浦賀の湊てくてくvol.2 浦賀海道の渡船
享保18年(1733)の「東浦賀明細帳」に、
「渡船の修理の折りには、
鴨居村、走水村、内川新田、八幡村、
久里浜村も東西浦賀村と
相応の協力をすること、
船賃は村中のすべての家で
一軒あたり米六合づつ」とあり、
当時の渡船の2隻で2人の船頭が
担っていたと思われます。
明治11年(1878)浦賀町の17町内会が
共同で渡船経営に乗り出したことで、
就航を朝6時から夜10時までと定め、
公営交通としてとなりました。
現在の船は、1998年8月8日就航。
強化プラスチック製の御座船
客席定員は12人
乗り場に客が来れば対岸にいても
すぐ来てくれます。
横須賀市民は200円ですが、
一般は400円でワンデイパスは
大人600円で乗船できます。
浦賀が江戸湾防衛の最前線となったころ、
商人や文化人は親類縁者を頼って宿泊、
ただ宿場でなかった浦賀に、
船乗り以外の旅人を宿泊できず。
身元の確かな人に限り、
村名主に頼むと泊まれる家を紹介、
そこに宿泊することが許されたとか。
文化8年(1811)に旅籠の許可を得たのが、
東浦賀の徳田屋さん。
桜田門外の事件の日、
徳田屋に泊まった房総からの客を
「明朝の取調べが済むまで
止めておくように」との
指示がありながら出発させたとか。
番所の「船改め」を受けなかったらしい。
房総半島へ直行できる船便を
持っていた徳田屋、
徳田屋で飲食することは
庶民の憧れでもあったとか。
浦賀湊に漕ぎ出した船から
芸者さんの弾く三味線と太鼓の音、
「得だ・どくだ」と聞き取れたとか。