百舌鳥古墳群をあるく① 御廟山古墳


百舌鳥・古市古墳群ってのが、
世界遺産を目指しているという。
文化史学ってのを学んだけど、
発掘というのは実習のみで、
あんまりよくわかんない
古墳時代…
ちょっと気になるから
辿ることにしました。

第1回目は百舌鳥エリアの
ほぼど真ん中に位置する
御廟山古墳
ごびょうやま と読みます。

2008年実施の
宮内庁・堺市共同調査で、
墳丘の平坦面からは、
円筒埴輪が隙間なく出土。
囲形埴輪、家形埴輪、
魚やザル形などなど。

「入れ子」構造の囲形埴輪
宮内庁書陵部所蔵のもの。
何かの祭祀に使われたと、
考えられているそうです。

後円部裾の濠水脇、
江戸期の石灯籠が立ち、
かつて入口だった痕跡とか。
最近の調査で、
二重濠もあったことが判明。
百舌鳥八幡宮の奥の院
そして「応神天皇」御廟との
伝承があったため、
古くから聖域とされ、
人の立ち入りは限られ、
大木が茂っています。

墳丘は陵墓参考地で
宮内庁の管理、
外濠は堺市の管理です。

機械揚水竣工記念碑、
濠は宮内庁管理ではない、
ことを示しています。

ちなみに羽曳野市にある
応神天皇陵」は、
誉田御廟山古墳」とも
呼ばれています。

誉田御廟山古墳のすぐ隣には、
誉田八幡宮があります。
八幡宮ということで
応神天皇が祀られています。
応神天皇陵前の神廟、
最古の八幡宮との所以です。

百舌鳥八幡宮へ…
神功皇后がこの地で
幾万年の後までも
この処に鎮り、
天下泰平民万人を守ろうとの
御誓願を立てたと。

欽明帝の御代に、
ここを「万代(もず)
と名づけて神社を創建、
神功皇后を祀ったと伝わります。

前後数代の天皇に関する
史料がすくなく…
系譜にもいろいろと
謎多き帝・応神天皇。

崩御されたとされる時から
数百年が過ぎたところで、
応神天皇は八幡神
崇められるようになります。

ちなみに系統別に分けると
1位 八幡信仰 約7,800社
2位 伊勢信仰 約4,400社
3位 天神信仰 約4,000社
4位 稲荷信仰 約2,900社
5位 熊野信仰 約2,700社
八幡宮」がダントツ1位です。

武運の神として、
清和源氏の一族からの
信仰は篤いものでした。
ただ八幡神とは一体
どういう神様なのか?
あまり知られていないのです。

前方部にある「永尾大神」。
由緒は不明ですが、
石を神体とする稲荷神社。

さらに「堪輿(かんよ)神社

御祭神は天之御中主神の
諸神ということ…
御廟山古墳との関係は、
あまり調べられませんでした。
先の台風の影響かと、
ブルーシートで
覆われていました。


「御廟山古墳」
・前方後円墳
・墳丘長203m、後円部径113m、
 前方部最大幅136m
・5世紀前半
・堺市北区百舌鳥本町1丁
【世界文化遺産登録候補】

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