投稿

ラベル(伊藤若冲)が付いた投稿を表示しています

若冲さんの五百羅漢へ 〜 石峰寺

イメージ
寛政年間に草庵を結び、 墓所もある 伊藤若冲 ゆかりの 石峰寺 へ。 百丈山 という山号は、 宋国 百丈山によるものなのか、 建仁寺 の諸堂は その百丈山を模して 建立されています。 江戸期 宝永年間(1704-1711)の 創建の禅道場であり、 当初は大寺だったそうです。 本尊は 薬師如来 。かつての像は、 平安時代中期のものでしたが、 1979年に焼失し、 裏山の楠により新彫さられたもの。 本殿横にある十字の墓所、 ふしぎ・・・ 1985年に地蔵尊の下、 土中より発見された マリア像 とか。 五百羅漢の裏山の前に、 若冲の墓所へ。 「 斗米庵若冲居士 」と刻まれる。 米一斗(14kg) の謝礼で、 墨画を描いたため、 斗米翁と号されたのだと… 若冲の作品が多いのは、 このためとも言われています。 傍らに立つのは、 江戸時代の儒学者、 書家、 文人画家の 貫名海屋 の筆塚。 (ぬきな すうおう) と読みます。 七代蜜山和尚の協賛を得て、 10年余をかけて作った裏山へ。 裏山の前にも竜宮門。 実は…五百羅漢、 撮影禁止なのです。 ということで、 買い求めた絵はがきより。 年の風雨を得て丸み、 苔寂びているので… このまま山中に留めるかどうか、 思案中だそうです。 ある撮影で勝手に石仏を 動かされたことがあって…(TOT) 若冲の下絵がこれだそうです。 絵葉書はこの封筒に… 東京都文京区の 椿山荘 には、 17体が移されているとか… 藤田平太郎 という男爵が、 山縣有朋から 椿山荘を譲り受けて、 設置することになったとか… 機会があれば観に行きたいです。 「春風に 五百羅漢の      とはれかほ」

京都のトク旅 2016〜宝蔵寺

イメージ
生誕300年で盛り上がる 若冲ゆかりの  宝蔵寺 へ。 宝蔵寺は 伊藤若冲 の家、 伊藤家の菩提寺なのです。 若冲が建てた父母と弟の墓石は、 寺の裏手の墓地で傷んでいたのを、 本堂前に移され、 覆いもつけられていました。 本堂は1932年に建立されたもの、 本尊 阿弥陀如来像 は 元禄13年(1700)の刻。 善導大師 と 法然上人 の像も、 本堂におられました。 伊藤若冲は正徳6年(1716)、 京都高倉錦小路南角の 青物問屋 「桝屋」、 その三代目の長男として、 出生したそうです。 ブームの火付け役となった 「髑髏図」 。 漆黒の背景に二つの髑髏。 今年2月から、 紙朱印 「髑髏スタンプ」 と 朱印帳は人気沸騰。 訪れた日はすでに 朱印帳は売り切れでした。 こちらは住職も永らく贋作と されながらも大事にされていた 「竹に雄鶏図」 。 印のみで署名がなかった、 という理由でもあった。 正面を向く雄鶏、 隣り合う墨と墨、 その間を白く残す 「 筋目描き (すじめがき) 」は、 墨をコントロールした 若冲の筆にまちがいナシ。 若冲の弟の伊藤宗巌の 「 羅漢図 」、号は 白歳 。     若冲の弟子は 10人ほどいたとか… 所狭しと掛けられていました。 「宝蔵寺」 京都市中京区  裏寺町通蛸薬師上ル裏寺町

京の冬旅「承天閣」

イメージ
伊藤若冲が 好きな虎次郎。 その 大本山 ともいえるのが、 京都の御所より北にある 「相国寺」 だ。 正式には 萬年山相國承天禅寺 「まんねんざん しょうこく  じょうてん ぜんじ」という。 実は虎次郎が通っていた大学の 裏手にある禅寺のお寺である。 春と秋そして冬の特別公開でしか 見られない寺宝たち。 江戸時代の当時の京では 円山応挙 に次ぐ人気があった 若冲 。 仏教に傾倒し禁欲的だったので、 剃髪、菜食、独身、遊びなしで あの 光琳 とは対照的な男だったらしい。 承天閣美術館 石碑には 「 承天客 」とある。 京都最大の禅宗寺院である相国寺は、 たびたび火災に見舞われている。 足利義満 による 七重大塔 が聳えたっていた。 高さが109.1mもあって、 史上最も高かった日本様式の仏塔が この地に存在していたが 数年で焼失している。 「法堂」 (ハットウ) 慶長10年(1605)、 豊臣秀頼の寄進によるもの。 日本最古の法堂建築。 「浴室」 1596年再建。 修行の上で「心」と「体」の 垢を落とすという意味で 伽藍上の重要な位置にある。 「経蔵」 (1860年)  高麗版一切経  が納められている。 山外塔頭の金閣寺と銀閣寺。 金閣寺の大書院を飾っていたのは、 伊藤若冲 の襖絵たち。 承天閣美術館 には 大書院が再現 してあり、 ガラス越しではあるが照明も工夫されていて 大書院に座っているような視点で      観ることができた。 「鹿苑寺 大書院 障壁画   葡萄小禽図」 (ぶどうしょうきんず) 「鹿苑寺 大書院 障壁画    月夜芭蕉図 」 (げつやばしょうず) 今回の目玉  というべきものが 「中鶏左右梅図」だ。 鶏が片足で立つ姿は いかにも 若冲 。 左右に梅図があって こちらが中幅。 金閣寺に対し 銀閣寺 の方丈の襖絵は、 池大雅 と 与謝蕪村 の手によるもの。 銀閣寺方丈特別公開でも 見ることのできない 上官の間 にある 与謝蕪村 の 「山水人物図」 も特別に     展示されていました。 「慈照寺 方丈 襖絵   山水人物図 」   与謝蕪村 筆 若冲ファンでなくとも おススメの展覧会である。 世界遺産 金閣・銀閣寺宝展 —墨蹟・絵画・茶道具の名品—  3月22日(祝)まで   相国寺 承天閣美術館

虎虎虎・・・

イメージ
こないだネットで美術館情報を探っていたら、 なつかしの 若冲の虎 を発見。 あの2006年に京都国立近代美術館の プライスコレクション     「若冲と江戸絵画」 の猛虎。 左: 「虎図」    伝 李 公麟 筆 /     朝鮮時代16世紀後半/正伝寺 蔵 右: 「竹虎図」   伊藤 若冲 /     江戸時代18世紀末/鹿苑寺 蔵 当時は日本にいなかった虎。 正伝寺に伝わっ ていた虎図に従って 制作したという背景が知られていて、 もともとは中国絵画だろうと思われていたが、 最近の調査で朝鮮絵画である     可能性を指摘されたのである。 この組み合わせの 展覧会をやっていたのが 京都の北大路を 上がったところにある 「高麗美術館」 さん。 朝鮮半島の古代から 近代までの文物がならぶ。 規模は大きくないが 収蔵品は 1700点におよぶ。 銅鏡などの考古資料をはじめ、 高麗青磁や朝鮮白磁などの陶磁器、 絵画などを収蔵する1988年開館の美術館。 虎は朝鮮のシンボル的な存在。 1988年ソウルオリンピックの マスコットも虎だったよな。 たしか 名前は 「ホドリ」と 言ったか?? 伊藤若冲 は 狩野派 のほかに、 画題としての手本を 宋元の古画 に求めていたようだ。 筆跡の追体験し、 手本の全体像を理解するための 「 臨摸 (りんも)」というのを さかんにやっていたのだが、 それを支えていたのが 相国寺の第十三代住持であった 梅荘顕常 (ばいそう・けんじょう) 。 鹿苑寺の大書院 障壁画を 若冲 に依頼したのも 顕常 その人であった。 「鹿苑寺」とは金閣寺のこと、 銀閣寺は「慈照寺」が正式な名称で、 どちらも「相国寺」の山外塔頭のひとつである。 相国寺は臨済宗相国寺派の本山。 お手本の「虎」のある「正伝寺」も臨済宗だ。 プライスコレクションの 若冲の虎と並べるとこうだ。 色彩こそ若冲らしさがみえるが、 背景の草木も忠実に筆致を追っている。 日本人の虎への興味は江戸時代になると、 急激に高まりをみせたようで、 「竹に虎」「龍に虎」 と定番の図描がさかんに  取り上げられたようである。 「竹虎図」  尾形光琳 筆  江戸時代18世紀  京都国立博物館蔵 こちらは朝鮮通信使画員であった 李義養(リ・ウィヤン)の虎。 「嘷虎図」  との名がついている。 嘷虎 (こ...