なごや ぶらり 中村公園~秀吉清正記念館


名古屋市中村区の豊国神社
1884年(明治17)7月、県令であった
国貞兼平氏らが地元崇敬者とともに、
秀吉公の御神徳を宣揚すべきとし、
翌1885年8月に創建されたという。

地下鉄 中村公園駅の改札を出ると、
"千成瓢箪"がデカデカと…
大阪のイメージが強い秀吉…
生誕は現在の名古屋市中村区あたり、
青年期から信長自までの約30年間、
信長に仕え忠義を尽くした、
いわば信長の右腕であった。

秀吉の出自については、
確かなことは全くわからない。
生誕地は"尾張国愛知郡中村"とされるが、
"豊公誕生之地碑"が立つ中村公園内、
有力な出生地のひとつでしかない。
秀吉の父の名は弥右衛門とされ、
木下弥右衛門として知られているが、
苗字をもつ半農半士の身分と、
苗字を持たない身分に分かつ当時、
秀吉の妻ねねの実家にゆかりある
木下姓ということは、
苗字を持っていなかったとも
言えます。

地下鉄から地上にあがると"大鳥居
高さ24.2m、柱直径2.4mとデカい。
中村の名古屋市編入記念で、
1929年に建てらたものです。

市併合記念 旧中村村民とある。
歩道も千成

参道には秀吉をはじめ

加藤清正

前田利家

蜂須賀正勝
とならぶ…

中村公園イコール豊國神社ってこと、
秀吉は徳川の圧政に苦しむ
大衆の憧れを集め庶民に人気…
幕府は発禁処分などで弾圧。
タブー視されてきたが、
加賀前田家や弘前津軽家などは、
密かに守られていた例もあった
そうです。

京都の豊国社本社の破却決定は、
1615年(元和元)のことで、
豊臣家の滅亡により政治的役割を
終えていたので、
大坂の陣後の豊臣方残党への
警戒も薄れていたなかで、
前代を尊び象徴する場を守る…
東照宮の永続とのバランスもあり、
豊国神社再興が許可された
可能性もあったとも
言われています。

"瓢箪の手水舎"

グロい(笑)

明治になると状況が一変…
秀吉は朝廷への功臣と讃えられ、
対外的積極策である朝鮮出兵は、
再評価され政治的に表舞台へ、
人気を得ていったのです。

公園の一角に小劇場、図書館とともに、
名古屋市秀吉清正記念館。

中村区に生まれた秀吉と清正、
常設展では館蔵品を中心に展示替
しながら運営されていました。

記念館の展示より絵葉書を混じえて…

《豊臣秀吉像》原資料 神戸市立博物館
神の表象とされた烏紗帽を被り、
宮殿上部には桐文が配され、
背景には淡墨で桐図、
豊臣家の家紋が意識的に
織り込まれています。

《豊臣秀吉画像》
江戸時代中期
 1721年(享保6) 名古屋市秀吉清正記念館

《豊臣秀吉木像》江戸時代後期
 名古屋市秀吉清正記念館

《加藤清正画像》江戸時代中期
 名古屋市秀吉清正記念館

《ビロード・マント》安土桃山時代
 名古屋市秀吉清正記念館

《軍議図》昭和初期 小林立堂
 名古屋市秀吉清正記念館

画面手前の武将は桐紋…
どの歴史的場面描いたのか、
秀吉なのか否か特定できない。

神社裏に立つ
初代 中村勘三郎 生誕記念像
浮世絵が隆盛する以前の人物で、
肖像画等がないため、
十八代目を参考にイメージ。


実は訪れたときは、
すでに時間オーバーだったのですが、
公園整備の係の方の計らいで、
特別に"中村公園記念館"
案内いただきました。

加藤清正没300年を記念して
愛知県が1910年(明治43)に
迎賓館として建築されたものです。

L字型平面の木造平屋建
唐破風造の車寄を張り出し、四
周に下屋を廻らしています。

玄関に段飾りの雛人形

唐破風の屋根には桐の紋。

鬼瓦に千成瓢箪

西側は和室三室を並べ、
吟味された良材を用いられています。

座敷飾りを備えられていて、
天井高の高い空間がありました。
当時皇太子だった大正天皇が
御休憩された建物
だとか…

中村公園 豊頌軒(ほうしょうけん)
もと"松林庵"と言い、明治初期に建築。
稲沢市祖父江町にあった
表千家十一代家元 碌々斎好みの茶席は、
1957年に移築されたもの。

茶庭をはじめ垣根や柵などの老朽化、
コケなの消失や砂利などが増えていて、
飛び石のがたつきや
茶庭にふさわしくない
樹木が生い茂っていたそうです。

四畳半台目席と二畳席を持つ
茶室には雛人形が宴に興じる…
地元ボランティア企画のイベント。

庭園には立蹲(たちつくばい)

善導寺型灯篭
六角の「火袋」の外面に、
茶道具
が彫られていて、
こちらには"五徳"。

茶碗と茶筅

火鉢と茶釜・柄杓。
基礎上部に6枚に丸く厚い蓮弁、
中台の側面の
ハート型の彫りこみは猪口
竿部はふっくらと丸味。

「藤の實乃 やうやく
 目立ち 梅雨探し」

高樹旭子の句碑。
愛知高等小学校長
毛利徹先生指揮の下に、
ここに植えられた藤が
大きく成長したことについて、
1943年に詠まれたもの。

公園内に貼られていたポスター、
テレビ愛知開局40周年ドラマとか。

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