夏詣2025 お三の宮 日枝神社〜京急 南太田駅

夏詣 というのを知っていますか? 2014年に 浅草神社 から提唱されたもの。 今年は12年目を迎え、浅草から台東区、 そして東京から全国津々浦々へと… 京急夏詣2025年を頼りに、 横浜市南区山王町にある お三の宮日枝神社 へ。 お参りした日は京急でなく、 横浜地下鉄 吉野町駅 から向かいました。 市営バス停留所は「お三の宮」 合掌形の破風 がつく日枝神社特有の 「 山王鳥居 」が、 電信柱にも描かれています。 境内には夏詣の提灯、 年の平穏を願う初詣から、 六ヶ月が経つと" 夏越しの大祓 "、 夏詣という言葉は最近のものですが、 "夏越し" というのが一般でした。 「 横濱開拓の守護神 」と称えられ、 1673年(寛文13)年に" 吉田新田 "の 鎮守として、江戸の山王社を 勧請し創建されたもの。 「お三の宮」「お三さま」 と 広く親しまれているのは、 山王宮→山の宮→おさんの宮 と 転訛したのだとか。 《 お三の人柱伝説 》に繋ぎ合わせて、 「お三の宮」と書かれ呼ばれるように… 横浜市の中心部から三の宮所在地までは、 関外地区と呼ばれ、 釣鐘形の入海 でした。 およそ350年前に入海を埋立て新田を 築かれたのが " 吉田新田 " なのです。 手掛けたのは石材木材商を営む 吉田勘兵衛良信 という商人、 新田住民の安寧や五穀豊穣を祈り、 江戸の山王社 を勧請、 併せて稲荷社を創建したとか。 《お三の人柱伝説》は様々 。 新田埋立の最初は失敗に終わって、 再度の工事祈願のため氏神赤坂の 山王社へ参詣した吉田勘兵衛、 日頃念ずる身延山久遠寺にも…・・ 諸国を流浪の「お三」 に巡り合う。 夫の仇を討ちたい お三 に、 期を待つよう促しその機縁で、 お三は勘兵衛家に仕えます。 その後 万治2年のある日、 自ら人柱になりたいと お三、 押し止めたが聞き入れず… 神社の裏の波打ち際より 身を投じた と。 社地内の 堰神社 は、 吉田新田の 用水堰の守り神 。 堰が咳と同音であることから、 いつしか 咳の病に悩む人たち の 篤志をあつめているそうです。 明治の終わり 日露戦捷記念 で 建てられた狛犬が鎮座していて、 溶岩を積み上げた台座の上に鎮座。 戦捷=戦勝 と刻まれたのは、 右足で押さえるのは球...