京の冬の旅2023 東本願寺 白書院


東本願寺"京の冬の旅2023"…
"白書院" 金地の障壁画と欄間が輝く…

大寝殿から廊下、回廊つたい…

木立の奥にみえるのが"白書院"

回廊を曲がると"能舞台"

1880(明治13)年の両堂 釿始式の際、
白洲仮設用として組み立てらたもの。
かつては移動式だったのですが、
1937(昭和12)年から固定常設され、
固定式に直されときに屋根瓦に。
鏡板の雄大な松??
京都画壇重鎮の幸野楳嶺の筆。
養生のため板で覆われているか、
逆光で見えないのか…
よくわかりませんでした。

白書院を観覧席として建てられており、
御遠忌などの大法要では"本願寺能"。
東本願寺と能とのかかわりは、
500年前に遡るそうでして、
お説教に飽きた人(笑)への、
今で言う"アイスブレイク"…
楽しませつつ布教活動したのです。

1911(明治44)の親鸞遠忌大法要では、
"式能"としていう最も正式な能が!!
「翁」から始まって、高砂、道成寺、
二人静、船弁慶など9曲に、
途中に狂言も入る長丁場
だったとか。
最初に能の筋とは無関係に
当世を称えた謡を謡う「開口」…
徳川将軍家と東本願寺に伝わるもの、
それも加わるとさらに長くなる。

蓮如上人が『御文(おふみ)』ともに、
導入したのが始まりとされています。
御遠忌の円成(えんじょう)や
釿始(ちょうなはじめ)など、
慶讃(きょうさん)を意味しました。
ちなみに「円成」とは
"仏の覚りをわたしのなかに
完成すること
"という意味、
物事の完成という言葉に転じ、
大法要などの終了を「円成」
そして「釿始」は起工式のこと。

"能のくだり"が長くなりました…
いざ"白書院"へ。

宗祖親鸞聖人六百五十回御遠忌
1911(明治4)年に際して、
大阪の戸田猶七氏の寄進により再建。
柱その他の用材が白木であって、
漆などを塗らずに仕立て上げられた、
そのことに由来し"白書院"。

天井は"格天井"

"小組格天井"の控間

そして上段の間である"一の間"は、
折上小組格天井」の設え。
格があがっていくのです。

帳台構に違棚を設えた正式な書院造、
ここにも"亀岡式"のデザイン。

金具



亀岡末吉ワークの冴え…

障壁画には藤や牡丹が描かれています。

親鸞聖人の出身は藤原氏一族
日野家であることから""



本願寺の寺紋が牡丹であることから、
牡丹も襖に描かれていました。
能舞台鏡板の幸野楳嶺の子、
幸野西湖、森本東閣、伊藤鷺城ら、
京都画壇の技が白書院の
格を支えているのです。
幸野西湖は次男で竹内栖鳳に師事。

森本東閣が楳嶺の長男で、
菊池契月の画塾に参加、
京都と奈良帝室博物館の館長、
森本後凋の養子。

伊藤鷺城は歴史画もよく描いた人で、
妻の伊藤小坡も画家として活躍…
ちなみに小坡は猿田彦神社の
宮司の娘であったこともあり、
猿田彦神社近くに伊藤小坡美術館



最後に一の間の手前に掲げられている
国豊民安(こくぶみんあん)」の額。
閑院宮載仁(ことひと)親王の筆。
『大無量寿経』の下巻にある言葉、
「天下和順 兵戈無用 国豊民安」
世の中が平和に治まり、
武器をとって争うこともなく、
人々は徳を尊び、国も豊かに、
民衆は平穏に暮せる…
そう願いたいものです。

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