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大倉集古館をたずねてvol.5 極楽浄土そして…

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《阿弥陀如来来迎図》  鎌倉~南北朝時代 14世紀  大倉集古館蔵 仏が住む世界" 浄土 "、 阿弥陀来迎図とは仏菩薩が 迎えに来る様を描いた仏画、 極楽浄土へと往生を願う人々が 臨終の際に本尊として掛ける。 《山越阿弥陀図》  冷泉為恭(1823~64)筆  江戸時代・文久3年(1863)  大倉集古館蔵 重要美術品 鎌倉時代の悉皆金色の 阿弥陀とは異なって、 彩度の高く" やまと絵" の 山水景の中に影向するさま を描かれています。 復古やまと絵の絵師である 冷泉為恭 は『 伴大納言絵巻 』 の 閲覧許可を得るため、 小浜藩主・酒井忠義 に 近づいたことが、 佐幕派とみなされ 尊王攘夷派 から 命を狙われたとか。 《探幽縮図 地獄十王図巻》  狩野探幽(1602~74)筆  江戸時代・17世紀  大倉集古館蔵 重要美術品 幕府御用絵師の 狩野探幽 が、 諸大名たちから持ち込まれた 絵画を丹念に縮小模写したもの。 十王 とは道教や仏教で 地獄において亡者の審判を行う 10尊を指していて、 閻魔王は浄玻璃の鏡を使い、 生前の善悪を見抜き、 "六道" の行き先の審判を 担当したとされています。 六道とは、天上・人間・修羅・ 畜生・餓鬼・地獄をいいます。 《空也上人絵伝》  室町時代、16世紀  大倉集古館蔵 浄土教、念仏信仰の 先駆 空也 の生涯が描いたもの。 橋を架け井戸を掘るなど " 市聖 "とも呼ばれました。 上部から、鞍馬山で修行、 毘沙門天の導きで剃髪し、 松尾明神に鉦鼓を与えられる。 鹿角杖を持ち、 鉦鼓をたたきながら 念仏を唱えると、 口から阿弥陀仏の小仏が 飛び出たのだと伝わります。 《春日鹿曼荼羅図》  室町時代・15世紀  大倉集古館蔵 平安時代後期になると、 日本の神々は仏教の仏菩薩が 衆生を救済するために 姿を変えて現れたとする "本地垂迹説" が生まれました。 本図は奈良 春日大社の 神体山である御蓋山と 春日奥山の山容を背景に、 春日神の使いである 神鹿 が雲に乗って飛来。 神鹿の鞍上には榊を戴き、 上に金色の円相を表しています。 《僧形八幡神像》  南北朝時代・14世紀  大倉集古館蔵 八幡神が僧侶の姿で 表現された神像、 頭上に描かれた深...

大倉集古館をたずねてvol.4 祈りと救いの美 仏教伝来と釈迦如来

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《聖徳太子勝鬘経講讃図》 鎌倉時代・14世紀 大倉集古館蔵 重要美術品 推古天皇14年(606)7月、 35歳の 厩戸王 が天皇に命じられ、 『勝鬘経』を講じたという 故事が描かれています。 日本へは仏教伝来は、 538 年(あるいは 552 年)に 百済の聖明王が伝えたのが 最初といわれています。 《聖徳太子勝鬘経講讃図》では、 朱色の袍に袈裟を 着けた 聖徳太子 が、 机上の経典を前に坐し、 左側に 山背大兄王 、 高麗法師 恵慈 、 百済博士 学呵 、 右側に聴聞する 蘇我馬子 と 小野妹子 が描かれています。 《古経貼交屏風》 6曲1双のうち 奈良~鎌倉時代(8~13世紀) 《百万塔陀羅尼》 宝亀元年(770)と制作年代が判る 世界最古の印刷物でもあります。 《観音菩薩坐像》 中国・金・元時代(13~14世紀) 大倉集古館蔵 頭部正面に 禅定印 を結ぶ 化仏の坐像、宝冠をつける。 ふくよかな顔立ちで 顎に丸みを帯びています。 《仏涅槃図》  鎌倉時代・14世紀  大倉集古館蔵 重要美術品 《観音菩薩坐像》の 後ろにあったが《仏涅槃図》 、 釈迦入滅の日に執行される 涅槃会で盛んに用いられたもの。 《釈迦三尊像》 室町時代・16世紀 木の葉を敷いた岩座上に 坐す 釈迦如来 の 右側に獅子に乗る 文殊菩薩 、 左には白象に乗る 普賢菩薩 、 童子形で描かれています。 《十六羅漢像》 16幅の内 鎌倉時代・14世紀 大倉集古館蔵 重要美術品 釈迦の遺命を受け、 釈迦入滅後もこの世に永く留まり、 仏法を守り伝えて人々を 救済する役割を託された 16人の優れた弟子を、 十六羅漢 と呼んだ。 これらの阿羅漢を各幅に 一人ずつ描いたもの。 着彩法や描法が3系統に 分けられるとび指摘があり、 様式の異なる羅漢図が、 後世に1具に 組み合わされたともされる。

大倉集古館をたずねてvol.3 祈りと救いの美 国宝普賢菩薩騎象像

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特別展 「祈りと救いの美 」 、 サブタイトルにある 国宝 《普賢菩薩騎象像》 。 『法華経』の信仰者を守護、 白象に乗り胸前で合掌する姿は 教説に一致しています。 東京都内では、 調布市の深大寺 所蔵の 《銅造 釈迦如来倚像》 と 合わせて2軀しかない 国宝の仏像の一つで、 東京23区内では唯一の 国宝の仏像 です。 女人往生の典拠となる 「普賢菩薩勧発品」 は、 特に女性貴族の信仰を集めました。 台座の蓮華・象・框まで、 造立当初のものである点は貴重。 白象に乗り胸前で合掌 する姿、 なで肩で背をやや丸めた姿勢は、 いわゆる" 定朝様" に共通するもの。 仏師定朝[?~1057]が 平安時代後期に完成した 和様彫刻のことを、 定朝様と呼ばれています。 《阿弥陀如来坐像》 京都・安楽寿院 瞑想するような面貌は、 京都・安楽寿院に通じるとされ、 安楽寿院像の造立 は 1139年(保延5)で、 院政期の都で中心的な役割を 担っていて 円派仏師 の 長円や賢円が推定されています。 《普賢十羅刹女図》  鎌倉時代・14世紀  大倉集古館蔵 六牙の白象に乗る普賢菩薩と 『法華経』の信者を守護する 十羅刹女 (じゅうらせつにょ)が 影向(ようごう)する様を 描いています。 十羅刹女は釈迦の教えに 触れて改心した10人の女性の 羅刹(鬼)とされていて、 十二単をまとう和装美人の姿 で描かれています。 《平家納経 法華経  普賢菩薩勧発品 第二十八(模本)》 田中親美 さんの描いた模本、 普賢菩薩の章で見返絵には、 山景の中の岩窟で、 法華経とを並べた経机、 読誦する僧笏を構える 官人たちが描かれています。  《平家納経 法華経序品第一(模本)》 僧を前に経巻とみられる 巻物を両手で広げ、 熱心に見入っている 貴族女性の姿。 《平家納経 法華経  勧持品 第十三(模本)》 勧持 とは"勧めて持ち続ける"の意。 金色の仏像を前に頭巾を着け 数珠を持ち合掌する尼と、 それに対面する 尼削ぎ姿の女性 …、 女性の法華経信仰の強さを 暗示する場面ともされています。 《平家納経 法華経  薬王菩薩本事品 第二十三(模本)》 十二単姿の女性が、 蓮池をはさんで上空に出現した 如来の白毫から発せられる光を、 その身に受けて振り返る姿。 《平家納経 法華経...

大倉集古館をたずねてvol.2 震災、戦災をくぐりぬけて

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館にはいると出迎えてくれるのが、 《如来立像》 で集古館の 象徴ともいえるものです。 再開館後、最初の事業として 収集されたもの で、 総高3mを超す砂岩製の巨像で、 全体に赤褐色系の彩色が残ります。 頭部に肉髪を表し、螺髪ではなく、 波状の毛筋を刻んでいます。 (公開当時の新聞記事) 東京帝国大学の 関野 貞 博士 によると、 「この石仏こそ現在知られている  石仏中世界最古のもので、  恐らく今より1500年前  慕容垂の後燕時代のものと  推定されたのである。」 中国・北魏王朝末期頃の制作、 光背の正面、側面、背面に 多くの銘文を刻まれています。 北平(現在の北京)来遊中の フィラデルフィア博物館 の ジェーン博士 が買収する 交渉を進めていたところ、 関野博士が 「東洋の絶品を  米国に持ち去られるのは残念」 と、 紹介された 大倉喜七郎 が買取、 大倉集古館の所蔵なったものです。 こちら創立当初の大倉集古館を 描いたものです。 関東大震災直前の写真と符合します。 現在の集古館の玄関前に 出たつ寄木造りの 金剛力士像 、 鎌倉~室町時代のもので、 古い収蔵品目録の一番はじめに 載っている作品だそうです。 罹災後に修理し活用された 収蔵品も少なくありません。 関東大震災で大破したのですが、 帝室技芸員であった 新海竹太郎 氏によって 修理された 石造《獅子》 。 5世紀頃に中国で造られたとされ、 『三国志』曹操の家 に 置かれていたという説もあるとか。 《洞窟の頼朝》前田青邨  1929年 重要文化財 前田青邨が描いた 近代歴史画の代表作品で、 1930年(昭和5)にローマ開催の 日本美術展覧会 に出品されました。 日本画壇を代表する日本画は 168件が出品されたのですが、 大倉喜七郎の援助で実現 。 この《洞窟の頼朝》をはじめとし、 諸名家の力作を所蔵されています。 地下のミュージアムショップの エリアにある 《韋駄天立像》 、 中国 清時代(17-18世紀)に 造られたもの。 《怖畏金剛像》 ふいこんごうぞう 中国・清時代(17~18世紀) 2階にはテラス 《達磨太子坐像》  中国・清時代(17-19世紀) 屋外にも 《五重塔》重要美術品  京幾道利川郡郷校前廃寺址   (現大韓民国)伝来石造  朝鮮・高麗(11世紀) 《龍頭》  中国・明時代 《八卦文鼎...