 鯖寿司を初めて商品化した老舗としても知られる。 今のように交通機関の発達していない時代の京都では、 魚を食べるのが難しかった。 若狭でとれた鯖はほぼ一昼夜かかって運ばれる。 足の早い鯖はいわゆる「 浜塩 」されて、 「鯖街道」を幾度と峠をこえて京都にやって来る。 今日につく頃にちょうど塩のまわった「塩鯖」に。 「鯖寿司」 1,300円 「京寿司」 1,300円 稲荷ずし、巻きずし、 奥の真ん中にあるのは、 タマゴ、エビ、白身魚が盛られたのは「ケラ箱」というモノ。 実は「京寿司」はにぎり寿司より長い歴史を持つ。 かつて朝廷に献上されていたもので、 祇園祭や葵祭などの京のお祭りには欠かせない。 「いづ松」さんは  京都寿司のれん会   の会員、 なんとバランが手作りやった! 「京の寿司」ってサイト に、 京寿司五人衆ってのががいたぞ!! 「鯖之介」はサバサバした性格。 細かい作業が得意な「ばら小町」。 「おはこ」は狭いところが大好きって・・・ こちらは「いづ松」さんの、  京阪東福寺駅に入ったところに電飾広告。 これじゃと帰る人しか見えないね。 オススメですよ!! 「 いづ松 」  京阪・JR東福寺駅下車 南へ20m   午前10時~午後7時30分   定休日 毎週木曜日(祝祭日は営業) こちらお土産の「鯖寿司」竹の皮につつんである。 ...

虎次郎おとなの散歩 京都・瀧尾神社

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「 おけいはんねっと 」にも出てた龍にあえる社、 京阪電車の東福寺駅にほど近い「 瀧尾神社 」へ。 もともとは豊臣秀吉が建立した方広寺建立で、 1586年(天正14)にここに遷座してきたとか。 ちなみに「遷座」とは引越しのこと・・・ そこに... 夜な夜な水を飲みに行く??という龍がいるとか。 「 龍拝殿 」の天井にあるのは全長8メートルもある。 あまりにも出来が良かったため、 夜な夜な抜け出して、近くの「今熊野川」まで 水を飲みに行くとの噂があって、 以前は龍が自由に動けないようにと、 天井に網が張られていたのだとか。 ふだんはスリッパに履き替えて昇段できるのだが、 ちょっと来るのが遅かったのでカメラを龍の下に 差し出すようにして撮ってみた。 木目の位置まで計算されていて、 立体感や躍動感がスゴイぞ!! 高名な京の彫刻家であった 九山新太郎 の彫刻が境内のここかしこに。 本殿の正面は霊獣らしき彫刻が鎮座する。 雲上におり、顔は鳳凰、四足、 ウロコで覆われた身体、 鳥のような爪を持つ姿。 何の動物や霊獣を表すのか わかっておらず。 まさに幻の霊獣なんだそうで、 日本でも1体しか存在しない像だとか、 鳳凰と麒麟を合体したようでもある。 回廊には 十二支たち 。 子丑 寅卯 にはじまり… 辰巳??やはり抜け出すのか? 網がかけてある!! そして 午未申酉戌亥 と続く… そして鳥たちや獏 (ばく) ・麒麟 なんかの霊獣が一堂に会していた。 ここの木像には目が入っているものが多い。 江戸末期に流行った技法なんだそうだが、 でも トラは残念片目 になっておった。 本殿の両脇には 伏見人形で作られているという、 御弊を持った“ 猿 ”の姿が見える。 実はここ瀧尾神社は、 江戸中期に行商から大呉服商になった、 あの 大丸百貨店 の礎を築いた 下村彦右衛門 が熱心に参ったことで知らている。 「龍拝殿」 には「大丸」の提灯が見られる。 現在の社殿は江戸後期の天保年間のものだが、 これも下村一族の寄進によるもの。...

虎次郎おとなの散歩 東福寺 通天橋

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東福寺の写真は紅葉に映える「 通天橋 」が 一番多く親しまれているといってよい。 橋は 「繋ぎ」そして「隔てる」もの だ。 第四代将軍 足利義持が、 あの「 三門 」の楼上の絵をてがけた明兆に、 絵のほうびとして望むものを尋ねたところ、 明兆は曰く 「これといって格別の欲しいものはありません。  しかし、  東福寺境内に桜を植えるのは禁じて下さい。  桜を植えれば境内は遊興の場となり  禅寺にふさわしくありません。」と… 今でも境内で桜を見つけるのは難しい。 通天橋より方丈・通天台をのぞむ ここに橋が架けられたのは 1380年(天授6)のこと、 春屋妙葩( しゅんおくみょうは 、普明国師)が、 法堂から谷を隔てた祖堂へ通う僧侶の 労苦を軽くするためだという。 歩廊入口に掲げられている「通天橋」の扁額は、 普明国師の筆によるもの。 焼失や台風によって再三倒壊に見舞われたそうで、 今架かっているのは1961年のもので、 橋脚部分は鉄筋コンクリート造になっている。 1959年の伊勢湾台風によって倒壊するまでは、 江戸時代の文政年間(1818~30)に 改築されたものが架かっていたそうだ。 架けられた頃の伽藍の状況では、 禅僧たち修行の場である寺域と、 祖師をしのぶ「 祖堂 」を結んでいた。 生活そのものが修行であった学僧にとっては、 「祖堂」という異界とを繋ぐモノ だった。 そして… 桜を避けて楓に包まれた「通天橋」にも、 紅葉狩りという非日常が訪れる。 おそらく1597年(慶長2年)3月の、 豊臣秀吉の付加寄進のときではなかろうか。 この橋にも「 室町から安土桃山へ 」、 まさに時代の区切りを付けていたのであろう。 禅宗が宗教として域を離れつつある時代となり、 いわゆる「五山僧」と呼ばれる人たちが、 文人としての性格を強めていくようになっていく。 「通天橋」にもそんな変化が訪れていたようである。 こちらは… 江戸時代の天保5年頃(1835年)に描かれた、 広重の浮世絵。まさに遊興の地となる。 「京都名所之内 通天橋ノ紅楓」広重 東福寺三橋のもうひとつが「 臥雲橋 (がうんきょう) ...

虎次郎おとなの散歩 東福寺 八相の庭

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1890年に再建された方丈には、 向唐破風の方丈表門があります。 菊の御紋があるから「恩賜門」とも呼ばれるのは、 昭憲 (しょうけん) 皇太后の寄進である。 昭憲皇太后とは明治天皇の皇后のこと。 切妻を正面とする禅宗様式の「庫裏」から入る。 廊下を通って行くと「方丈」を取り囲んだ、 デザインの異なる四つの庭園「 八相の庭」。 「龍吟庵」と同じく 重森三玲 (しげもりみれい) 氏の手によるものなのだが、 こちらは1939年に作庭されたもの。 「方丈」とはもともとは1丈四方のことだ、 鴨長明の『方丈記』にもあるように    隠遁の場のことだったが、 仏教においては方丈の中に全宇宙が内在しているとし、 僧侶が生活する建物自体を    「方丈」と呼ぶようになった。 近年になって住居というよりも、 接見の場としての性格を強めていく。 こちらのは近代のものだから特に顕著だ。 最初にみえるのが「 北斗の庭 」の東庭。 北斗七星はお釈迦さまのことなのだそうだ。 あの「 東司 」の柱石として使われていた石材が リサイクルされて北斗の七星を顕す。 方丈正面の南庭は210坪ある。 「 蓬莱 」「 方丈 」「 瀛州 (えいしゅう) 」は、 渤海湾に面した山東半島の      はるか東方の海にある三神山、 不老不死の仙人が住むと伝えられている。 これに「 壷梁 (こりょう) 」を加えて四つの仙島。 西方には「 五山 」のが苔生した築山。 そして周りの渦が「 八海 」。 南庭全体で「 九山八海 」という 仏教の世界観を表現しているとか??? そして西庭「 井田市松の庭 」 サツキの刈込みと砂地が大きく市松模様を入れて、 くず石を方形に組んで「井田」をあらわす。 サツキがあることで季節によって変幻するとか。 西庭と北庭の間の「通天台」より          「 通天橋 」をのぞむ。 「市松の庭」へ... もともと南の御下賜門内に敷かれていた石が 市松模様に配されている。 敷石の間隔を少しづつ広くすることで、 奥行き感を出しているのだそうだ。  ...

虎次郎おとなの散歩 東福寺 龍吟庵

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東福寺のもうひとつの特別公開は、 東福寺第三世住持の住居跡である 「龍吟庵」 (りょうぎんあん) 。 「洗玉澗」 (せんぎょくかん) という渓谷に架けられた 「偃月橋」 (えんげつきょう) を渡った 山裾にある      東福寺塔頭のひとつ。 「偃月橋」は1603年に作られたもので、 単層切妻造の屋根は桟瓦葺。 偃月とは半円形の月のこと。 「方丈」は、室町初期に建てられたもので、 現存する最古の貴重な禅宗方丈建築で 「国宝」に指定されていて、 応仁の乱以前の古い様式を伝える。 境内の地中から東福寺大三世住持である 大明 (だいみん) 国師の遺骨を納めた 銅製骨蔵器が見つかったことで、 墓所であったことがわかっている。 正面東端に唐破風屋根の玄関があり、 正面には両開きの戸。 「双折 (もろおれ) 両開きの桟唐戸 (さんからど) 」っていうらしい。 源氏物語絵巻なんかにもみられる 「蔀戸 (しとみど)」 は「寝殿造」の名残。 そして両端の柱間には 「遣戸 (やりど) 」がはめ込まれるなど、 「書院造」の設えもみられる。 方丈背後に建つ開山堂正面にも、 足利義満の筆による扁額。 方丈の三方を枯山水の庭  「龍吟庭 (りょうぎんあん) 」が囲む。 昭和の名作庭家といわれる 重森三玲 (しげもりみれい) 氏が 1964年に作庭したもの。 方丈正面には白砂敷のみの「無の庭」が広がる。 「龍の庭」 寺名にちなんで、 龍が海中から黒雲と白雲の間を 通って天に昇る姿を石であらわしている。 竹垣には稲妻が表現されている。 「不離の庭」 大明国師が幼少の頃に、 熱病にかかって山中に捨てられた時、 二頭の犬が猿の襲撃から守ったという故事に基づく庭。 赤砂には鞍馬の赤石が使われている。 以前はお庭だけ撮影できたそうだが、 今回は全面撮影禁止やったので、 買い求めた絵葉書から… ちょっと石がしっくり 根を張ってないように見えたのだが…