迎賓館赤坂離宮をたずねる④ 迎賓の間
それでは本館迎賓の間にご案内します。
茜出版の『国宝 迎賓館赤坂離宮』、
絵葉書などを頼りに…
海外からの賓客を最初に迎える玄関ホール、
真紅の絨毯が床の市松模様に映える。
創建当時からのイタリア産大理石
ビアンコ・カララの白、
黒い部分は昭和大改修で張替えの
宮城県産の玄昌石が市松に…
西洋風に言うと
チェス盤のようなチェック模様ですね。
奥壁面はフランス産の大理石。
中央階段から2階大ホールへと続く赤絨毯。
8本のコリント式の大円柱、
石膏繰型、アーチ状の天井、
天井には金箔が貼られています。
欄干はフランス産の大理石、
その上に同じく8基の黄金色の大燭台。
アーチにある絵画は朝日で出迎え、
玄関に降りていくときには
夕日でお見送りするという、
"おもてなし"の演出がなされいます。
南側には小磯良平の油絵200号、
こちらは《音楽》と題し、
反対側は《絵画》という題。
円柱は紫斑紋のイタリア産大理石…
ボランティアガイドさんに
「ホンモノの大理石で
擬石ではないのですね」と尋ねると、
「擬石に興味がおありですか。
階段を上がった半柱は擬石です。」
中央階段まで戻り案内していただきました。
各室には警備、順路案内以外に
ボランティアガイドさんがおられ、
迎賓館の建築も歴史もよくご存知のようで、
「ご質問があれば私の知るところで、
お答えいたします」と…
マニアックな質問にも応じてもらえました。
「朝日の間」天井に描かれている
天井絵画によりそう呼ばれています。
もとは第一客室、第一溜の間とも…
国公賓用のサロンとして、
1986年の東京サミットの
会議場として使われた場所。
朝日を背一杯に受けた暁の女神オーロラ、
ギリシャ神話ではエオスが、
月桂樹の小枝を持ち、
右手で白馬四頭だてのチャリオットの
手綱を持つ姿が描かれているのです。
100年以上も前にフランスの工房で
描かれた天井画は、下地に木摺。
漆喰用の隙間のある板に
絵が貼り付けられていたため、
天井裏と室内の温度差で、
キャンバスはホコリを吸う環境、
長年使用されていたことで絵の具の変化、
剥離が目立っていたものを、
4年の歳月をかけて修復されました。
京都西陣の金華山織が
朝日の間の壁には貼られています。
「羽衣の間」には、
謡曲「羽衣」の景趣を描いた天井画。
フランス18世紀末の古典主義、
広さは約300平方メートル、
シャンデリアは迎賓館最大で
約800キロの重さを誇っています。
大天井画に舞を舞う天女の姿はなく
舞踏会で踊る人々を天女に見立てているとか…
謡曲「羽衣」の
「虚空に花ふり音楽聞こえ
霊香四方(れいこうよも)に薫ず」の一節。
北側中二階はオーケストラボックス。
羽衣の間のレリーフ
かつては舞踏室とも呼ばれ、楽器、楽譜、
日本的な琵琶や笙などがみられます。
霊鳥が見守る「彩鸞の間」
迎賓館の正面玄関の真上の部屋で、
「朝日の間」と相対、
創建時は第二客室と呼ばれていました。
白河静さんの『説文』によると、
「赤神霊の精なり。赤色五采、雉の形。
鳴くこと五音に中る。
頌声作(おこ)るときは即ち至る」とあり、
設計者の片山東熊は漢詩、漢籍に造詣深く、
鸞鷟(らんさく)が鳳凰の雛であることを知り、
東宮御所にふさわしい瑞鳥として、
モチーフとして採用したのでしょう。
正面天球儀を護るの霊鳥は
設計者の片山東熊は漢詩、漢籍に造詣深く、
鸞鷟(らんさく)が鳳凰の雛であることを知り、
東宮御所にふさわしい瑞鳥として、
モチーフとして採用したのでしょう。
正面天球儀を護るの霊鳥は
頭にキノコ型の冠を持ち、
無冠の鳥が「彩鸞の間」の霊鳥なのです。
18世紀のアンピール様式、
イタリア産の大理石仕様の暖炉、
その上部に鸞のレリーフ。
二つのマントルピースの前には、
それぞれ衝立があらたに置かれています。
こちらは酒井抱一の桜・山鳥の模写、
反対側には尾形光琳のキリシマツツジ。
無冠の鳥が「彩鸞の間」の霊鳥なのです。
18世紀のアンピール様式、
イタリア産の大理石仕様の暖炉、
その上部に鸞のレリーフ。
二つのマントルピースの前には、
それぞれ衝立があらたに置かれています。
こちらは酒井抱一の桜・山鳥の模写、
反対側には尾形光琳のキリシマツツジ。
武者鎧に鎖をくわえたライオン、
陸軍を象徴したものと言われています。
船首に月桂樹、櫂や銛などは、
海軍のシンボル意匠なのです。
アンピール様式とは、
ナポレオン一世の帝政時代の流行、
厳格なシンメトリーの原則が守られ、
軍隊調のモチーフが著しいとされます。
「花鳥の間」の名は、
天井油絵や壁に飾られた七宝焼が
花や鳥を題材にしていることに因みます。
かつては「饗宴の間」と呼ばれ、
主に公式晩餐会が催されるほか、
記者会見の場として使用されています。
木曽産のシオジ材の板壁には、
四季折々の花や鳥を描いた
楕円形の七宝焼の額が
30枚飾られています。
日本画の巨匠・渡辺省亭の下絵、
七宝焼きの天才といわれた
涛川惣助※が焼いたものです。
「東の間」
ムーリッシュ様式の内装。
建設当初にフランスの瓦師 ジャナンが
焼いた美しい彩色タイルの張られた腰壁、
天井は複雑な石膏レリーフ型抜きの上に
五彩七色を施したという、
まさに豪華絢爛たるつくり。
壁の一部にピラミッド、エジプト・カイロの
風景が描かれていますが、
大正になって新たに描き加えられたとか…
かつては「エジプトの間」と呼ばれた所以。
ムーリッシュ様式のムーリッシュは
スペインのアンダルシア地方の文化、
キリスト教文化の影響を長らく受けた。
アーチ、ドーム、壁全面に埋め尽くされた
アラベスク模様づくしでした。
「迎賓館赤坂離宮をたずねる」
こちらでお開きでございます。
ありがとうございました(・ω・)v
※涛川 惣助 (なみかわ そうすけ)とは?
明治期の七宝焼をけん引した七宝職人。
1889年のパリ万国博覧 会における名誉大賞を始め
内外の博覧会で多くの賞を受賞。
釉薬の区画となる金属線を取り除く無線七宝を開発。
日本画特有の濃淡やぼかしの表現技法が見事に
再現されており、七宝の最高傑作と謳われています。