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5月, 2015の投稿を表示しています

神戸山の手をあるく〜旧シェー邸

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「 スターバックス 神戸北野異人館店 」 れっきとした登録有形文化財の指定のある 洋館なのでありまして、 1907年(明治40)に建築の住宅で、 当初は米国人が所有していたものです。  これも当時からあったかはフメイです。 現在ガラスが入れられている ベランダ は、 解体時に床に水の流れをよくする 勾配が取ってあったことが見つかっており、 当初は解放された屋外であったのだそうです。 当初はアメリカ人シェー氏の邸宅、 その後数度所有者が変わったそうですが、 NHK朝の連続テレビ小説『 風見鶏 』の 主人公のモデルであるドイツパン職人 ハインリヒ・ブルクマイヤー が所有者となって、 その息子に受け継がれていたと伝わります。  1995年の阪神・淡路大震災で被害を受けて、 まさに取り壊される予定だったそうですが、 神戸市が建物の寄贈を受けた上で解体、 部材保管した後にここに再建・移築されたもの。  マントルピース なども活用されていて…  各部屋とも 個性的な表情をみせていました。 「北野物語館」 M.J.シェー邸→ 建築年:1907年(明治40) 再建・移築年:2001年(平成13) 構造:木造2階建、瓦葺 所在地:神戸市中央区北野町3-1-31 【国 登録有形文化財(建造物)】

関大 天六からの訣別

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発祥の地からの訣別をした 関西大学 。 大阪市北区鶴野町で あらたな拠点づくりをされるとか… 「関西大学は明治 19(1886)年に  夜間の法律学校として創立されました。  昭和4(1929)年に開設した   天六キャンパス(旧称:天六学舎)では、  この伝統を受け継いで長らく夜間教育が行われ、  数多の優れ た人材が輩出しました。  しかし、時代の趨勢から、  平成6(1994)年4月には第2部(夜間部)の  全学部を千里山キャンパスへ  全面移転することになりました。」… あんまり 関西大学のことは知らないのです。 いやホントに(TдT) 校門の表札も すっかり剥がされておりました。 門柱をみると照明器具をはめこんだ、 アールデコ だったようですが・・・ この外壁に想いを寄せるのも、 あと少しです。 よく見ると煉瓦塀だったようですね。 近くにはモダンビルがならぶ。 この界隈は 知の発信地 で あったのだと。 マチの公民館的存在「 豊崎東会館 」、 かつての名は 大阪市立心華婦人会館 。 2階窓下の 台形の凹み が なかなかオモシロイ。 ここにもコンクリートブロックの台座。 おとなりは もと「 大阪市立豊崎勤労学校 」。 勤労学校は男子児童向けで、 心華婦人会館方は女子児童向けでした。 豊崎勤労学校 には木造工場が併設で、 家具・玩具の木工、塗装などの 職業実習が行われていたそうです。 一般の学校が夏休みの時期には、 近くの学校の机や椅子などの修繕に 出向いって行ったそうです。 就学者には衣食が与えられていたそうで、 実習で得た代金や製品の売り上げは 児童に支給されたとか。 一部は貯金させて卒業後の資金づくりも… 修学資金だけを給付したり、 貸し付けたりする現在の状況とは、 隔世の感がありますが、 見習うとこがありますね。  さくら色に塗られた きれいな近代建築。 今は「みおつくし福祉会大淀寮」とも 称されていますが、 もとは1926年建設の 長柄共同宿泊所 。 共同宿泊所 とは、 単身低賃金労働に提供された 安

天満紡績の赤レンガ

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環状線で京橋から大阪駅に向かうとき、 よく見える天満の赤レンガ。 NKCの旗がはためく… そして「 中西金属工業 」の文字。 かつてあった「 天満紡績会社 」の 工場棟として明治時代に建てられたもの。 改装された本社棟内部  (中西金属工業㈱HPより転載) ところで今使っておられる中西金属工業、 自動車関連をはじめとした産業用機械、 電気製品の心臓部を担うといわれる ベアリング・リテーナーをはじめ、 自動車生産ラインなどの生産ラインのコンベア、 そしてサッシなどの住宅部品を作ってる会社。 天満紡績会社 は 1888年(明治20)創業の紡績会社で、 後に“綿の王”といわれた 谷口房蔵 が 経営する 大阪合同紡績への合併を経て、 東洋紡 の源流のひとつとなった会社。 天満紡績といえば… 日本で最初に 女工らによる ストライキ が 行われたことで知られています。  サッシが入替えられ2階建てのかつての工場は、 事務所として快適に使われているそうです。 反対側に建っているのは、 かつての天満紡績の事務所棟。 1階の壁面は コンクリートブロック積み 、 2階はモザイクタイル貼り仕上げ。 昭和初期に現在の外観になったのだそうです。 コンクリートブロックは 明治後半から大正期にかけて、 煉瓦や石に代わる組積造建築の建材として 売り出されていたそうです。 ただ現存する… コンクリートブロックを用いた例は、 神戸市垂水区の 移情閣 くらいとかで、 あまり他に例がないとのことです 。 「1 階が石造風、2 階はタイル張り、  屋根が寄棟造桟瓦葺という和風づくり。  天井が高く、階段は急勾配、  手すりまわりの古風な意匠などに、  明治の香りが漂う。」のだとか…  ぐるりと路地をまわると赤レンガが続く。 建物内部は柱の数が多く、 上部はV字型で2階床を支えているそうです。  壁面のアーチがなんともいい感じ。 大阪歴史博物館から歴史的建造物指定の 希望の有無を問われたことがあるそうですが、 この指定を受けると内外改装など 工事を制限されることから辞退されたとか。 亀裂の入っている

『百日紅』浮世絵伝〜北斎「美人愛猫図」

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《 美人愛猫図 》 (びじんあいびょうず) 葛飾北斎 画、絹本着色、1幅、江戸時代 『 百日紅 』を観たのは朝イチだったので、 天王寺公園内の大阪市美でやってた シカゴから里帰り日本初公開の 「 肉筆浮世絵 美の競演 」。 いつもチェックしてる「 美の巨人 」でも これは二度と見れんから行っとこう… と思っていたので(・ω・)v 浮世絵の展示ってとにかく・・・ 立てこんでてモノも小さいので、 大々行列だろうなと思っていたのですが、 意外と日曜日なのにゆったりと観れました! 6月21日までやってはりますよ。 で…北斎の「美人愛猫図」を 愛猫図とあるが愛らしい?? ただ猫は年老いているように見ゆる。 貝殻を砕いた胡粉にて白粉を はたくように何度も薄く重ねた白肌。 対峙的に女性に大事に抱えられた猫は、 お世辞にも可愛くなく不気味な風貌。 女性に目線を戻すと愛おしさより哀れみ、 もの憂えげで寂しそうに見える。 こちらは 磯田湖龍斎 ※ 同題の、 《 美人愛猫図 》(東京国立博物館 蔵)。 『源氏物語』「若菜 」での物語、 「 女三の宮 」の見立になっているお題。 女三の宮を題材した浮世絵は、 数多くあるらしいそうですが、 北斎とはちょっと構図が異なっています。 「女三の宮」での猫の登場はこんな感じ… 蹴鞠の遊びで疲れた夕霧と柏木が 寝殿西面の階 (きざし) に 腰掛けて休んでいたちょうどその時、 首紐の付けられた小猫が 大きい猫に追いかけられて飛び出した。 首紐は御簾の端を捉え、 ちょうど女三の宮が立っている前の 御簾を跳ね上げた。 柏木の目に源氏の正室となった 女三の宮の姿が飛び込んできたという。 《 女三の宮と猫 》 鈴木春信 画  (ボストン美術館 蔵) こちらの猫にも赤い長紐がはっきり。 「 美の巨人 」解説  河野元昭 さんによると、 北斎は光景を写実的に描いたのではなく 源氏物語にある物語が埋め込まれていて、 そこには見たままを写し取るのではない 芸術家としての魂を注ぎ込まれていると… 版画ではなく肉筆画であるからこそ 、 北斎の筆致がたどれる と

『百日紅』浮世絵伝〜歌川国直

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《 二美人図 》歌川国直 画, 双幅  (1830-54年ごろ 東京国立博物館) 浮世絵の “浮世” というコトバは、 昔の仏教用語の一つ。 はかない世、苦界、無常の世 ということを指しています。 江戸の町人たちは、 喜びと楽しみに満ちた現世で、 それぞれに置かれた ポジションで満喫していました 。 そんなことをイマに伝えるモノ、 それが「 浮世絵 」というものなのです。 『 浮世床 』挿絵 歌川国直 筆 市民生活をあざやかに描き出した 江戸後期の代表的な滑稽本に 『 浮世風呂 』という作品があります。 作者 式亭三馬 (しきてい さんば) は、 自身も古本屋を営んでいた戯作者。 もう一つの代表作が『 浮世床 』、 その挿絵を描いたのが 国直 その人です。 国直は信濃国の生まれ、 初めは 明画 を学んでいたようですが、 葛飾北斎 に魅かれて 豊国風 を学び、 初代豊国の門人でありました。 師名「 国 」を字を許されて 歌川国直 と称するようになりました。 《 関三十郎 七役相勤申候 》 忠臣蔵の七役を演じる 関三十郎の役者絵 役者絵を得意としただけに、 場面設定や雰囲気描写にも 手を抜かないので絵草紙類では、 国貞 と比肩する非凡さを発揮! 判官が切腹の処分を申し渡され、 すでに覚悟を決めていた判官が 由良之助を待つ場面です。 《 浮絵忠臣蔵・四段目之図 》 北斎の得意とする「 一点透視法 」、 中央奥の判官を注目させて、 奥行きの深さはまさに絶妙です。 歌舞伎では唯一このシーンでは、 遅れてきた客や弁当の差し入れなどの 外部の出入りを遮断する という、 静寂で厳粛なシーンなのです。 題目の “浮絵” は浮世絵の種類の一つ、 西洋絵画から取り入れた 遠近透視図法 を用いられていて、 焦点が画面の奥にあるのです。 いわゆる「 消失点 」に向かって 奥へと立体感が構成されています。 《 浮絵忠臣蔵・十段目之図 》 「 国直 」 新進気鋭の絵師、十九歳。 歌川一門の門弟だが 北斎を尊敬している。 芯のある女が好みで、 お栄 に対して好意を寄せる。 『百日紅』映画パンフより 最後に・・・ 大阪市立美術館で里