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夏詣2025 磐井神社〜京急 大森海岸駅

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573年8月の起源といわれる 京急 大森海岸駅 から徒歩3分、 平安時代中期に律令施行細則、 『 延喜式 』の神名帳記載の 磐井神社 へ。 最寄駅の 大森海岸駅 は、 品川区南大井が所在地。 京急品川区最南端駅 ですが、 ホームの一部は大田区大森北を 跨いでいるのです。 延喜式内社で、旧社格は郷社。 創建は第30代 敏達天皇 の代、 573年と伝わります。 敏達天皇は女性の推古天皇の 夫にあたる人でした。 『 三代実録 』によれば 859年(貞観元年)、 「武蔵国従五位  磐井神社官社に列す」とあり、 武蔵国の八幡社の総社に。 扁額にも「 武蔵国八幡總社 」。 鈴森八幡宮 とも 呼ばれていたことがあり、 京急の駅ができた 1901年(明治34)2月、 駅名は 八幡駅 だったそうで、 1904年の 品川延伸時に海岸駅 に、 1933年7月1日 より現在の 大森海岸駅に改称されました。 『 江戸名所図会 』には 鈴の森八幡宮 とあり、 三韓征伐の折、 長門国豊浦の津より出た神石が 香椎宮(福岡市)に 納められていましたが、 宇佐神宮鎮座 に際して遷座、 八幡大神より霊示あり、 中納言であった 石川豊人 が 武蔵守に任ぜられた際に、 この地に奉斎されたとか。 鈴石 は 神功皇后 ゆかりの石で、 打つと鈴のような 音がしたことから、 「 鈴の森 」地の由来なのです。 解説文は朝顔で見えなかった… ちょっと拝借m(_ _)m 烏石 とは、墨絵のような 鳥の文様が浮きでた自然石で、 江戸時代の書家である 松下烏石 が寄進したもので、 鈴石ともに屋内に。 烏石祠 の文字が見える 江戸文人石碑のひとつ" 烏石碑 "、 1741年(元文6)のもので、 弁天地周辺にあったのを、 境内地整備でまとめられたもの。 こちら弁天池が 笠島弁財天 、 万葉集にみえる 「草陰の荒蘭の崎の笠島を  見つつか君が山路越ゆらむ」 の歌にある" 笠島 "は、 万葉のころの神社周成の地名。 かさ志ま 弁財天 と刻まれます。 旧東海道を歩く 「東海七福神」の一つ、 1932年品川が大東京に 編入された記念として 東海七福神初詣が定められ、 今にいたっています。 北品川から大森まで約4.5㎞、 元旦~成人の日あたりは、 賑わいを見せるとか。 社殿は新造されていますが、 か...

夏詣2025 お三の宮 日枝神社〜京急 南太田駅

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夏詣 というのを知っていますか? 2014年に 浅草神社 から提唱されたもの。 今年は12年目を迎え、浅草から台東区、 そして東京から全国津々浦々へと… 京急夏詣2025年を頼りに、 横浜市南区山王町にある お三の宮日枝神社 へ。 お参りした日は京急でなく、 横浜地下鉄 吉野町駅 から向かいました。 市営バス停留所は「お三の宮」 合掌形の破風 がつく日枝神社特有の 「 山王鳥居 」が、 電信柱にも描かれています。 境内には夏詣の提灯、 年の平穏を願う初詣から、 六ヶ月が経つと" 夏越しの大祓 "、 夏詣という言葉は最近のものですが、 "夏越し" というのが一般でした。 「 横濱開拓の守護神 」と称えられ、 1673年(寛文13)年に" 吉田新田 "の 鎮守として、江戸の山王社を 勧請し創建されたもの。 「お三の宮」「お三さま」 と 広く親しまれているのは、 山王宮→山の宮→おさんの宮 と 転訛したのだとか。 《 お三の人柱伝説 》に繋ぎ合わせて、 「お三の宮」と書かれ呼ばれるように… 横浜市の中心部から三の宮所在地までは、 関外地区と呼ばれ、 釣鐘形の入海 でした。 およそ350年前に入海を埋立て新田を 築かれたのが " 吉田新田 " なのです。 手掛けたのは石材木材商を営む 吉田勘兵衛良信 という商人、 新田住民の安寧や五穀豊穣を祈り、 江戸の山王社 を勧請、 併せて稲荷社を創建したとか。 《お三の人柱伝説》は様々 。 新田埋立の最初は失敗に終わって、 再度の工事祈願のため氏神赤坂の 山王社へ参詣した吉田勘兵衛、 日頃念ずる身延山久遠寺にも…・・ 諸国を流浪の「お三」 に巡り合う。 夫の仇を討ちたい お三 に、 期を待つよう促しその機縁で、 お三は勘兵衛家に仕えます。 その後 万治2年のある日、 自ら人柱になりたいと お三、 押し止めたが聞き入れず… 神社の裏の波打ち際より 身を投じた と。 社地内の 堰神社 は、 吉田新田の 用水堰の守り神 。 堰が咳と同音であることから、 いつしか 咳の病に悩む人たち の 篤志をあつめているそうです。 明治の終わり 日露戦捷記念 で 建てられた狛犬が鎮座していて、 溶岩を積み上げた台座の上に鎮座。 戦捷=戦勝 と刻まれたのは、 右足で押さえるのは球...