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西宮をあるく⑦ 多聞ビルディング

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宮水のメインストリートに 出で立つ洋館「 多聞ビルディング 」。 国道43号線に面しているのですが、 正面は海側やったようです。 エントランスホールを貫く コリント式の オーダー柱 は、 まさに威風堂々たるもの。 かつては 「多聞ビル」と掲げられていたとか… 長らく 八馬汽船の本社ビル として 使われていたそうですが、 空ビルでシャッターが下ろされたまま。 もとをたどると 当初は1階が「 西宮銀行 ※ 」、 2階が「八馬汽船 本社」として 使われていたとか。 完璧な古典主義建築としての設計を 手がけたのは  古塚正治 さん。 阪神間モダニズム を代表する建築家で、 早稲田の建築学科を卒業し、 西宮で建築事務所を開業した人。 六甲山ホテル と 宝塚ホテル も彼の設計。 米穀商だった八馬家が起こした 海運会社「 八馬汽船 」。 歴代の船には多聞丸の名を 付けられていたそうです。 八馬家信仰の「 多聞天 」に由来するもので、 「多聞」の名は八馬家の酒造会社である 「 多聞酒造 ※ 」として知られるところです。 戦後財閥解体もあり、 その後の多難辛苦の歴史によってが 今は時を止めて閉まっている「多聞ビル」。 窓から光がもれる日は はたして来るのでしょうか?? 「多聞ビル」が蘇る日を待ちたいと思います。 「多聞ビルディング」 建築年:1928年(昭和3) 設計 :古塚正治、古塚建築事務所 施工 :大林組 構造 :鉄筋コンクリート造2階建地下1階付  所在地:西宮市久保町2 「西宮銀行」とは?? 明治1891年(明治24)5月に資本金3万円で創立。 本店西宮市。合併時頭取は八馬財閥の 八馬兼介。 「多聞酒造」とは?? 1920年に多聞興業として創業。 1924年に酒造免許を受け酒造りを開始。 1930年に多聞酒造株式会社となった。 2002年12月に倒産。 商標は大関株式会社に譲渡され、 清酒「多聞」は 大関 で製造販売されている。

西宮をあるく⑥ 秋晴れの「宮水」

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江戸時代の酒は「 秋落ち 」といって 夏を越すと味が悪くなったそうです。 しかし、 西宮の酒だけは 秋を迎えてかえって味が冴え、 「 秋晴れ 」と讃えられていたといいます。 西宮の酒だけに なぜ「秋晴れ」が起きるのか?? 理由は仕込み水の違いにあるから。 魚崎と西宮に蔵を持っていた 酒造家・ 山邑太左衛門 が発見して以来、 灘の酒造家は 「宮水」を こぞって求めることになるのです。   宮水は、戎・札場筋・法安寺という 3つの地下水の強い流れである「 伏流水 」が、 地理的条件でブレンドされたもの。 宮水の成分は各地の酒造用水より、 リン・カリウム その他の微量成分があいまって、 酵母の増殖促進させ る のだそうです。 宮水地帯の井戸の水面は 地表わずか2〜3mほど、 海水面とほとんど変わらないのです。 近代化工事などの海水の浸透、 揚水量の増加による井戸水の枯渇など、 危機と保全の歴史が繰り返されてきました。 この一角でのみ得られるのが「宮水」。 ところで… 宮水自体はおいしいのでしょうか? ミネラル水でよくみる鉄分については、 酒を着色させたり、味を損ねることも あるので嫌われます。 宮水の一般的な特徴は、 かなり塩分濃度の高いということ。 カルシウムイオンとナトリウムイオン、 そして硫酸イオンが主成分。 硫酸イオンについては、 「水を不味くする」ものでもあるので、 酒造りには名水であるが、 飲料向きの水とは違った水質 ということ。 共同井戸場にある「 いん洲第一泉 」、 天下に名高い第一の水、 つまり 日本一の井戸という意味なのだそうです。 泉正宗、菊正宗、大黒正宗、 福寿、都美人など… 灘の銘酒の生命線が守られていました。

西宮をあるく⑤ 辰馬さんちの洋館

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「白鹿」は灘五郷の一つ、 白鹿記念酒造博物館に ほどちかいところにある 辰馬喜十郎 (たつうま・きじゅうろう) さんの自邸。 神戸にあった 英国領事館 を 模して造られたと伝わるものです。 初期の西洋館は外国人が住むために 外国人が設計して建てられたものでしたが、 ここは日本人が建て、 そして日本人が住んだ 最古の洋風住宅なのです。 二面にベランダをめぐらせた コロニアルスタイル ですが… 1階はベランダに直接出入りできる 「フランス窓」ではなく 腰高窓 。 1階は 御影石の列柱 であるのに対して、 2階は 木製の柱 なのもオモシロイ。 辰馬家は酒造家にとどまらず、 海運業、金融業… そして進学校として有名な 甲陽学院中・高校の創設 もだとか。 辰馬喜十郎さんは辰馬家の分家、 南辰馬家初代当主 であったようで、 新しい文化を取り入れる 意欲的な人だったそうです。 玄関など開口はアーチ型で、 他の面は角型です。 寄棟桟瓦葺屋根の四隅、 鬼瓦には和の建築で見かける紋入り 。 「 辰 」の文字が入っているとのこと。 ここも洋館は和館と繋がっていて、 煉瓦の煙突は浴室のもの です。 裏手にまわって煉瓦積みを間近にみると、 みごとという他ない「 イギリス積み 」。 旧辰馬喜十郎住宅は、その酒蔵・店とともに、 市と県の指定文化財となったのですが、 阪神・淡路大震災で、店と酒蔵は全壊。 住宅のみが現存して震災以来 内部非公開になっています。 「旧辰馬喜十郎邸」 建築年:1889年(明治22) 構造 :木造2階建 設計 :山下 某 所在地:兵庫県西宮市浜町8-5 【近代化産業遺産】 【県指定文化財・市指定文化財】

西宮をあるく④ 旨い酒しか白鹿!!

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西宮といえば「 宮水 」… 偶然にも「西宮をあるく」に訪れた時は、 年に一度の 西宮酒蔵無料開放の「 蔵開2015 」。 蔵開きレポは改めてなんやけど… まずは 白鹿さん へ!! 初代辰馬吉左衛門が西宮の邸内に 井戸を掘ると清冽甘美な水が湧いた… そして酒米としての、 兵庫県の美嚢 (みのう) ・加東 (かとう) 地区で 品種改良により生まれた「 山田錦 」。 「 白鹿 」の名は、中国の神仙思想に由来。 『遠野物語』にはこうあります… 「同じ人六角牛に入りて白き鹿に逢へり。  白鹿は神なりと言伝へあれば、  もし傷つけて殺すことあたはずば、  必ず祟りあるべし。」と。 唐の皇帝は 白鹿を愛養 したそうです。 瞿存斎 (くぞんさい) の詩には 「 長生自得千年寿 」の一節があります。 白鹿さんの菰樽には、 今もこの一節が綴られています。 天秤絞り… 白鹿は明治維新以後も技術革新が図られ、 全国第一の醸造高を記録しました。 丹波杜氏・梅田多三郎による 新醸造に成功したのは1920年(大正9)のこと、 高級酒「 黒松白鹿 」が生み出されました。 100年以上現役として    銘酒を育み続けた酒蔵。 ただ… 1995年(平成7)の 阪神・淡路大震災にあっては、 壊滅を免れることはできなかったそうです。 震災の記録 が遺されていました。 よくぞ復活されたなぁ〜〜と思います。 創業以来350年以上の伝統を守りつつ、 次代へ継承していく心意気がなせる技。 ランチは「 白鹿クラシックス 」にて!! クラシックスランチ 1,080円を頂きました。 これにスープとパンorライスが付きます。 次は… 「 吟醸粕汁御膳 〜鹿児島産 茶美豚しゃぶしゃぶ〜」         にしようかな? 入館するには400円いるけど、 おとなたちには、 記念の吟醸ミニボトルがもらえます。 白鹿記念酒造博物館(酒ミュージアム) 所在地 :兵庫県西宮市鞍掛町8-21 開館時間:午前10時~午後5時 休館日 :火曜日 入館料 : 一般400円(記念館、酒蔵館は共通)

西宮をあるく③ 夷狄を打ち払え〜西宮砲台

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江戸時代のおわり、 国防に不安を感じた 江戸幕府が築いた砲台「 西宮砲台 」。 阪神電車「香櫨園」駅から夙川沿いに… マンションと防波堤とで直前まで その姿を 隠しているので、 いきなり感半端ありません(TдT) コンクリート製ではありません 「 漆喰 」にて候。 御前浜公園は ビーチクリーニング などの 取り組みもあって…ずいぶんキレイでした。 夏には ハマナス も咲くんだってよ(・ω・)v 幕末動乱の最中アメリカ・ロシアなどの 軍艦の来航に慄いた幕府が 摂海防備 のために設けた砲台。 「摂海」とは大阪湾のことですが、 ただ大阪湾内に “夷狄”は来航せず でした。 着工は文久三年(1863)のことですが、 その後倒幕したので 完成は定かではありません。 西宮のほかにすぐ東側には今津、 そして和田岬とそれに隣接するように 川崎にも砲台を築造されたようですが、 いずれも 和田岬砲台 が “ 稜堡式 ”だったのに対し、 他の 3砲台は円形 をとったようです。 砂浜なので松杭が 1000本以上も打ち込まれた基礎、 その上に花崗岩の大岩が 組み上げられいます。 砲眼11個と窓1個があって、 大砲で四方を狙うことが できる構造なのですが、 空砲試射に失敗して 内部木造部分は焼失 … 通常の2倍の賃金を支払って 熟練工を集め、 突貫工事で完成を急いだのですが… 砂地に立てる難工事は 4年を費やしたそうです。 1974年から行われた修復工事により、 現在は内部は鉄骨で補強されています。 「西宮砲台跡」 所在地:兵庫県西宮市西波止町5374 【国 重要史跡】 稜堡式(りょうほしき)とは? 大砲を主要防御武器として設計した城の形状。 多数の大砲が死角を補い合うように造られる。 一六~一八世紀にヨーロッパで行われ、 日本では幕末に五稜郭などに取り入れられた。

西宮をあるく② ゑべっさんのご利益

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七福神でも大黒さんと ならんでおわします「 ゑべっさん 」。 日本の国を作ったとされる クニウミ神話 の主役、 伊弉諾尊 (いざなぎのみこと) と 伊弉冉尊 (いざなみのみこと) の息子さん。 七福神の中では 唯一国産の神様とされてるのですが… 持ち物の釣り竿と鯛でまさしく海の神様、 後に農業や商業の神様ってことで超モテに。 「夷」や「戎」とも書かれることからすると、 異民族の漂流者がルーツなのかも しれません。 三連春日造 (さんれんかすがづくり) と呼ばれる 珍しい構造の本殿前に立つ拝殿に上がると。 真正面に三殿が拝めます… 蛭児大神 、天照大御神および大国主大神、 そして須佐之男大神が奉斎されています。 三神は日本書紀によると “ご兄弟” にあたります。 神池にある「伊勢神宮遥拝所」 南北朝から室町期の頃に造られた神池には、 大きな島が三つある三島一連のかたちで、 蓬莱山水の様式 といわれているものです。 島と拝殿正面を結ぶ線に「 瑞寶橋 」。 1922年(大正11)完成の青銅欄干の反橋 蔵元 「 白鷹 」辰馬悦叟さんの 意思を継ぎ 二代目 辰馬悦蔵さんが改修されたもの。 拝殿下左右の青銅製狛犬は、天保12年に 八馬 (はちうま) 七兵衛 らの奉納になるもので、 神域には宮水にて生業とする 蔵元らの名がみえます。 辰馬氏、葛馬氏、八馬氏、乙馬氏、 六馬氏、小上馬氏など 十五家には馬の名 が。 西宮神社の神幸の騎馬の供奉などの役に 当たる家柄でもあり、 西宮の宿場の役にもあたっていたので、 馬氏を頂いておったのでしょう。 こちらは… 常夜燈型の珍しい道標 。 寛政11年(1799)の年号があり、 正面には 「世話人 平内太郎右衛門              真宜(さなぎ)喜三右衛門」。 西国街道・山陽道の要衝 であったことの証。 「西宮大神宮 左 京都大坂 道」 そして「右 兵庫はり満 道」とあります。 赤門の名もある 表大門に連なる 大練塀   (おおねりべい) は 名古屋・熱田神宮の信長塀、 京都・三十...