大阪の神社めぐり 富島神社 (北区中津)


大阪メトロ 中津駅阪急 中津駅
同じ名前の駅名だけど離れてて、
乗換駅にはなっていません。
中津から十三地域の氏社である
富島神社にお参りしたときのこと。

昭和レトロな商店街 中津商店街
長屋や路地が残っていて、
高層のビルやマンションのお膝元は、
懐かしい雰囲気が醸し出しています。

富島神社の御祭神は
速素盞嗚尊(スサノオノミコト)とされ、
厄除けや縁結び・学業などの
御利益があるとされています。

由緒書に御神徳は悪疫祓除とされ、
創建は足利時代。

社伝では室町時代には存在し、
牛頭天王社と称していたとか。
文禄3年の太閤検地の記録によると、
「牛頭天王社除地一反二十歩」と記載、
それ以前には存在していたのです。

明治の廃仏毀釈により
菩薩・権現・牛頭天王などの
仏教用語が禁止されたことで、
浪速八十島の中の"利島"
ちなみ利島神社へ改称。

明治時代には島神社、兵衛府神社、
春日神社、天満宮などを合祀。

中世は富島荘だったことから
今の富島神社に改称されたのです。

境内にある"十三思昔会 記念燈"。
淀川改良工事により川に沈んでしまった
旧十三町民の方々が建てた石碑。
明治天皇御百首のひとつ
「我心およばぬ国のはてまでも
 よるひる神は守りますらむ」と刻む。

我が国家を思ひ国民を思ふわが心の、
至らぬ処はないかと
日夜心をかけて居るが、
仮令至らぬ国があるにしても、
そのわが心の及ばぬ国の果までも、
国家を守護する神は
必ず守って下さるであらう。 との意。

1983年9月発行に雑誌 「大阪春秋
「特集 おおさかの碑」にこうあります、
「…十三思昔会 
 表に明治天皇御製あり裏に
明治18年の大洪水で淀川大改修となり
 31年に町民の立退きを命ぜられ
 各地に転居した。
 それから二十余年たって
 今昔の情禁じ難く
 旧十三町民親睦を図るため
 思昔会を結成して
 ここに記念碑を建てる
」」と。

十三と中津…
十三という地名は元々旧中津川の南岸
成小路村の一集落の地名でした。
鷺島神社というお社があった辺りが
元の十三地域だとされています。
1888〜1909年(明治31-42)にかけて
淀川改良工事が行われ、
十三の集落も河川敷の下に
消えてしまったのです。

新淀川の北岸に箕面有馬電気軌道
十三駅を設置したのが1910年、
十三の名前が地図上に残りました。
京から数えて13番目の渡し
あったからとかの地名由来で、
阪急創業者 小林一三にあやかった
というのは後付けのエピソードだとか。
境内社 美津社
兵衛府八幡、天児屋根命、
事代主神、猿田彦神が祀られています。
富恵美須社も事代主神。
淀川改修工事前、成小路村字十三に
"鷺嶋神社"という神社。
創建は不明ですが慶長年間には
その地にあったといわれています。
1909年(明治42)鷺嶋神社は、
塚本の八阪神社とともに
利島神社いまの富島神社に
合祀されたのです。
その後…
旧鷺嶋神社の御神木 大松の切株
新淀川の北岸に富島神社の御旅所
移されて"大松っさん"として
信仰篤かったそうです。
ただ1945年6月空襲で御旅所は全焼
鳥居と玉垣だけが焼け残りました。
現在の富島神社の正面鳥居は、
鷺嶋神社の鳥居なのだそうです。
その後周辺をブラリ…
コンビニの前にある"元萩之橋"、
豊中市に移転した東光院
山門前に架けられていた橋の跡とか。
阪急七福神めぐり 
訪れたことがあったお寺です。
中津の旧梅田貨物線沿いに貸しビルに、
モダンに祀られる石。
ここまでして遺されたのだがら、
いまでも信心を篤められているはず。
佐伯祐三 生誕地のプレート
中津尋常小学校から北野中学校に進み、
東京美術学校の油絵科を卒業後、
与謝野晶子の『みだれ髪』の
表紙絵などで有名となり、その後渡仏。
わずか30歳で衰弱死されましたが
ノートルダム寺院などなど、
日本近代洋画の天才 佐伯祐三。
近くにある光徳寺住職の次男
として生まれた佐伯の墓所もほど近く。
中津公園内に建つ
劇作家 森本薫の文学碑
昭和の大女優・杉村春子の代表作
女の一生』の名台詞。
「誰が選んでくれたのでもない 
 自分で選んで歩き出した道ですもの」
と刻まれています。
1912年(明治45年)に現在の
中津6丁目で出生…
旧制北野中学を経て、
京都帝国大学文学部英文科を卒業。
怒濤』は北里柴三郎博士を
モデルとする大作、
華麗なる一族』も彼の作品です。

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