投稿

横浜・山手西洋館をあるく 山手68番館

イメージ
「 山手西洋館マップ 」 にはあるが、 山手本通りをたどるルートから 少し離れているのが「 山手68番館 」。 あるブログにも 「横浜の山手に訪れても  ついその存在を忘れてしまう」 とあり、 あえて抑えれおかねばと思ったのだが... 代官坂というところにあるトンネルが ある所からまさに山手をくだっていくと、 住宅地に迷い込んでしまった。 市立元街小学校 とか フェリス女子大学 の校舎とかに 阻まれてなかなか辿り着けない。 もともとは開放ベランダが設けられた、 バンガロースタイルの外国人向け賃貸住宅で、 東洋バブコック(現在の バブコック日立 )の社員 C.F.フランコ さんの住宅として使われました。 元々は奧まったところに建っていたのを、 1986年に山手公園内の テニスコートのクラブハウスとして移築。 当時は暖炉用ラジエーター、電熱、ガス、 給湯設備などが整っていた住宅だったのですが、 内部にはその面影を残していません。 山手公園は1870年(明治3)に、 横浜居留外国人の手によってつくられた、 わが国最初の洋式公園 だったようで。 また1874年に英国で始まった 「 ローンテニス 」 が 伝わった場所でもあります。 バンガロー風な建物を見つけた瞬間ここが、 「山手68番館」と思ったのは、 実は「 横浜山手・テニス発祥記念館 」。 「わが国でのテニス発祥120周年を 記念して この記念館を設立しました。」ともあり、 展示物のレトロさに勘違いをしてしまいました。 ちなみにこちら は 1998年に建てられたものです。 「 山手68番館 」 →山手公園管理事務所 建築年:1934年(昭和9) 構造:木造平屋 設計:不詳 所在地:横浜市中区山手町・山手公園内 ※建物名をクリックすると グーグルマップ「 虎次郎の横浜洋館まっぷ 」が見れます。

横浜・山手西洋館をあるく ベーリック・ホール

イメージ
「横浜・山手西洋館をあるく」のクライマックス、 スパニッシュな洋館「 ベーリック・ホール 」。 去年の夏ごろに『 美の巨人たち 』で目にして、 こんな洋館が日本にあったことにビックリ!! 関内の洋館は見ていたけれど 山手西洋館 の 存在を知らなかったので是非にとも思い。 超強行スケジュールで 山手西洋館を駆け巡るろうと... ふと思い立ってしまったである。 虎友からは「 どちらがメインなの? 」って、 「トラ観戦」がオマケのように見られていたよう... 虎次郎の洋館好きに火を付けた一軒が、 J.H.モーガン の設計のここ「ベリック邸」。 セントジョセフ・インターナショナル・スクール の 寄宿舎として使われていた頃から、 建築に興味のある人たちを中心に有名だったが、 深い木立に囲まれて周囲からその姿は見えず、 まさに幻の山手西洋館であったらしい。 みどころ満載なので『美の巨人たち』のビデオや 『 横浜洋館散歩 山手とベイエリアを訪ねて 』とか、 ネット情報とかでどこを見るかと予習万全!? でも、いいモノを目前にすると結局バタバタして、 肝心のポイントがカメラに収まっていなかった。 ここ「ベリック邸」でも ウェディング・パーティーの 準備時間とかち合って、 1階の居間には立ち入ることができなかったし、 椰子と棕櫚 (しゅろ) の 前庭にもイスがずらりと... 明るいベージュの壁にはモルタルの鏝 (こて) 跡が そのまま走らせてある洗い出し仕上げ。 「 スタッコ仕上げ 」というらしい... 玄関ポーチを赤いタイルで縁取られたアーチが三連。 屋根がつけられた高い煙突の下をライオンが守る。 壁面に造りつけの「 壁泉 (へきせん) 」。 2階はプライベートスペースなのだが、 外観的にもかわいらしさが見られる。 「 クワットレフォイル 」と呼ばれる 四ツ葉の窓がアクセントを添える。 内部の写真はほとんど撮れなかったのだが、 いろんなところにも抽象化された 草花文様や幾何学文様のアイアンワークたち。 十分に楽しめたなのだけど、やはり駆け足(汗) ライトアップもしてるとのことなので...

横浜・山手西洋館をあるく エリスマン邸

イメージ
チェコ生まれの建築家  アントニン・レーモンド の設計、 外壁のカラーリングがなかなか絶妙です。 壁は白だけどアクセントにグリーンが使われてて、 木もれ日がさすと全体が「 浅緑 」に映る。 生糸貿易商社の横浜支配人格として活躍した スイス人 フリッツ・エリスマン の私邸は、 もとは「山手127番地1」という 海を望む崖の上に建っていて、 夫人は日本人であったこともあり、 和館が付属していていたようだ。 1982年にマンション 建設予定地として、 前年に和館部分が撤去され、 まもなく解体されることになっていたところを、 建築史的に高い評価がなされて、 部材が横浜市に寄付されたのち、 1990年に移築復元された 横浜市における最初の全公開住宅である 。 スレート葺きの屋根に小さな屋根窓、緑の鎧戸、 そして白い パラペット (背の低い手すり状の壁) が レイアウトされたバルコニー。 設計者のレーモンドは、 あの 帝国ホテル旧館 などを手がけた F・L・ライト の助手として来日。 この建物は、彼がそのライトの下を離れて 独立した頃の作品なのだという。 暖炉上部の照明器具とか... 階段回りのデザインとか... 帝国ホテル旧館の空気が漂う。 そしてこちらの浴室。 ここも含めて全館にスチーム暖房... まさに機能的にも完成された住宅だ。 A・レーモンド (Antonin Raymond 1888年〜1976年) チェコ人建築家。1919年(大正8)東京・帝国ホテルの建設に際し、 師F.L.ライトの助手として来日。第二次世界大戦期と最晩年を除いて在日し、 前川国男・吉村順三といった日本人建築家を育成するとともに、 「現代芸術精神と伝統的に本建築の洗練した結晶である多くの建築物を 日本で設計」したことで知られる。(エリスマン邸内 案内板より) 「 エリスマン邸 」 建築年:1926年(大正15) 移築:1990年(平成2) 構造:木造2階建て 設計:A.レーモンド 所在地:横浜市中区元町1丁目・元町公園内 【横浜市認定歴史的建造物】 ※建物名をクリックすると グーグルマップ「 虎次郎の横浜洋館まっぷ 」が見...

横浜・山手西洋館をあるく 山手234番館

イメージ
関東大震災により横浜を離れた外国人に 戻ってもらうため、 その復興事業の一つとして建てられたのが ここ「 山手234番館 」。 1927年頃(昭和2)に 朝香吉蔵 が設計した 外国人向けの共同住宅 (アパートメントハウス)  。 山手の洋館のほとんどが邸宅であるなかで すこし異彩を放つ存在だが、 これが本来の「アパート」というツクりで。 テラスに ローマ風の円柱 が何本も立ちならぶ。 上下の2戸は全く同じ間取りで、 それぞれが対照形で配置されている。 そして2階部分には テラスの代わりにバルコニー 。 どの住戸も出入口はドアだけなので、 現代のマンションのプライバシー空間を思わせる。 ただ、そこは外国人向けの住まいだから、 それぞれに使用人部屋が付設されていた。 部屋のそれぞれには暖炉が設けられていて、 それが建物の左右に配置されているので 山手の洋館らしさの要素を持っている。 第二次大戦後は、米軍による接収などを経たのち、 一時期「ベンジェール化粧品」という会社の 事務所兼倉庫として使用されていたことがあるらしい。 「 山手234番館 」 建築年:1927年頃(昭和2) 構造:木造2階 設計:朝香吉蔵 【横浜市認定歴史的建造物】 横浜市公開西洋館7館の絵葉書「 山手234番館」 ※建物名をクリックすると グーグルマップ「 虎次郎の横浜洋館まっぷ 」が見れます。 横浜の歴史的建造物ポストカード「山手234番館」

横浜・山手西洋館をあるく 横浜山手聖公会

イメージ
かつては「 イギリス寺 」と呼ばれた 「 横浜山手聖公会 」。 2005年1月に火災に遭ったそうだが みごとに復興されていた。 中世ヨーロッパの城塞を思わせるフォルムは、 鉄筋コンクリート造りではあるが 外観に 大谷石 (おおやいし) が貼られていて、 山手のランドマークとして親しまれた建物。 前身の教会堂は日本近代建築の父とも言われた、 イギリス人 ジョサイア・コンドル の 手によるものだったが、 関東大震災によって倒壊焼失している。 その後1931年に J.H.モーガン の設計で 建てられたのだが、 1945年の空襲で屋根と内部を失う。 被災部分を修復して1947年に再生するのだが、 幾多の困難を経ても再生してきたのは、 多くの信仰者が祈りを捧げた証なのだろう。  中世イギリスの ノルマン建築 と ゴシック が混在した 重厚感あふれる外観はまさにランドマークだ 。 正面には平たい裾広がりの尖頭アーチである 「 チューダーアーチ 」が何層にも重ねられている。 庭側の壁面には 三葉アーチ 。 「 横浜山手聖公会 」 (クライストチャーチ) 建築年:1931年(昭和6) 構造:鉄筋コンクリート造り1階・一部2階建て、地下1階 設計:J.H.モーガン 所在地:横浜市中区山手町234 【横浜市認定歴史的建造物】 ※建物名をクリックすると グーグルマップ「 虎次郎の横浜洋館まっぷ 」が見れます。 横浜山手聖公会のHPへ

横浜・山手西洋館をあるく 山手資料館

イメージ
「 山手資料館 」と名付けられた建物は、 横浜山手の西洋館のなかでも異彩を放つ佇まい。 ちょっとメルヘンチックな雰囲気を持つ。 元々は横浜市中区本郷町2丁目あたり、 当時の本牧というところに1909年(明治42)、 中澤兼吉邸 の一部として建てられたもの。 震災の被害は少なかったようだが、 1929年(昭和4)に諏訪町 (横浜市中区) に移築。 戦後は接収されるが永らく中澤家ゆかりの方の 住居として使われていたのだが、 1977年(昭和52)年マンション建設で 取り壊されるところを 当時の「 横浜十番館 」のオーナーの 本多正道 氏が 洋館部分を買い取り、現在地に移築したもの。 隣接する「横浜十番館」 中澤兼吉 の屋敷は戸部村の大工によって建てられ、 この洋館もその日本人大工の手によるものだという。 もともとは和館に附属して建っていたのだそうだ。 フランス瓦で葺かれた独特の形の屋根、 細かい装飾で飾られた妻飾りや破風など。 外壁のドイツ下見板張り、 鎧戸 (よろいと) つきの上げ下げ窓などなど... 明治末期に洋館を建てた 日本人大工の意気込みがここかしこに。 内部には横浜開港期を 偲ばせる資料が展示されていて、 日本最初のビール工場を建設した コープランド 、 ボーイスカウトの創設に携わった グリフィン 、 生麦事件の犠牲者である リチャードソン などの 資料が所狭しと並べられていた。 前庭はバラ園として設えられていて、 まだ満開ではなかったが薔薇の似合う洋館。 ちなみにバラ園は開門時は 自由に立ち入ることができる。 資料館前にある「獅子頭の水道用水栓」。 明治の中頃 英国から横浜市が鋳型を取り寄せて造った。 目の前には外国人墓地・・・ 遠くに「横浜ランドマークタワー」を臨む。 「 山手資料館 」 旧中澤兼吉邸 建築年:1909年(明治42) 構造:木造2階建て 設計:不明 【横浜市認定歴史的建造物】 ※建物名を...