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THE FORMER NARA PRISON Vol.1 ~近代化の顔

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「 これが、最後の完全公開 」と 銘打たれた 「明治の名建築見学会」。 最終日に行ってきました!! 12時からのチケットでしたが、 少し早めに行ってみると(大正解) QRコード提示で中には 入らせてもらえました。 まずは「表門」 アーチ型の入り口に、 両脇に円塔を備えた ロマネスク様式 。 特徴的なドーム型の屋根は、 一昔まではここを 「 奈良ドリームランド 」 と間違えて訪れた という人がいたとも、 「おとぎの国」を思わせる 印象はいまだ健在です。 ドーム型の屋根はモルタル、 雨風に耐えるための機能性… 窓にはめられた鉄格子は、 建設当時のものとか。 上部はロマネスク建築に 見られる「 ロンバルド帯 」、 奈良監獄の建物には、 そこかしこにある特徴です。 敷地内からみると… こんな感じです。 イギリス積み のレンガに、 砥石で磨かれた 白い花崗岩 が、 アクセントを添えています。 刑務所建築は日本の近代史上、 特別な意味を持っています。 「ある国の近代化ぶりを 見るにはその国の 一番遅れた部門を見ればいい」 こちら敷地内に遺る「 ギス監 」 屋根はあるものの壁は 太い木の格子ばかり… 風雪が容赦なく。 ギスとは キリギリス の意。 行刑史料指定23号とか… 「 行刑史料館 」には 引き継がれるそうです。 庁舎講堂の展示 「 藩政時代之刑罰 」 牢人を括った「鐵丸」 「 明治の五大監獄 」と呼ばれる 大計画は1908年(明治41)に 完成を遂げている。 千葉、金沢、長崎、 鹿児島、奈良の5つのうち、 最初に造られたた奈良のみが、 そのカタチを伝えています。 門のみ遺る「 鹿児島監獄 」… 春に訪れたときは、 都市部から離れていたので、 見れなかった(残念) 鹿児島アリーナの敷地に残る、 地震の影響もあって、 崩落の危険があるとかで… 維持されるかどうか。 鹿児島のアーチはロマネスクだが、 全体としては ロマネスク系アーチ 、 ただアーチの赤白のまだら状は、 赤レンガ を華やかさを添えている。 で・・・なぜ 鹿児島は石造り ? こちら「 旧鹿児島信用組合社屋 」 鹿児島は基本石造りだから… 以前ブログで紹介しました。 奈良も鹿児島も設計者は、 山下啓次郎 という人… 鹿児島ではオーソドックスな ゴシックを手がけたのに、 なぜ奈良に...

イケフェス2018 浪花教会

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天気がいいのでモダン建築街道 とも言われる“ 三休橋筋 ” へ。 何度も見慣れた “ 日本基督教団 浪花教会 ”だが、 礼拝以外に中に入らせてくれる。 そんな イケフェス大阪 の日。 浪花教会の起源は古くて、 設立は1877年の 明治10年に遡ります。 ここに教会堂が建てられたのは 1890年 のことで当時は木造。 大阪船場でのキリスト教信仰に 大きな役割を果たしてきた場所。 大理石のカーブが美しい階段で 2階の礼拝堂へ… 「禮拜堂」 と綴られる 右から文字の銅板。 黄色や緑色の色ガラスから、 三休橋筋の光が注ぐ。 ファンならすぐ分かるという… 「ウィリアム・メレル・  ヴォーリズ」 の 設計指導によるもの。 重厚でこってりとした 色合いの 框組木製パネル オーク ワックス仕上げの パイプオルガン … 2002年の建造とか クリーム色に塗られた壁や天井 数種の彩りが添えられているだけ プロテスタント教会 の シンプルさはホッとさせます。 夜の雰囲気もなかなか良くて、 大阪ガスの寄贈などによって 設置されたレトロな “ガス燈” の灯り と奏でる 表情は一見の価値アリです。

イケフェス2018 青山ビル

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今年の イケフェス大阪 こと 「 生きた建築ミュージアム フェスティバル大阪2018 」… なんか事前予約の夕方に友だちの FB書き込みで気づいた。 当日のガイドツアーの参加証を ゲットできました。 なんとかなるものである。 青山ビル は伏見町2丁目にある 1921年建設の元祖テナントビル。 1947年に先代 青山喜一 が 野田氏より譲り受ける。 戦後 GHQにより建物接収すると いう話が持ち上がったそうですが、 GHQ将校の施設に条件に 接収を免れたのだそうです。 蔦が絡まっているので、 そろそろ紅葉が 始まっているでしょう… 実は蔦は二代目で、 今のは 甲子園 から 株分けしてもらったもの。 今は中華料理店が店を構えるが、 かつては ダンスホール があり、 建物の周囲には地下への明かり採り… 正面のアーチには、 かつては シャッター が 付いていました。 建物内の 上げ下げ機 … 海外製なので年季の入ったもの、 だから今は動かないので、 上げられたままになっています。 入居者の趣向に合わせてあるので、 各階ごとに共有エリアも 装飾が異なっています。 イタリア製 ステンドグラス や ガラス窓が残ります。 階段の手すりは ねじり細工 ガイドツアーで特別に 入らせてもらった応接室。 天井は 漆喰装飾 もう直すくれる 職人さんはいないそうです。 こちらは電話接続のパネル。 各室間は電話で行われていて、 交換手が常駐していたとか。 ビルに遺る 占領下の品 。 MADE IN OCCUPIED JAPAN と綴られる。 OCCUPIEDとは占領下の意。 床材は寄せ木 かつては 松竹芸能 の事務所に、 下面はオリジナル。 透明な部分は、台本とかの 背表紙が見えるように 入れ替えたのだそうです。 テナント最上階の階段部分。 ビル中央部には 荷物用のリフト 、 今は電設関係のケーブルが 上下している。 交換室があった屋上にも 特別に上がらせてもらった。 かつてはフレンチスタイルの 屋上庭園 が存在していた。 近くの三越で買い物して、 屋上庭園でお茶していた… 優雅なライフスタイルが かつてはここにありました。 ビルの裏手も特別に… クスノキ にイチョウ。 かつて専売制で取引されていた 「樟脳」は虫を寄せ付けない存在。 ビル自体は今もあまり 虫はいないそうです。 裏手の ...