京もみぢ2022 魚山来迎院
"魚山 来迎院" 呂川に沿って
参道を登ってくると、
下界と隔絶した天台宗の古刹。
来迎院は普段でも拝観できますが、
来迎院の非公開特別公開は、
1426年(応永33)の焼失を
免れたも"如来蔵聖教文書類"。
来迎院を建立したとされる
聖応大師良忍の自筆写本など。
"来迎院本坊"とありその興りは、
俗化した叡山を離れた念仏聖による。
寂源が勝林院を1013年(長和3)、
1109年(天仁2)になって
叡山東塔の堂僧 良忍が来迎院。
上院来迎院と下院勝林院を中心に、
大原は坊が集落する別所となり、
古くは魚山 大原寺(だいげんじ)と
称したのだそうです。
本堂には木造漆箔寄木造の
薬師如来、釈迦如来、
阿弥陀如来 三尊を中心に、
不動明王像と毘沙門天像を
脇侍に配する藤原期の様式。
前卓の牡丹唐草透かし彫りは、
鎌倉彫の初期の作と伝わります。
声明の根本道場であったことを
伝える歌舞音曲の天女たちが
天蓋に描かれています。
声明の本山としての血脈は、
のちに湛智、宗快、喜淵などの
声明理論家を輩出し繋がります。
撮影 2022.11.19