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1月, 2023の投稿を表示しています

京の冬の旅2023 醍醐寺 三宝院

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醍醐山五大力尊 の幟が五色で揺れる 醍醐寺へは今回の"京の冬の旅2023"、 " アンディウォーホルキョウト "の続き… 1月第三週に行こうとしたですが、 京都地下鉄 小野駅 からバス乗り換えが、 うまくいかずに再度訪問。 三宝院には2022年に見ていたので、 さきに理性院をおとずれてから… やはり見ておこうと再び拝観しました。 その前に腹ごしらえ… " 醍醐寺薬膳カレー " 霊宝館 の門内にあるフレンチ・カフェ 「フレンチカフェ ル・クロ   スゥ ル スリジェ ~桜の樹の下で~」 イケア・ジャパン 株式会社の 協力とか… さすが醍醐寺さんです。 桜の樹が色づくときは予約必須です。 三宝院表書院 に入ると… 書院内撮影NGの2022年 に 打って変わって 📷OKのサイン 。 FB、Instagram、Twitter、 LINEのロゴ がならんでいました。 仏像の尊顔をのぞけば ほぼフリー、 本殿金碧障壁画 を! 長谷川等伯一派 の作です。 違い棚のある「 上段の間 」も… こちら「 葵の間 」 槍山での秀吉の" 醍醐の花見 "の 茅葺屋根の茶屋移築の" 純浄観 "、 日本画家 浜田泰介 さんの桜 そして紅葉 違い棚のバックにも桜 瓢箪と盃の庭 弥勒堂内陣… 快慶作の弥勒菩薩像 と再び対面。 人気がほとんどありません… ただツアーバスとかで 午前中は混雑していたとか。 奥宸殿の「上座の間」の"醍醐棚" 、 こちらは今回も撮らせてもらえず。 秀吉が座主 義演に贈った " 金天文茶碗 "と" 天目台 "… こちらは「 別冊旅の手帖 」より。 木製の椀に金を貼り付け、 覆輪や釉薬の垂れ跡など 陶器の天目茶碗の特徴を、 彫金の技 で細かく再現したもの。 玄関にもどると… 西国巡礼 の方々の姿 十一番札所の大伝法院 こと " 観音堂 "でも再びお会いしました。 五重塔 … 春にも訪れねばなりません。 世界遺産メダル とか… 収集癖が再燃するやも(笑)

京の冬の旅2023 知恩院 大方丈・小方丈

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京の冬の旅は寺院により期日さまざま、 知恩院 さんは年末に訪れましたが… 特別公開は1月20日スタートで、 先週行ってきました。 再訪問なので 勝手知ったる … それでも初めて訪れた人は、 迷われてるようでしたので、 ご案内を… 忘れ傘 の下を通って… 御影堂 の回りをぐるりと… 集会堂 (しゅうえどう)よりさらに右手へ 「欣求浄土」 の特別朱印の授与、 ここではなく朱印所にて。 " 知恩院の七不思議 "の展示の先に 大方丈・小方丈があるのです。 大方丈・小方丈 ともに 徳川家光 の 寄進により1641(寛永18)年に建立。 大方丈の「上段の間」は二条城 と 同形式の書院造が用いられいます。 徳川将軍が御成りの折に使用、 床、棚、付書院、帳台構が付く。 そして狩野派お得意の豪快な松、 襖から飛び出すほどの力強さ… 大方丈「仙人の間」 中国の故事をもとにした 西王母や仙人たちが描かれ、 警護の侍が控えた 武者隠し も作られるなど、 城郭にみられる設えになっています。 仏間の「鶴の間」 は、最も広く、 光が当たると、金箔の反射… 鶴の姿が生き生きとしていました。 中央には歴代天皇と、 徳川将軍家の位牌が祀られています。 描かれる鶴は九羽ですが、 廊下からはすべてを 認めることはできません。 松、岩、流水とともに華麗な姿、 さまざまな動きを見せる鶴たち。 いわゆる" 金碧障壁画 "でして、 狩野探幽の弟にあたる 狩野尚信 が 描いたものとされています。 実は尚信の作品はあまり 残されてないのでして、 まとまって見れるチャンスは、 次はいつのことになるやら、 京の冬の旅2023の一番のオススメは、 ここ知恩院大方丈・小方丈 なのです。 小方丈は将軍上洛の折に宿泊 した所、 6つの部屋からなっています。 ちなみに" こほうじょう "と読むとか… 小方丈「上段」 には、 床・棚・付書院・帳台構が付く。 大方丈が金箔を用いた 豊かな色彩であるのに比べ、 小方丈は対照的に水墨画 で飾られ、 落ち着いた雰囲気に包まれてるのは、 将軍のプライベート空間 との理由。 小方丈「雪中山水の間」 狩野尚信筆の"雪中山水図" 、 正面には大床が設けられていて、 「 華頂山 」の原筆の複製を飾る。 お気づきの方はおら

京の冬の旅2023+ 長尾天満宮

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醍醐寺の鎮守社 の一つ" 長尾天満宮 "、 所在表示は京都市伏見区" 醍醐伽藍町 "… 940(天暦3)年と創建とは 『山城名勝志』と記されるが、 1801(享和元)年に社殿再建。 その後火災にあい改めて再建、 現在の社殿は1821(文政4)年のこと。 理性院 に対峙するように鳥居があり… 二の鳥居から石段が続く かなりの段数を上りました。 途中に" 頼政道跡 " 源頼政 が平氏打倒に 後白河法皇 皇子、 以仁王を奉じて1180(治承4)年 挙兵。 その後兵士に追われ近江 円城寺 から、 平城を目指し宇治へと抜けた間道。 宇治川合戦 に敗れ自害となったのは 平等院と伝わっています。 『源平盛衰記』 にこう記されます 「醍醐路に 懸かりて 小幡の里を  伝いつつ宇治へ」 。 180段の石段を上りきると 右手に梵字のある石塔、 " 菅公衣裳塚 "で太宰府最期の道真の 衣裳や遺物が埋められた地なのです。 醍醐天皇 の勅願とされる長尾天満宮は、 北野天満宮創建の947年のわずか2年後、 かつて菅公がこの地に遊覧の折、 醍醐寺開祖の理源大師 との約束… 一世 勧賢座主 が 太宰府から持ち帰ったとか。 菅公の 「東風ふかば にほひをこせよ 梅の花  主なしとて 春な忘れぞ」 とともに、 「手向けして 春やゆくらし ちはやぶる  長尾の宮の 花のゆふして」 前中納言定家の句が添えられています。 拝殿には必勝の文字 冒頭の 神牛 の後ろに描かれていたのは、 画家 橘ナオキ さんの《 悠久之歌 》。 再建200周年に奉納されたものだとか… 美しい彩りのなかに四霊と呼ばれる、 麒麟、霊亀、鳳凰、龍 が踊る… こちら生野コリアンタウンにある " 御幸森天神宮 "に奉納された 昨年寅年の大絵馬のワンショット。 長尾天満宮の絵馬掛けにもアート。 Kami絵馬 ミリオンハート とか… トレッキングの人が 一休みされていましたが、 境内はひっそりと… 毎年7月に七夕祭りを開催、 地域住民の交流の場となり、 紅葉の時期も賑わうそうです。 透塀手前には3基の 石燈籠 が 東西一列に並んでいます。 " 長尾宮 下醍醐 "とみえます… 参道両側のは1653(貞応2)年と翌年に、 清