夏詣2025 稲毛神社~京急 川崎駅


川崎という地名で一番目に
思いつくのが"川崎球場"ですが、
ネットをみてみてみると
その足跡を辿ることは、
すでに隔世の感があるようで、
ということで川崎にある稲毛神社へ。

JR川崎駅との乗り換えは
10分以上かかるとか、
最短ルートだと6分って案内してる
ネット記事もありましたが、
乗換駅としては遠いということ。

稲毛神社の社伝によれば、
東国に争乱の絶えなかった頃、
武神である武甕槌神をまつり、
天皇軍の戦勝を祈る社として
建てられたとあります。
武甕槌宮と称していましたが、
平安時代末期に山王権現が勧請され、
以後 河崎山王社、堀之内山王権現
などとよばれていました。

足利時代には新田家と関係
深かったことにより、
社領が削られますが、
徳川家康の江戸入府にあたり、
天海僧正の巡見参拝があり、
随神門などの寄進を受けたとか。

天保年間『江戸名所図会』より

川崎宿周辺の鎮守として
広く崇敬があり、
例大祭「河崎山王まつり」は、
その盛況から"東の祇園"として
街道名物であったそうです。

江戸中期の旧御社殿はの宝永年間に
川崎宿本陣 当主の世話により造営、
ただ1945年の空襲で灰塵に
帰してしまいました。
現社殿は1963年築、
鉄筋コンクリート神明造りです。

御祭神である
武甕槌神 (たけみかつちのかみ)は、
国譲りの交渉のため、
高天原より地上に降られ、
その大任を果たされた武勇の神。
その折、随行されたのが経津主神
菊理媛神 、伊弉諾神、伊弉冉神
とともに配神されています。
菊理媛神(くくりひめのかみ)は、
イザナギとイザナミの夫婦神が、
仲違いをされた折、
仲直りをさせたた神だとか。

本殿前の狛犬は平成の御大典に
作成された "天地睨みの狛犬"。
阿形は上半身についての
願い事、

下半身についての願い事は、
吽形の狛犬を撫でるとよいとか。
せんとくん籔内佐斗司の作。

安藤広重『武相名所旅絵日記』などに
描かれた「山王様の大銀杏」は、
戦前は神奈川県指定の
天然記念物だったそうですが、
1945年の戦火で大きく損傷…
生命力の強さもあり、
平和のシンボル”としても
仰がれるようになっています。

禺老忠政遊覧記』という
江戸の書物に、
「この大銀杏の周囲を
 回りながら願い事をすると、
 ことごとく叶う。特に縁結び、
 子授け、子育て、学問稽古事の
 向上に霊験があり、
 参拝者がたえない」とあり、
1986年には神木周囲に
十二支のブロンズ像が置かれ、
"十二支めぐり"となっています。



1938年発行『神奈川県神社写真帖』より。

大鷲神社の御祭神は日本武尊
御霊は白い大鳥となって
天に昇って行かれたの"おおとり"。
江戸後期から各地で「大取り」、
酉の市は川崎でも初冬の風物詩とか。

覆いのある"子神社"は、
1870年(明治3)に
建て直された総欅造り

合祀令によって勧進主の一人の
森五郎作邸に移され邸内社に、
戦後 1957年に遷座されたものです。

彫師 小川清蔵による七福神などの
彫刻が遺されています。
1870年に川崎宿が存続していたので、
現存する宿場時代の唯一の建物とか。



佐藤惣之助 詩碑
「祭りの日は佳き哉
 つねに恋しき幼き人の  
 あえかに粧ひて
 茜する都の方より 来る時なり」

『祭りの日』は幼い頃、
山王祭りの日に横浜から
遊びにくる親類の女の児への
想いを綴った詩です。
その幼い客こそ、
後の花枝夫人
なのです。
ちなみに 🎵六甲おろし は、
佐藤惣之助さんの作詞です。

正岡子規の句碑
「六郷の 橋まで来たり 春の風」

ちかくには旧東海道・川崎宿

浮世絵を掲げるビルもありました。

祭ずし 川崎本店”さんで、
ランチセット1,300円は、
かなりのお得でした。

ワタリガニが入った味噌汁付。


稲毛神社
御祭神:主祭神 武甕槌神
鎮座地:川崎市川崎区宮本町7-7
最寄駅:京浜急行電鉄 川崎駅 徒歩6分

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