京の冬の旅2023+ 長尾天満宮


醍醐寺の鎮守社の一つ"長尾天満宮"、
所在表示は京都市伏見区"醍醐伽藍町"…
940(天暦3)年と創建とは
『山城名勝志』と記されるが、
1801(享和元)年に社殿再建。

その後火災にあい改めて再建、
現在の社殿は1821(文政4)年のこと。

理性院に対峙するように鳥居があり…

二の鳥居から石段が続く

かなりの段数を上りました。

途中に"頼政道跡"
源頼政が平氏打倒に後白河法皇皇子、
以仁王を奉じて1180(治承4)年 挙兵。
その後兵士に追われ近江 円城寺から、
平城を目指し宇治へと抜けた間道。
宇治川合戦に敗れ自害となったのは
平等院と伝わっています。
『源平盛衰記』にこう記されます
「醍醐路に 懸かりて 小幡の里を
 伝いつつ宇治へ」


180段の石段を上りきると
右手に梵字のある石塔、
"菅公衣裳塚"で太宰府最期の道真の
衣裳や遺物が埋められた地なのです。
醍醐天皇の勅願とされる長尾天満宮は、
北野天満宮創建の947年のわずか2年後、
かつて菅公がこの地に遊覧の折、
醍醐寺開祖の理源大師との約束…
一世 勧賢座主
太宰府から持ち帰ったとか。

菅公の
「東風ふかば にほひをこせよ 梅の花
 主なしとて 春な忘れぞ」
とともに、
「手向けして 春やゆくらし ちはやぶる
 長尾の宮の 花のゆふして」

前中納言定家の句が添えられています。

拝殿には必勝の文字

冒頭の神牛の後ろに描かれていたのは、
画家 橘ナオキさんの《悠久之歌》。

再建200周年に奉納されたものだとか…

美しい彩りのなかに四霊と呼ばれる、
麒麟、霊亀、鳳凰、龍が踊る…

こちら生野コリアンタウンにある
"御幸森天神宮"に奉納された
昨年寅年の大絵馬のワンショット。

長尾天満宮の絵馬掛けにもアート。

Kami絵馬 ミリオンハートとか…

トレッキングの人が
一休みされていましたが、
境内はひっそりと…
毎年7月に七夕祭りを開催、
地域住民の交流の場となり、
紅葉の時期も賑わうそうです。

透塀手前には3基の石燈籠が
東西一列に並んでいます。

"長尾宮 下醍醐"とみえます…
参道両側のは1653(貞応2)年と翌年に、
清香院が寄進の刻がみてとれます。
やや西には 清水数馬勝正の寄進、
父にあたる清水道是は
醍醐寺理性院に仕えていた人物。

清水数馬勝正寄進の石燈籠は、
醍醐寺清瀧宮の正面にも立ち、
醍醐寺との関係を示しています。

透塀には亀、枇杷、
松竹梅、鶴、雉、尾長鳥
が丁寧に彫られていますが…
網に覆われていますが、
かなり傷んでいます。
添え柱の刻に文政4年とあり、
本殿とともに建てられたようです。

本殿の装飾彫刻が秀逸でした!

正面の中備の蟇股
格狭間のように形づくられ、
"眠連子"を入れられていて、
長押には五色の石畳紋様も。

蟇股は中央に"豊干禅師"と虎と竹
四睡図》長澤蘆雪

こちらは豊干禅師が虎とともに、
弟子の寒山・拾得も加わる。

東に"鉄拐仙人"と松

西に"蝦蟇仙人"と蛙蟇と梅
輪郭からはみ出しての彫。

京都 知恩寺に伝わる《蝦蟇鉄拐図
鉄の杖を胸元にたてかけた"李鉄拐"、
大きな蝦蟇の白蟾を肩にのせる
劉海蟾蝦蟇仙人と呼ばれます。
蝦蟇仙人不老長寿の桃を持つが、
鉄拐仙人は魂を吹き出し
脱けがらとなり死色を帯びる
生死の対比として描かれています。

二重虹梁の妻には鶴の蟇股で、
反対側には蓑亀が刻されていました。
笈形付大瓶束が立てられ、
斗栱の木鼻はに頭貫木鼻は獅子

脇障子は東に"鯉の滝登り"

西に"獅子の子落し"を題材にした
透かし彫りが斜めに立ちます。
同作例の脇障子がある
滋賀県野洲市の大笹原神社は、
国宝に指定されていますが、
長尾天満宮は2021年に
"京都市文化財"に留まっています。

「京都市内の流造本殿
 保守的で装飾彫刻が
 少ないのが一般的であるが,
 長尾天満宮本殿及び透塀は
 全体にわたって華麗な装飾」
京都市文化財保護課の
千木良礼
子さんのレポートは、
そう締めくくられていました。

彩色があるうちに…


※このブログは千木良礼子さんの
長尾天満宮本殿及び透塀の調査について
を参考にしました。

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