1970EXPOユニコレ② ホステスは8番目
パビリオンにおけるホステス。
存在自体が展示とされ、
多くの来場者の注目の的。
"月の石"で人気を集めた
アメリカ館の展示は7部門。
NASAのアポロ8号の司令船の実物
月着陸船の実物などなど。
日本語も話せる女性が
優先的に採用されて、
開幕前の2週間は、
日本人家庭にホームステイ。
日本人の生活に直接触れ、
本番にのぞむ意気込みでした。
28人のホストと28人のホステス、
「アメリカのイメージ」を
生のアメリカ人によって見せる
まさに"8場目の展示"、
アメリカはこう位置づけていました。
スポーティーな装いでアメリカを表現、
合服と夏服ではデザイが違っていて、
合服は白色のミニのワンピースに
紺色のベルトと紺色のタイ、
そして赤いパンプス。
夏服は紺色をベースとして
白色のラインが入った
ミニのワンピース。
どちらも赤いベレー帽。
合服の夏服の両色をミックス、
合衆国旗をよりイメージした
縦の切り返しを生かしたカラフルな
バージョンも存在しました。
会場のエアー・ドームは、
会場のエアー・ドームは、
世界初の低ライズによる
巨大空気膜構造を手かげたのは、
太陽工業(株)さんで、
創業は1922年の大阪市大正区、
「能村テント商会」がルーツなのです。
1988年の日本初のドーム球場、
東京ドームに繋がるのです。
巨大空気膜構造を手かげたのは、
太陽工業(株)さんで、
創業は1922年の大阪市大正区、
「能村テント商会」がルーツなのです。
1988年の日本初のドーム球場、
東京ドームに繋がるのです。
"世界のファッションショー"と
称された大阪万博。
フランス館のデザインは、
クリスチャン・ディオール。
ただアメリカ館に比べて
フランス人ホステスはたったの6人、
日本語は挨拶程度だったとか。
日本人ホステス40人が対応しました。
アオザイ姿のホステスのベトナム館、
大阪万博は目を惹くユニホームが
溢れる場所でした。
日本館のユニフォームというと、
白色基調に赤色がアクセントの
日本館ユニフォームのポイント、
日の丸イメージの金色を添えていました。
日本館は3万7,791平方メートル敷地、
これは日本国土の約千万分の1を
示していました。
帽子は白色ジョッキーハット、
左肩にショルダーバッグを固定する
エポーレットと呼ばれる肩章、
帽子のテッペンと同じ朱色の
リリアンがあしらわれいます。
白色のブーツを履いていました。
夏服は半袖でパンプス、
バトンを持つ姿が愛らしい。
パビリオンは中央にある
高さ80メートルの塔を中心に、
5つの円形建物。
空からみると桜の花びらのよう…
万国博のシンボルマークを
かたどったものでした。
こちらも展示品の一つ徽章…
"安藤七寶店"が手掛けたもので、
1880年創業の名古屋の
「名古屋七宝」の老舗の御製です。
1970EXPOユニコレぼちぼち、
紹介していきます。
称された大阪万博。
フランス館のデザインは、
クリスチャン・ディオール。
ただアメリカ館に比べて
フランス人ホステスはたったの6人、
日本語は挨拶程度だったとか。
日本人ホステス40人が対応しました。
アオザイ姿のホステスのベトナム館、
大阪万博は目を惹くユニホームが
溢れる場所でした。
日本館のユニフォームというと、
白色基調に赤色がアクセントの
日本館ユニフォームのポイント、
日の丸イメージの金色を添えていました。
日本館は3万7,791平方メートル敷地、
これは日本国土の約千万分の1を
示していました。
帽子は白色ジョッキーハット、
左肩にショルダーバッグを固定する
エポーレットと呼ばれる肩章、
帽子のテッペンと同じ朱色の
リリアンがあしらわれいます。
白色のブーツを履いていました。
夏服は半袖でパンプス、
バトンを持つ姿が愛らしい。
パビリオンは中央にある
高さ80メートルの塔を中心に、
5つの円形建物。
空からみると桜の花びらのよう…
万国博のシンボルマークを
かたどったものでした。
こちらも展示品の一つ徽章…
"安藤七寶店"が手掛けたもので、
1880年創業の名古屋の
「名古屋七宝」の老舗の御製です。
1970EXPOユニコレぼちぼち、
紹介していきます。