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東京天満宮めぐり 平河天満宮

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千代田区内にある最古の鳥居 が 建てられている" 平河天満宮 "、 銅鳥居 は1844年(弘化元年)12月に、 麹町周辺の人々の奉納。 石製の柱木に銅板が 巻き付けられていて、 銘文から御鋳物師の 西村和泉藤原政時の作。 "西村和泉"とは、 元禄から明治期まで 神田鍛冶町に居た 鋳物師の一家系 です。 左右の台座に4体ずつ獅子、 内部の石が露出しているのは、 1945年の空襲 機銃掃射によるものとか。 常夜燈は対の1基のみ、 右側は空襲で破損。 火袋の左面に三日月、 右に日輪の形が施されており、 中台には梅鉢の文様が付きます。 安山岩で作られていますが、 火袋には花崗岩が、 基礎にも新しい石材が使用、 ともに後世に補われたものとか。 銘文によれば、 嘉永5年(1852)閏2月、 菅原道真公の950遠忌にあたり、 雲龍堂と龍海堂の門弟らが奉納 、 雲龍堂は当時の麹町八丁目に 文政年間に開業した寺子屋、 龍海堂は松田町に 1804年(文化元年) 開業の寺子屋、 松田町は現在の鍛冶町二丁目。 寺子屋の天神社に対する 信仰の深さ を物語っています。 石牛はかなり劣化が激しい、 1852年(嘉永5年)に、 浄瑠璃 常磐津節 の 岸沢右和佐 (うわさ)の 麹町の門弟らによって 奉納されたものです。 奥に鎮座されているのは布袋様、 埼玉県坂戸市の "城西大学寄贈" 。 十返舎一九 の書作にある "東都七天神" に列せられるが、 七福神のゆかりは定かでない?? 本殿近くの撫牛は少し新しいのか… 狛犬は1801年(享和元)の奉納、 1850年(嘉永3年)の火災で 角や足が失われましたが、 菅公950年遠忌にあわせ、 補修再設置されたものです。 明治30年に出された 『新撰東京名所図会』第18篇 に、 銘文が収録されていて、 「先代の狛犬がこわれてしまい、  あらたに紫宸殿の障屏画を  もとに狛犬がつくられ、  これが嘉永三年(1850)の火災で  角や足を失い、  同5年に補修して再設置した」と… 京都御所 紫宸殿 《賢聖障子 獅子・狛犬・負文》 出立ちは似ているようにも 思えますが… 境内社の 平河稲荷神社 注連飾りのつく" 力石 "、 中央に "天龍石" 、 右...

九段下のタマネギあたり

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"九段下 千鳥ヶ淵  月の水面 坂道 光る玉ねぎ" 一つ手前の神保町駅と小川町駅の 真ん中あたりに泊まっていたので、 九段下駅から"光る玉ねぎ"の 向かい側の歩道から 靖国神社 へ。 神田神保町三丁目から往くと、 寿老人のようなのが 出迎えるのが「 寿人遊星 」とか。 「1 986年ハレー彗星の  地球接近を記念 し、  人々の清福を望み、  星と縁の深い"寿老人"を  模して製作されたもの」 なんだそうで、 神田の魅力を記録した 絵本『かんだ彷徨』 の浄財をもとに 千代田区に寄贈されたもの、 次の接近は2061年とか…。 九段北一丁目と九段南一丁目の間の 靖国通りをに通じる橋、 "俎橋" という名の由来は、 江戸時代に御台所町が 近くにあったことからの説と、橋 2枚の俎(まないた)を引いたような 構造の板橋であったとする説…、 古くは大橋・魚板橋とも 呼ばれていたとも伝わります。 俎橋児童遊園 に佇まれますが、 児童遊具がないのがオモシロイ。 九段を上がると 靖国神社 かつて千代田村は農村地帯、 そこに1606年に江戸城が 建てられました。 周辺の高台に役人のための 武家屋敷が建てられ、 9段の石垣を造ったことから "九段坂"の名 が付いたそうです。 1872年の昇斎一景が描く 《東京名所三十六戯撰 九たん坂》 スイカやマクワウリが転げ落ちる、 急坂に足を取られて 派手にスッ転ぶ男の姿。 《東京開化三十六景 九段坂燈籠》 歌川広重(二代)の明治初期の錦絵。 1871年に建てられた高燈籠は、 文明開化のシンボルでもあり、 "新江戸タワー" とも言うべきもの。 明治新政府の威信を示すために、 夜も明るく灯されていました。 九段坂はもちろん、 夜の東京湾からも見えるほどで、 灯台としての役割を果たしていました。 現在ある場所に移設されたのが、 1930年の頃で九段坂も コンクリート舗装されたそうです。 明治の浮世絵師 小林清親 が描いた 《九段坂五月夜》 は1880年作、 光と影を巧みに表現した "光線画" と呼ばれる作風の代表作、 高灯籠が雨の夜に浮かび上がります。 靖国神社の境内に立つのが、 大村益次郎像 です。 1869年6...