投稿

8b ニコちゃん。。

イメージ
オシャレなカフェのならぶ   北堀江というエリア。 四ツ橋近くの飲み会の二次会に寄った。 ニコちゃんマークのような  愛嬌のある看板。 「 8b DOLCE      (エイトビー ドルチェ)」 虎次郎がオーダーしたのは、 一本のバウムクーヘンに2つしか取れない。 バウムの 「耳」 の パフェ。   アイスカフェラテと一緒に。 京都舞鶴の濃厚な地卵と 北海道産バターが たっぷり使われている    「堀江バウム」。 1階には工房があるので、 焼き上がったばかりの 「堀江バウム」 と 生ロールケーキ 「8bロール」 の テイクアウトができるらしい。 お持ち帰りには 専用のキャリングケース。 こちらは2本用・・・ といっても テイクアウトはしませんでした(爆) 甲子園のペットボトル持ち込み用に。 レゴのライバルでもある “プレイモービル” の人形が、 伝票代わりってことになってる。 ちょっとサッカー人形にも 「堀江バウム」 を。。。。 ちょこっとこちらも 食べさせてもらった。 うまかったぞ〜〜。

タイムスリップ大阪万博 22 リオちゃんをさがせ

イメージ
岡本太郎さん といえば 前衛芸術家でありますが、 このブログでもずっとふれているように、 パブリックアートの先駆者的な存在。 今はなき 近鉄バファローズ のキャップには、 太郎さんデザインの 「バファロー」 が 縫いどられていましたした。 ただ商業デザインについては、 川崎市 岡本太郎美術館 は寄贈された 岡本さん の制作記録を管理されていますが、 ナゾな部分が多いようですし、 これからもお宝発見ってことになるかも知れません。 特に商業デザインの1980年代以降のものは 太郎さんが精力的に世に出された時期で、 もともと自分の「芸術作品を売る」という 意識がほとんどなかった岡本さんのアートは、 まさに「そこかしこにある」   存在であったと言います。 ところで、 今回の主役 「リオちゃん」 の話。。。 地下鉄 「江坂駅」 にほど近いところに  「カーニバルプラザ」   というレストランがありました。 オープンは1983年で 運営会社は ダスキン さん。 時の経過のなかで去る 2007年9月末で閉店となっています。 お店をオープンする際に ダスキン さんは、 なんと巨匠 岡本太郎さんに、 キャラクターデザインを   依頼したんだそうです。 立体的な青い稲妻模様が走り、 黄色い角と半球状の赤い装飾。。。 パクリ?模倣?と   思われていた方もいたようですが、 れっきとした 太郎アート です。 「カーニバルプラザ」  にあった頃の「リオちゃん」 店のロゴマークの 「リオちゃん」 は、 食器や従業員のエプロンなどそこかしこに         登場していたんだそうです。 実は EXPO カフェ でも 2008年6月 ごろには、 この 「リオちゃん」爪楊枝 が    使われていたそうです。 店の解体を知った地元の明石尚武さんが 「処分されてはもったいない」と 吹田市立博物館に移設することを提案。 2007年に行われた同館の 「’07EXPO’70わたしと万博」 展に あわせて 吹田市 で 引き続き愛されることとなったそうです。 実はこの 「リオちゃん」 という名前は、 この移転をきっかけに名付けられたもの。 太郎さん が カーニバルの本場、 リオデジャネイロの太陽を イメージしてデザインした という エピソードにちなんでいるのだと言います。 太陽の塔...

タイムスリップ大阪万博 21 タイムカプセルにあう

イメージ
タイムカプセルといえば 、 Macのワイヤレスバックアップのために、 導入しようかなって思っているデバイスの ネーミングが “ Time Capsule ” 。 いわゆる無線LANの AirMac Extrame Base Station 機能。 プリントとファイルのサーバー機能が      備わっている代物です。 デジタルカメラを買い替えたので、 画素数が増えてキレイになった分、 愛機 Mac Book もメモリーが あっぷあっぷ状態になりつつあります。 春からは 複数のMacを稼働する予定 もあるので、 ワイヤレスネットワークでバックアップ。 それにしてもMacのネーミングって面白いです。 バックアップのソフトウェアは 「Time Machine」 だし。。 ところで。。。。 これから何を残して行くか。 未来にどのように残して行くか。 「情報を紡ぐ」という環境は、 舵取りが求められているように         思います。 思い起こせば 虎次郎 の大学生の頃は、 貴重図書は 「マイクロフィルム」    ってものになっていました。 20年以上たって読む機械である 「マイクロフィルムリーダー」 は、 図書館でもあまり見かけなくなりました。 キャノン さんは 2009年11月に終了していますし、 「コニカミノルタ」 と 「富士フィルム」 の     2社を残すのみとなっています。 いまやコピー機やスキャナでPDF化が 容易になってきていますし、 CD-ROMなどの媒体がスペース的にも、 優位にたってきています。 ただ紙媒体が中心であった時代と変わって、 ネット上に公開された情報は、 保存されることなく切り替わっています。 虎次郎が勤める職場でも、 ネットによるニュースレターを、 これからどのように伝えて行けばいいのか。 思案のしどころになっています。 写真も電子データですので、 ネガが存在しない。 物理的なモノがないと実感が湧かないので、 ナクナったら一気に失う危険性も持っています。   「情報をどう紡いでいくか」・・・・ そんな視点をどこかに持っていないといけない 時代になってきているように思います。 ようやく、タイトルの話に入ります。。。。 万博で未来に残した記憶たち。 タイムカプセル は大阪城の天守閣から 見下ろされていて次回の開封を待っています。 ところでこ...

タイムスリップ大阪万博 その20 ありし日の万博

イメージ
EXPOカフェ でゲットした 大阪万博のペン画。 赤いUFOのような 「 日立グループ館 」に 奥にドームの「 みどり館 」 聳える七重塔は 「 古河パビリオン 」。 長崎県出身の 岡 秀直 さん という方が描かれたもの。 永らく大阪市内の画廊にあったが、 長野在住の人が まとめて買い求められたとか。 岡 秀直さんは 2003年に他界されています。 絵はがきになっているのは3点で、 こちらのは右に「 サンヨー館 」。 こいのぼりがたなびく。 真ん中には動く歩道が横切る。 左に何か網のようなものを 釣り上げているのが 「 オーストラリア館 」。 (EXPO70スタンプコレクション より) この「オーストラリア館」は、 いまでも三重県の 四日市市 で 「 オーストラリア記念館 」 として現役生活を送っている。 スカイフックとよばれる恐竜の首は、 まさしくウルトラマンに出てくる 怪獣のようにみえる。 2005年の 愛知万博 にも、 「 オーストラリア館 」が出展されていて、 巨大カモノハシの模型が こちらに移ってきているらしい。 オークションに出品されていたところ、 300万円でゲットしたのだという。 実は四日市港は オーストラリアのシドニー港と姉妹港。 巨大カモノハシは公募で 「 カモン 」と名付けれて、 全長12メートル、高さ2メートルの 撮影スポットとなっているとのこと。 長谷川明さんの3D 「 恐竜が空飛ぶ円盤をくわえた形 」 と言われた 「オーストラリア館」の設計した ジュームス・C・マコーミック氏は 葛飾北斎の浮世絵 富嶽三十六景の 「 神奈川 沖浪裏の富士 」に描かれた 波をデザイン化したのだんだそうだ。 円形ホールは 青銅製蓮台 にヒント得たもの。 それにしても万博のペン画たち、 完成予想図 のように見えるが、 始まった頃の万博の混み具合って こんな感じだったらしい。 開幕当初は3月で寒い日の平日は、 人影もまばらだった のだ。 EXPOカフェ ばんぱ館長の写真より

京の冬旅「鳳凰を守る??」

イメージ
相国寺承天閣美術館 にあった 金閣寺の最上部を飾っていた 鳳凰 。 明治の頃の修理で後継にゆずっていたため、 昭和の金閣寺炎上の難を免れた。 北山文化を今に伝える 「旧金閣 閣上 金銅 鳳凰」 。 飛び立つ定位置を失った鳳凰 は、 国宝ではなく 京都市指定文化財ってことに。 下腹部にわずかに残るのが唯一の 北山文化の残照といえるもの。 三島由紀夫の『金閣寺』   にこんな一節がある。 「私はまた、その屋根の頂きに、  永い歳月を風雨にさらされてきた  金銅の鳳凰を思った。  この神秘的な金いろの鳥は、  時もつくらず、羽ばたきもせず、  自分が鳥であることを  忘れてしまっているにちがいなかった。  しかしそれが飛ばないように  みえるのはまちがいだ。  ほかの鳥が空間を飛ぶのに、  この金の鳳凰はかがやく翼をあげて、  永遠に、時間のなかを飛んでいるのだ。」 この鳳凰を観ているとやはり、 閣上の鳳凰に無性に逢いたくなり、 足利義政の隠栖の地「銀閣寺」に   足が動いた。 銀閣寺とは金閣寺に対し呼ばれる俗称で、 銀ではなく杮葺である。 金閣寺である鹿苑寺が「舎利殿」、 西芳寺が「瑠璃殿」。 義政の法号 慈照院にちなんで 慈照寺とよばれる 銀閣寺は「観音殿」の名がある。 唯一現存する 室町期の楼閣庭園建築である。 白砂の砂盛り  向月台 (こうげつだい)と、 波紋を表現した 銀沙灘 (ぎんしゃだん)。 1956年に出版された 『日本の伝統』 という本に “ 銀沙灘の謎 ” という文章がある。 「この盛り砂の形もふしぎです。  いったいこんな形が、  かつての日本美学の中にあったでしょうか。  幾何学的でありながら、  なんともいえぬ 非合理な表情をたたえて、  いわゆるモダンアートにしか見られない、  ふしぎに美しい形態です。」 このよろこびはあの 岡本太郎さん のモノ。 銀沙灘の形態が庭全体を抱いて立つ 銀閣の背後にある 「月待山」 の 峰の線とあきらかに対応しているとみる。 月待山 から登る月の明かりで “ 銀沙灘 ” が湖となり、 “ 向月台 ” の頂上が満月と なって輝き、 地上から照らし返す幻想的な意味を 込めたというのが 太郎さんの分析 だ。 展望所から見下ろした “ 銀沙灘 ” 右手にあるのが  東求堂 (とうぐ...

京の冬旅「承天閣」

イメージ
伊藤若冲が 好きな虎次郎。 その 大本山 ともいえるのが、 京都の御所より北にある 「相国寺」 だ。 正式には 萬年山相國承天禅寺 「まんねんざん しょうこく  じょうてん ぜんじ」という。 実は虎次郎が通っていた大学の 裏手にある禅寺のお寺である。 春と秋そして冬の特別公開でしか 見られない寺宝たち。 江戸時代の当時の京では 円山応挙 に次ぐ人気があった 若冲 。 仏教に傾倒し禁欲的だったので、 剃髪、菜食、独身、遊びなしで あの 光琳 とは対照的な男だったらしい。 承天閣美術館 石碑には 「 承天客 」とある。 京都最大の禅宗寺院である相国寺は、 たびたび火災に見舞われている。 足利義満 による 七重大塔 が聳えたっていた。 高さが109.1mもあって、 史上最も高かった日本様式の仏塔が この地に存在していたが 数年で焼失している。 「法堂」 (ハットウ) 慶長10年(1605)、 豊臣秀頼の寄進によるもの。 日本最古の法堂建築。 「浴室」 1596年再建。 修行の上で「心」と「体」の 垢を落とすという意味で 伽藍上の重要な位置にある。 「経蔵」 (1860年)  高麗版一切経  が納められている。 山外塔頭の金閣寺と銀閣寺。 金閣寺の大書院を飾っていたのは、 伊藤若冲 の襖絵たち。 承天閣美術館 には 大書院が再現 してあり、 ガラス越しではあるが照明も工夫されていて 大書院に座っているような視点で      観ることができた。 「鹿苑寺 大書院 障壁画   葡萄小禽図」 (ぶどうしょうきんず) 「鹿苑寺 大書院 障壁画    月夜芭蕉図 」 (げつやばしょうず) 今回の目玉  というべきものが 「中鶏左右梅図」だ。 鶏が片足で立つ姿は いかにも 若冲 。 左右に梅図があって こちらが中幅。 金閣寺に対し 銀閣寺 の方丈の襖絵は、 池大雅 と 与謝蕪村 の手によるもの。 銀閣寺方丈特別公開でも 見ることのできない 上官の間 にある 与謝蕪村 の 「山水人物図」 も特別に     展示されていました。 「慈照寺 方丈 襖絵   山水人物図 」   与謝蕪村 筆 若冲ファンでなくとも おススメの展覧会である。 世界遺産 金閣・銀閣寺宝展 —墨蹟・絵画・茶道具の名品—  3月22日(祝)まで   相国寺 承天閣美術館

虎虎虎・・・

イメージ
こないだネットで美術館情報を探っていたら、 なつかしの 若冲の虎 を発見。 あの2006年に京都国立近代美術館の プライスコレクション     「若冲と江戸絵画」 の猛虎。 左: 「虎図」    伝 李 公麟 筆 /     朝鮮時代16世紀後半/正伝寺 蔵 右: 「竹虎図」   伊藤 若冲 /     江戸時代18世紀末/鹿苑寺 蔵 当時は日本にいなかった虎。 正伝寺に伝わっ ていた虎図に従って 制作したという背景が知られていて、 もともとは中国絵画だろうと思われていたが、 最近の調査で朝鮮絵画である     可能性を指摘されたのである。 この組み合わせの 展覧会をやっていたのが 京都の北大路を 上がったところにある 「高麗美術館」 さん。 朝鮮半島の古代から 近代までの文物がならぶ。 規模は大きくないが 収蔵品は 1700点におよぶ。 銅鏡などの考古資料をはじめ、 高麗青磁や朝鮮白磁などの陶磁器、 絵画などを収蔵する1988年開館の美術館。 虎は朝鮮のシンボル的な存在。 1988年ソウルオリンピックの マスコットも虎だったよな。 たしか 名前は 「ホドリ」と 言ったか?? 伊藤若冲 は 狩野派 のほかに、 画題としての手本を 宋元の古画 に求めていたようだ。 筆跡の追体験し、 手本の全体像を理解するための 「 臨摸 (りんも)」というのを さかんにやっていたのだが、 それを支えていたのが 相国寺の第十三代住持であった 梅荘顕常 (ばいそう・けんじょう) 。 鹿苑寺の大書院 障壁画を 若冲 に依頼したのも 顕常 その人であった。 「鹿苑寺」とは金閣寺のこと、 銀閣寺は「慈照寺」が正式な名称で、 どちらも「相国寺」の山外塔頭のひとつである。 相国寺は臨済宗相国寺派の本山。 お手本の「虎」のある「正伝寺」も臨済宗だ。 プライスコレクションの 若冲の虎と並べるとこうだ。 色彩こそ若冲らしさがみえるが、 背景の草木も忠実に筆致を追っている。 日本人の虎への興味は江戸時代になると、 急激に高まりをみせたようで、 「竹に虎」「龍に虎」 と定番の図描がさかんに  取り上げられたようである。 「竹虎図」  尾形光琳 筆  江戸時代18世紀  京都国立博物館蔵 こちらは朝鮮通信使画員であった 李義養(リ・ウィヤン)の虎。 「嘷虎図」  との名がついている。 嘷虎 (こ...