TAROさんの腰掛け
《坐ることを拒否する椅子》
"機能的"から反対軸にある
TAROさんのこの椅子が
いわゆる通産省のGマークが取れたか?
おそらく機能そのものを放棄しているから、
不採択…というよりも未エントリーか。
「グッドデザイン商品選定制度」
発足の1957年に先んじて、
百貨店という身近な舞台で
始められたグッドデザイン運動は、
ひろく人々の間に定着。
シャルロットぺリアンと
コミッティーメンバーら
左から一人おいて渡辺力、岡本太郎、
吉阪隆正、ぺリアン、坂倉準三、
そして柳宗理。
いまは「日本デザインコミッティー」、
プロダクトデザインというジャンルは、
彼らたちによって形象づくられました。
太郎さんはたくさんの椅子を
生み出しているのですが、
「芸術はくらしの中でこそ活きる」
という考えで作られたもの。
静岡県伊豆市吉奈温泉の御宿さか屋、
源泉かけ流しの湯の大浴場は、
その名も「太郎さん風呂」。
太郎さんのデザイン・設計で、
太郎さんの得意とする曲線の美しさ、
女性が座った跡を表現したものとか。
浅い段差に腰掛けながら湯浴みができ、
身体の線にちょうど良く合う
心地よさが実現されています。
《座ることを拒否する椅子》は
宿主が浴室内に配したもの、
赤いヤツにはヒビが入っています。
酔ったお客さんの仕業とか…
湯船になだらかな丘が
作成当初は存在したのですが、
お客様に危ないから…
1975年頃に撤去したら
お客様に危ないから…
1975年頃に撤去したら
太郎さんよりお叱りがあったそうです。
「今思えば、苦情があったから
変えるのではなく
"合理的でないことこそ芸術なんだ"
と胸を張るべきでした。」と。
《ほおづえ》1968年
背もたれの部分に
太郎さんデザインの顔があり、
肘かけから脚の部分まで
細部にわたっての曲線が
優雅さを感じさせます。
1969年の《駄々っ子》、
赤の他人座っていると、
だんだんお互いが
向き合ってしまうんだとか…
《駄々っ子》1951年 油彩、カンヴァス
椅子《駄々っ子》…
大阪万博と前後し、
第二次世界大戦にアメリカ海軍が
発明したFRPでできている。
繊維強化プラスチックFRPは、
自由な形状が実現でき、
軽く耐久性があり、
なにより発色の良い素材は
太郎さんを魅了しました。
《太陽の塔》の顔もFRP製、
家具でもその可能性を追求。
1960年代中期より、
太郎はより自由な造形を
生み出しまてきたのです。
《手の椅子》1970年
花のようにパッと開く"赤い手"、
奈良東向商店街の和菓子屋さん
「ふる里」の前にあるのは、
茶色をしています。
中指に「岡本太郎さんの作品です。
腰をかけないでください。」の看板、
「"大仏の手"で、
万博のときに製作されたもので、
もともとは鮮やかな赤色だった
ものを奈良の街には合わないため
茶色に塗ってしまったとか。
大仏の手だったら、
もともと鮮やかな赤色にはしないん
じゃないかと思うんですが…」
ちなみにカラーバリエーションには、
黒がありますが…"大仏の手"は別物。
《手の椅子》はいずれも左手、
「左手」は右脳の出先とされ、
感性および直感力の手。
心の手であり、潜在意識の手。
ちなみにドイツの独裁者は、
右手を掲げていて…
権威権力の支配の手とされます。
岡本太郎の表現はまさに左脳、
左手の「直感」の世界でした。
手前にあるのは《ひもの椅子》、
以前「彩りイス」として
販売されていたもので、
10色を好きなように組合わせ、
世界に一つのイスに仕上げるとか。
生活は芸術そのもの!!
太郎の親しみにふれるイス。
「生活のなかに
生命感のあふれる遊びがない。
それが現代の空虚さだ。
私は素朴な合理主義や
機能主義をのり超えて、
いちだんと激しい生活感、
イマジネーションを
うち出したかったのだ。
そこで、椅子でありながら、
精神的にも、肉体的にも、
人間と「対等づら」する、
こいつらを作った。
生活の中の創造的な笑いである」
太郎さんの言葉…
『原色の呪文 現代の芸術精神』
講談社文芸文庫 2016年より
「今思えば、苦情があったから
変えるのではなく
"合理的でないことこそ芸術なんだ"
と胸を張るべきでした。」と。
《ほおづえ》1968年
背もたれの部分に
太郎さんデザインの顔があり、
肘かけから脚の部分まで
細部にわたっての曲線が
優雅さを感じさせます。
1969年の《駄々っ子》、
赤の他人座っていると、
だんだんお互いが
向き合ってしまうんだとか…
《駄々っ子》1951年 油彩、カンヴァス
椅子《駄々っ子》…
大阪万博と前後し、
第二次世界大戦にアメリカ海軍が
発明したFRPでできている。
繊維強化プラスチックFRPは、
自由な形状が実現でき、
軽く耐久性があり、
なにより発色の良い素材は
太郎さんを魅了しました。
《太陽の塔》の顔もFRP製、
家具でもその可能性を追求。
1960年代中期より、
太郎はより自由な造形を
生み出しまてきたのです。
《手の椅子》1970年
花のようにパッと開く"赤い手"、
奈良東向商店街の和菓子屋さん
「ふる里」の前にあるのは、
茶色をしています。
中指に「岡本太郎さんの作品です。
腰をかけないでください。」の看板、
「"大仏の手"で、
万博のときに製作されたもので、
もともとは鮮やかな赤色だった
ものを奈良の街には合わないため
茶色に塗ってしまったとか。
大仏の手だったら、
もともと鮮やかな赤色にはしないん
じゃないかと思うんですが…」
ちなみにカラーバリエーションには、
黒がありますが…"大仏の手"は別物。
《手の椅子》はいずれも左手、
「左手」は右脳の出先とされ、
感性および直感力の手。
心の手であり、潜在意識の手。
ちなみにドイツの独裁者は、
右手を掲げていて…
権威権力の支配の手とされます。
岡本太郎の表現はまさに左脳、
左手の「直感」の世界でした。
手前にあるのは《ひもの椅子》、
以前「彩りイス」として
販売されていたもので、
10色を好きなように組合わせ、
世界に一つのイスに仕上げるとか。
生活は芸術そのもの!!
太郎の親しみにふれるイス。
「生活のなかに
生命感のあふれる遊びがない。
それが現代の空虚さだ。
私は素朴な合理主義や
機能主義をのり超えて、
いちだんと激しい生活感、
イマジネーションを
うち出したかったのだ。
そこで、椅子でありながら、
精神的にも、肉体的にも、
人間と「対等づら」する、
こいつらを作った。
生活の中の創造的な笑いである」
太郎さんの言葉…
『原色の呪文 現代の芸術精神』
講談社文芸文庫 2016年より