清水寺をあるくvol.5 極彩色と龍虎のこと


1631年再建の西門
極楽浄土への入り口の門、
浄土を観想する日想観の聖所
一般参拝客はこちらを昇らずに…

仁王門を潜ります。こちらが清水寺の正門、
応仁文明の乱によって焼失後、
16世紀初めに再建です。

祖父母の家は京都にあり、
夏休みになると"京都人"だった
虎次郎にとっていまなお
違和感を感ぜずには居られない、
朱塗りの八坂神社の色目…

こちらは京都府教育委員会
残る修学旅行の記念写真の一枚。
撮られたのは1983年ごろ…
左に仁王門、
奥に西門、三重塔が見えます。
こちらの印象しかないのです。

清水寺の現在の伽藍は、
1469年の応仁文明の乱
あとに再建されたものと、
江戸時代1629年の火災後に
再建されたものとなっています。

屋根葺き替えなど建物を維持修理が
繰り返されてきたのみだったので、
塗装についてはほとんど
手が入れられないまま近年に
至っていた
と考えられています。

1984年から87年にかけての
三重塔の半解体修理。
塔の2層と3層を解体し、
組み立て直されたのです。

外部部材の一部に極彩色の
痕跡が発見されました。
丹塗りにすべきかの議論の末、
極彩色として蘇ったのです。

16世紀半ば、戦国時代の頃に
描かれたと伝えられた
《清水寺参詣曼荼羅》には、
朱塗りの伽藍がみられます。
清水の舞台も朱塗り…

鐘楼は平安期に建造、
江戸中期1607年に現在の
場所に再建・移築されました。

菊花彫刻の蟇股

こちらは軒桁を支える
枓栱(ときょう)と呼ばれる組物。

こちらは赤い菊

西門と三重塔は一直線に…

西門も彩色彫刻がてんこ盛り。

蟇股彫刻が秀逸です。

海老虹梁も美しい…

三重塔の塗装復旧は
大きな反響を呼びました…
賛否拮抗ではありましたが、
次第に建築当初の丹塗りや極彩色が
受け止められていったようです。

京都府教委に残る一枚…
別どころのように見えますね。

1994年に西門、1996年に阿弥陀堂、
1999年に鐘楼、2000年に経堂、
2003年仁王門…

2005年に田村堂

2013年に子安塔

2017年に阿弥陀堂の順に。
色的には1633年の再建整備時に
近い状況になったということです。

清水寺の西門前には、
"祥雲青龍" が立ちます。
京都は四神相応の地とされ、
北の船岡山を玄武
南の巨椋池を朱雀
西の山陰道を白虎
そして東の鴨川を青龍
守っているとされています。

そして…清水寺にはにちなむ
スポットもそこかしこに。
西門へと続く石段前にある
"岸駒灯籠" 江戸中~後期の
画家 岸駒(がんく)の虎。
虎が毎夜 出て、
音羽の滝の水を飲んだという
「水飲みの虎」の伝承も残ります。

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