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松坂屋の理想郷〜揚輝荘③ ベンガラ色の聴松閣

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南園の「 聴松閣 」へ… ちょうしょうかく と読みます。 北園から南園への通路、 実はマンションの敷地内。 もとは揚輝荘の森の中を 通る谷道だったそうです。 なかほど東側にはテニスコート、 「西行庵」「峠の茶屋」という 月見茶屋があったそうです。 マンションの好意でここ 通行を認めてもらっているとか。 敷地に残る「 伊藤銀行本店 」の ビル正面を飾った「 いとう丸 」。 いとう丸 と呼ばれるこの商標は、 伊東家を表徴する「藤」を、 組織と団結を表す「井桁」、 そして完全を意味する 「円」で囲んだもの。 江戸時代に制定され、 現在まで綿々と受け継がれたもの。 「伊藤銀行」は1941年、 旧 愛知銀行、旧 名古屋銀行 と合併、 「 東海銀行 」になりました。 聴松閣は1937年の完成。 当時としては珍しい車寄せ、 石張りの外柱、 その真中に 石彫りの虎 。 睨みをきかせています。 台座の背面に彫られた 年号を西暦にすると488年。 日本は古墳時代のころで、 おそらく 祐民の中国土産 ? ちなみに祐民は 明治11(1878) 戊寅年生まれ 。 この虎は数々の来訪者を 知っているのだと思います。 2階の外壁には自然木の枝が 張りこんであり、 窓の欄干も丸太、 伊藤次郎左衛門家では、 「山荘」と読んでいたそうです。 瓦はベージュ色の 瀬戸焼 特注品。 軒瓦は雨当てのある珍しい形状、 ただあまり普及はしなかったとか。 こちらが玄関 ボランティアガイドさんが、 60秒ほど扉を閉めてくれました。 というのも、 右に「名古屋」「三丁ノ内」 「伊藤次郎左衛門殿行」。 左の小さい扉には 「尾州名古屋」「三丁之」。 普通は削るところを面白がって そのままにしたそうです。 ケヤキ材 は将来の普請のために 大小三丁同時購入したとか。 「製材したままの木肌と 野趣に富んだ文字を、 そのまま表札もかねて正面玄関の 扉として使用させたのは、 まさに茶事を好む祐民の 数寄心のなせる技 といわざるを得...

松坂屋の理想郷〜揚輝荘② 白雲橋・三賞亭

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北庭園のシンボル「 白雲橋 」 修学院離宮の「千歳橋」 の 写しと言われていています。 ※修学院離宮 千歳橋 宮内庁HPより こけら葺の千歳橋に対して、 こちらは 緑釉瓦 で葺かれています。 「 豊彦稲荷 」の信長塀も同じ。 橋の中には立ち入ることが できなかったので絵はがきより。 祐民の筆による 龍の天井絵 、 逆さから見ると… 竜の鼻が髪の毛が 逆立った女性の横顔 に見えるとか。 白木の 蓮華擬宝珠 、 火灯口、 無双窓 といった意匠。 橋脚に階段の石貼り… 遠景でも近景でも まさに絵になる佇まい。 クラッシク音楽、日本舞踊、 朗読、二胡演奏など、 盛んに市民参加のイベントが ここを会場として開かれています。 こちらは北園に残る 「 野外円形劇場跡 」。 桟敷風の舞台があったとか。 ステージの再構築の計画が あるそうです。 園内にある「 道しるべ 」 「ひたり志らひげみち」と読める 京都嵯峨の伊藤次郎左衛門家別荘 にあったものと思われるもの。 志らひげ とは 白髭神社 のこと。 こちらは「 三賞亭 」 案内板によると… 「茶屋町の伊藤家本宅に あったものを、1918年9月に 揚輝荘に改修移築したもので、 揚輝荘の最初の建物である。」 長年 物置にされていたようで、 朽ち果て寸前だったのを、 畳の取り換え、障子の張替えで 蘇らせたそうです。 煎茶の茶室 なので 炉は切られていません。 丸窓、竹材の中国風意匠、 床柱は シャシャンボ 、 水屋との境のまどはハギ。 扁額の 三賞亭 の文字は 冷泉文字 だそうで、 名古屋松坂屋の土地から移築の 京都の嵯峨三賞亭の写し。 伊藤家は代々、 京都冷泉家 と交流があって、 和歌や書などを学んでいたとか。 前の池にかかる 擬木橋 。 鉄筋コンクリート製の擬木は、 大正時代にできた 当時の先端技術ですが、 すでに欄干は苔むし、 風景に溶け込んでいます。 逆さの 日泰寺五重塔 … 北園の インスタスポッ...

松坂屋の理想郷〜揚輝荘① 伴華楼

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名古屋の覚王山への 最大のお目当ては、 揚輝荘(ようきそう) 。 名古屋の観光スポットでも、 名古屋城とかからは離れているので、 はじめての訪問なのです。 覚王山日泰寺 までの 道すがらには、 揚輝荘(南園)→の看板… まずは、北園から〜 北園にある揚輝荘の表札。 根府川石貼りの門柱には、 「揚輝荘」ではなく「 揚 煇 荘 」、 名前の由来は、 陶淵明 の漢詩 「 秋月揚明輝 」から。 漢和辞典によると 「煇」が正字 。 玉石が貼られた藤棚をくぐると。 アプローチへ。 1階のテラス部分にも 色とりどりの玉石… リゾートホテルを思わせます。 建物の名は「 伴華楼 」。 Bungalow を もじって「ばんがろー」。 尾張徳川家大曽根邸 から移築、 座敷・茶室に 鈴木禎次  設計の 洋室をドッキングした建物。 鈴木禎次 は、 松坂屋百貨店 の創業者 伊藤次郎左衛門祐民 とは、 親交が深く… 名古屋松坂屋本館や各支店の 設計にも関わっています。 髙島屋東別館 ももとは松坂屋、 鈴木禎次の設計です。 ちなみに 夏目漱石 は義弟、 漱石の墓碑は禎次の設計で、 大きな安楽イスをかたどった ユニークなものだそうです。 終活ネット より 伴華楼は南からみると二階建、 南だれの急斜面に立つので、 北庭の玄関部分は 二階にあたります。 テラス部分の床や腰壁は タイル張りで、 リゾート気分が高まります。 西側の部屋は ビリヤード室 、 当時の社交場にビリヤードは つきものだったそうです。 壁にある ウサギの餅つき の 石膏レリーフ。 古来より月見の名所、 『 尾張名所図会 』の「月見坂」 にも描かれた場所なのだそうです。 東面外観の 市松模様 の煙突 タイルとスタッコの市松模様… タイルを市松状に貼って、 その後養生してモルタルを吹付け? それともモルタル吹付けの タイルをあらかじめ作り、 交互に貼り付けたのか?? スレート張りにも見えるが、 実は 椹 (...