猿田彦のミチを開くvol.20 京のお伊勢さん・日向大神宮
南禅寺や永観堂にほど近い…
ディープなスポットだけど、
きっといつもなら青もみぢを
愛でる人で賑わっていた…
そんな近くに座す日向大神宮。
⼀の⿃居は三条通に⾯し、
交通の要衝地として、
粟⽥⼝と呼ばれた地、
近代以前は"お伊勢さん"への
代参地でもありました。
大神宮の擬宝珠橋は、
琵琶湖疏水に架かります。
石灯籠の奥に見えるのが、
二の鳥居になりますが…
笠木が失われています。
手水舎近くまでは、
クルマでも上がれるようです。
第23代 顕宗天皇の御代、
筑紫日向の高千穂の峯より、
神蹟を移したのが興りです。
地元では”ひゅうが"とも
読むとか…
神楽殿の奥に座すのが、
下ノ本宮でもあり外宮、
げくうではなく「げく」。
外削ぎの千⽊に、
堅⿂⽊は本殿7本と
御⾨の屋根は5本。
天津彦火瓊々杵尊と
天之御中主神が
座しておられます。
造営年代は詳しくありませんが、
江戸期18世紀末の
『拾遺都名所図会』に
その姿を認めることができます。
京都市内では数少ない
神明造本殿の例であり、
間近にその構造を知ることが
できる地でもあるのです。
両脇に⽴つ棟持柱や、
⾨と板垣で敷地を区画式。
古式にのっとった
切妻造と茅葺が美しさが
際立っていました。
勾玉池に橋掛かり。
橋の手前に二社。
大神宮の擬宝珠橋は、
琵琶湖疏水に架かります。
石灯籠の奥に見えるのが、
二の鳥居になりますが…
笠木が失われています。
手水舎近くまでは、
クルマでも上がれるようです。
第23代 顕宗天皇の御代、
筑紫日向の高千穂の峯より、
神蹟を移したのが興りです。
地元では”ひゅうが"とも
読むとか…
神楽殿の奥に座すのが、
下ノ本宮でもあり外宮、
げくうではなく「げく」。
外削ぎの千⽊に、
堅⿂⽊は本殿7本と
御⾨の屋根は5本。
天津彦火瓊々杵尊と
天之御中主神が
座しておられます。
造営年代は詳しくありませんが、
江戸期18世紀末の
『拾遺都名所図会』に
その姿を認めることができます。
京都市内では数少ない
神明造本殿の例であり、
間近にその構造を知ることが
できる地でもあるのです。
両脇に⽴つ棟持柱や、
⾨と板垣で敷地を区画式。
古式にのっとった
切妻造と茅葺が美しさが
際立っていました。
勾玉池に橋掛かり。
橋の手前に二社。
恵美須神社と天鈿女神社
ここにアメノウズメが
祀られています。
「朝日泉」御井(ミイ)神社、
水波能売神
(ミズハノメノカミ)を祀ります。
京名泉の⼀つに数えられ、
清和天皇の勅願により、
ここにアメノウズメが
祀られています。
「朝日泉」御井(ミイ)神社、
水波能売神
(ミズハノメノカミ)を祀ります。
京名泉の⼀つに数えられ、
清和天皇の勅願により、
貫に楔が打たれた
⼩⽯根巻が付く、
伊勢⿃居を持つ内宮。
上ノ本宮である内宮(ないく)、
天照大御神、多紀理毘売命、
市寸島比売命、多岐都比売命を
お祀りされています。
女神ですので…
内削ぎの千⽊、
堅⿂⽊は8本頂きます。
神域のそばに立つ神石、
"日向" に対峙する名が付く
「影向岩」(ようごういわ)。
平安京遷都に際して、
四方の石座を鎮めた
「東の岩倉」の地を
伝えるものと見られます。
左手に「天の岩戸」の矢印。
赤い大きな岩、
最近ではパワースポット
として注目を集めるのは、
ここなのだそうです。
人一人がなんとか通れる
岩窟道の奥に戸隠神社。
祀られるの開運厄除の神、
天手力男命はその名の通り、
天の手の力の強い男神。
アマテラスが岩戸から
顔をのぞかせた時、
引きずり出した神さまです。
そして世界に明るさが
戻ったと伝わります。
「かわらけ」と呼ばれる
伊勢⿃居を持つ内宮。
上ノ本宮である内宮(ないく)、
天照大御神、多紀理毘売命、
市寸島比売命、多岐都比売命を
お祀りされています。
女神ですので…
内削ぎの千⽊、
堅⿂⽊は8本頂きます。
神域のそばに立つ神石、
"日向" に対峙する名が付く
「影向岩」(ようごういわ)。
平安京遷都に際して、
四方の石座を鎮めた
「東の岩倉」の地を
伝えるものと見られます。
左手に「天の岩戸」の矢印。
赤い大きな岩、
最近ではパワースポット
として注目を集めるのは、
ここなのだそうです。
人一人がなんとか通れる
岩窟道の奥に戸隠神社。
祀られるの開運厄除の神、
天手力男命はその名の通り、
天の手の力の強い男神。
アマテラスが岩戸から
顔をのぞかせた時、
引きずり出した神さまです。
そして世界に明るさが
戻ったと伝わります。
「かわらけ」と呼ばれる