京の冬の旅2023 妙心寺 壽聖院


妙心寺もう一つの"京の冬の旅2023"は、
石田三成一族の菩提寺の"壽聖院"。
フロントフォトは襖絵プロジェクト、
絵師・村林由貴氏さんが描いた
「風浪双鯉図」

フォトをクリックすると彼女自身が語る
解説アプリがダウンロードできますよ。

"京の冬の旅"では初公開!
石田三成が父 正継
菩提所として創建したのは、
1599(慶長4)年と伝わります。
正継の法名 壽聖院殿が院号で、
当初は現在の4倍以上の敷地、
本堂、客殿、庫裏、書院が
建ち並んでいたそうです。

関ヶ原の戦いで敗走の三成…
境内は分割され、伽藍も解体、
徳川氏の圧迫は時代の習い
ちなみに壽聖院の北門は、
妙心寺全体の北門とされ、
現在壽聖院の正門は、
かつての勝手口として残るもの。

「筑摩江や 芦間に灯す
 かがり火とともに消えゆく
 我が身なりけり」

石田三成のことば…
六条河原で晒された三成の遺骸は、
大徳寺円鑑国師により引き取られ、
大徳寺塔頭 三玄院にも埋葬されたが、
壽聖院には石田正継、正澄、三成ら、
石田家一族9人の墓所となっています。

狩野永徳の設計と伝わる池泉式庭園、
主君 秀吉の戦勝の馬印モチーフの
"瓢箪池"があるとか…
庭園の見学はできませんでしたので。

元書院で現在の本堂の襖絵は、
妙心寺 "現代の御用絵師"
村林由貴さんの「稲穂に雀図」
先代の住職から要望は2つ、
「ここは法要などが行われる、
 祈りの場なので祈りに専心できる
 絵であってほしい」。
もう1つは、
「目の前に広がる庭との
 一体感を大切にして欲しい」
子供のころは少女マンガを描き、
大学時代はにアクリル絵具…
「芸大でデザインを学んで、
 東京の会社に就職してイラストを
 書いているというのは
 誰でも想像できる。そうじゃなくて、
『私が一号です』と言える
 仕事に就いてみろと。…」
京都造形芸術大学の美術工芸学科長
椿昇さんのインタビューでの言葉、
"お抱え絵師" へと導かれた彼女
客殿の「風浪双鯉図」は圧巻でした。
急流を登り切った鯉は龍になる、
"登竜門"がモチーフではありますが、
「もうすでに龍のような、
 大きく勇ましい鯉」
扁額には「無一物」の筆。
頂いた朱印には急流を下る鯉、
登流の鯉の対となる姿…
「はじめて人間界に落とされた、
 もしくは一度龍となり、
 舞い戻ってきた鯉かも…」
"無盡蔵"と書された金字、
「輪廻転生」の中で
生きているからこそ。

"天外の間" は水墨画の表現方法が溢れる…
部屋の角に描かれるの「南天と南瓜図」。
"鹿ケ谷かぼちゃ" は
当時住職からいただいたものとか…
南天の白い花から赤い実へと。

「松に雪図」

村林由貴さんの"お抱え絵師"の道程、
2011年4月彼女の挑戦が始まった
寺や仏教とはほとんど無縁に
生きてきた彼女にとって、
禅寺での生活は容易ではない。
寺の掃除は毎朝6時半から、
坐禅修行は修行僧=雲水とともに。
「五輪之画 水の間 波濤双鷹図」退蔵院

壽聖院の襖絵を描かないか
妙心寺の独立塔頭の退蔵院
方丈襖絵プロジェクトを前に、
練習の場を与えてくれたものとか。
椿昇さんはこうも話される
「アートには闇が必要」…
「ただ単に明るいだけの奴は
 すぐへこんでしまう。
 アーティストとして生きる子には、
 描き続ける、
 苦労を乗り越えていく力がいる。
 野球で言う地肩の強さのような、
 精神的な骨太さが必要。
 めちゃくちゃ明るく見えても実は
 苦労した経験をしっかり持っている、
 そういう人間にプロジェクトを任せたい」
退蔵院方丈襖絵プロジェクトFacebookより…


第57回 京の冬の旅
 妙心寺 壽聖院
 2023.1.7 - 3.19

※このブログは以下のインタビュー記事、
 村林由貴氏さんの解説アプリを参考にしました。令和の開拓者たち 第11回 村林由貴(絵師

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