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"吉野をよくみる"その8 大峯山 東南院と護法山 喜蔵院

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役行者の開基と伝えられる 東南院 、 霊地を開く際には中心となる 伽藍を建てるに合わせて、 巽の方角にあたる地に寺を建て 一山の安泰を祈願する慣わし 。 金峯山寺建立と同時に 巽である東南にあたる地に、 創建されたと伝わります。 境内右に建つ多宝塔は、 江戸初期に建立されたもので、 和歌山県海南市の野上八幡 から 移築されたものだそうでして、 塔の内部は四天柱があり 須弥壇が設けられ、 大日如来がおられるそうです。 桜の吉野にふさわしく… こちら 東南院のインスタ より。 こちら本堂 "吉野山 寺宝めぐり" で 本堂にあがらせていただきました。 扁額に" 役行者 "とあります。 東南院は山号を" 大峯山" といい、 る金峯山修験本宗の別格本山で、 大峯山護持院の一つです。 《役行者倚像》 は袈裟と蓑をかけ、 左の手に錫杖と右に独鈷杵をとる。 7世紀後半から8世紀にかけて 大和国の葛城山に住んだと伝わる、 役行者は呪術をもって知られた 山岳修行者で、鬼神を使役して 金峯山と葛城山に橋を架けさせ、 霊山を遊行(ゆぎょう)して 霊験を得たとする伝説も生まれ、 修験道の開祖と仰がれたとされる。 こちら 吉水神社 の役行者像、 斧をとる 前鬼 (赤鬼)、 水瓶をとる 後鬼( 青鬼)が随侍。 後鬼は笈(おい)を 背負っていたようです。 東南院仏像にもどります こちら《愛染明王像》 《千手観音像》 俵に乗った《大黒天像》 寛治6年(1092)には 白川上皇 の金峯山参詣のおり、 東南院を宿坊 とされていて、 宿坊としての歴史もある東南院。 1684年(貞亨元年)の秋、 松尾芭蕉 は俳諧紀行 『野ざらし紀行』 で 「砧うちて 我に聞かせよや  坊が妻」 の句、 "坊"は東南院を指すと 伝えられています。 "吉野山 寺宝めぐり" でもう一つ 訪れたのは 護法山 喜蔵院 。 本山修験宗の聖護院門跡別格本山、 承和年間(834-48)近江 園城寺 を 開基した 智証大師 円珍 が 大峯山入峰に際して、 一宇の堂を建てたのが 始まりとされています。 比叡山中興の祖といわれる 慈恵大師 良源 (りょうげん)が 大峯修行をするおりも 喜蔵院を拠点としされました。 聖護院の門跡の大峯修行において...

"吉野をよくみる"その7 威徳天満宮

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金峯山本堂 蔵王堂に向かって 左に鎮座する" 威徳天満宮 "。 社伝によると、平安時代の 天徳3年9月5日に鎮座したとか。 竹林院 の前身にあたる 椿山寺で出家した 日蔵道賢 という僧が、 大峯山中の笙の窟という所で 修行中のある日、 急に仮死して閻魔宮へ 。 そこで冥土をさまよっている 天子の衣服を着けた人に出会った… 《醍醐天皇像》 醍醐寺三宝院蔵 「自分は 延喜の帝(醍職天皇) である。  生前は善政を行ったつもりだが、  ただ 藤原時平 の告げ口のよって、   菅原道真 を九州の  太宰府へ流してしまった。  その罪によって  死後の苦しみに会っている。  生前、私が師と仰いだ上人よ。  再び生き返って  道真の霊をまつって欲しい。  そうしたら私はこの苦しみから  救われるだろう。」 この世に蘇った日蔵は、 修行を終えると吉野山に戻り、 威徳天満宮として祀ったのだという。 日蔵道賢は 如意輪寺 を開基した。 『 北野天神縁起絵巻 』一巻にみられる 『 日蔵夢記 』には日蔵道賢が 天神と化した道真と会うエピソードが 記されています。 道真が語るに 「 火雷天神は自分の眷属であり、  自分は日本 太政威徳天 という」と、 天満大自在天神の神号の菅原道真。 《大自在天》  ダンダン・ウィリク出土 " 大自在天 "は 元々ヒンドゥー教の神 シヴァ 、 三つの目と八本の腕を持ち、 白い牛にまたがった姿で あらわされます。   長岡天満宮の撫牛 大自在天が乗られる牛は、 臥牛の姿 です。 天満宮の撫牛もほとんどが、 臥せていますね。 《 大威徳明王 》京都 東寺 839年 菅公のもう一つの神号である " 日本太政威徳天 "で、 これは密教の 大威徳明王 に由来、 こちらの水牛も臥牛。 吉野の威徳天満宮にもどります。 桃山時代の様式をよく伝えていて、 豊臣秀頼の改修によるものとか。 1998年9月の台風7号の被害を 受けたものの3年後に復旧。 蟇股装飾がみごとでした。 東京の 静嘉堂文庫美術館 が 所蔵する《 松梅天神像 》。 表具裏面の墨書によると、 吉野で開かれた例月連歌会の 本尊 であったそうです。 威徳天満宮で室町時代には、 連歌会が行われていたが、 拝殿がなくなったため、 輪番で勤めたことにより、 吉...

"吉野をよくみる"その6 勝手明神のこと

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吉野山の守り神として 格式高い 延喜式内社 、 全国の" 勝手神社 "の総本山でしたが、 2001年の火災により本殿を焼失 。 長く吉水神社に御祭神を 仮遷座されていました。 創建は不明なるも 『日雄寺継統記』によれば、 孝安天皇6年12月 と伝えられ、 のちに天武天皇となった 大海人皇子が琴を奏でられ 、 天女が舞い降りて、 五度袖を振りながら舞った … 「五節の舞」 の 発祥地とされています。 大正天皇 即位の礼の五節舞 『御大礼記念写真帖』より 1915年刊 国立国会図書館所蔵 「 吉野山口神社 」「 勝手明神 」 とも称せられ、 吉野八社明神の一つとして、 大峰山参詣の山伏修験者の 行場の一つ ともなっています。 『静御前(古今名婦伝)』 国立国会図書館デジタルコレクション 静御前が捕らえられ、 勝手神社の神楽殿で 法楽の舞をさせられた 「 舞塚 」があります。 御祭神は 天之忍穂耳命 、 大山祇命、久々能智命、 木花咲耶姫命、苔虫命、 葉野姫命の六神で。 主神の"勝手"の御名 のとおり 勝運、必勝とあわせ、 芸能、山、桜の神として、 信仰を集めています。 こちら「 特別展 吉野・大峯 」で 初公開となった《 勝手明神坐像 》。 本殿にまつられる 武装形の神像 で、 勝手明神の本地仏は 毘沙門天 。 展覧会の事前調査で像内胸部に 墨書が見出され、 比丘尼道阿弥陀仏を願主とし、 仏師 慶観 (けいかん)が造立し、 絵師 俊尊(しゅんそん)が 彩色をほどこしたことが判明。 西大寺本の《吉野曼茶羅》 には、 本像と同図の像が描かれていて、 右隣には 若宮神像 が配されています。 本殿の火災により焼損した、 若宮神坐像 はこちら。 モノクロ写真にて… " 吉野曼茶羅 "には 吉野大峯の神々が 配置されています。 金峯神社の金精明神、 牛王天王、子守明神、 鷲尾神社、 勝手明神 、 佐抛(さなげ)明神、 そして威徳天満宮。 ヒノキとの割矧 (わりは)ぎ造り、 両腕や両脚部以下に別材、 兜を別に造ってかぶせ、 両腕を" 蟻枘 "(ありほぞ)と 呼ばれる木材接合する仕口。 刀は茎(なかご)があり、 刀身には「備前長艦守元」の 刻銘があるそうです。 春日大社の《流鏑馬木像》 は、 綾藺笠(あやい...