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日本人の嗜好をさぐる⑬ 織姫と彦星

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『月百姿』より「銀河月」  月岡芳年 画 織姫と彦星 って、 恋人たちの話と 信じていませんか? 実は二人は結婚していて、 ラブラブ新婚生活… あまりにイチャイチャ しているのを見兼ねて… 織姫の父である天帝が、 天の川を挟んで 2人を離れ離れした とか… 《風流役者地顔五節句 七月之図》  歌川豊国( 初代)1809年 あまりに織姫と彦星は 涙に暮れるので、 七夕の夜だけ逢瀬を 楽しむことを許した 恋人同士ではなく 親に強制別居 させらた 夫婦の話だったそうです。 当然日本に渡来した話は、 そんな風には広がっていません。 台の上にあるのは " 組上灯籠 "と 呼ばれるもので、 切抜き絵を組立てて、 内側から照らすものです。 煙管からの煙のなかに、 牛をひく牽牛と織女。 《文月西陣の星祭り》  五渡亭国貞 (三世 豊国) 江戸期の五節供で 幕府の公式行事であり、 民間でも盛んに… 《名所江戸百景 市中繁栄七夕祭》  安藤広重 江戸の空には、 七夕の詩歌を書いた短冊、 色紙で切った網や 吹き流しなど… 《子供遊五節供 七月》  歌川国芳 七夕飾りにはそれぞれ 意味があって、 吹き流し は織姫の織り糸、 網飾り は大漁を祈願、 瓢箪 は無病息災、 スイカ は豊作祈願… 《十二ヶ月之内 七月七夕》  渓斎英泉 いつもなら7月9日・10日は、 四万六千日・ほおずき市 が 浅草寺 で行われます。 観世音菩薩の功徳日 なかでも、 最大の功徳が得られる日。 諸説ありますが、米の一升は 米粒46,000粒にあたり、 一升と一生をかけた とか… ホオズキは「鬼灯」 と書き、 祖先の霊を導く提灯にの意。 《源氏五節句之内 七月七夕祭 》  豊原国周 七夕がお盆と密接な関係に あったことを示すのが、 「ホオズキ」なのです。 《風流子宝十二月 文月》  菊川英山 机上の緑色は 里芋の葉 、 1833年に 山東京山 が著した、 『 五節供稚童講訳 』には、 「芋の葉の露にて短冊書く事」 。 芋は子の沢山あるものゆえに、 その葉の露を墨にすること… 《子供遊五節供 七月》  歌川国芳 七月は 文月 と呼びますが、 笹の葉に願い事を書いた 短冊を飾るという風習。 七夕の行事は中国をはじめ、 台湾、ベトナムなどアジア諸国、 広く行われていますが、 短冊を飾るのは日本だけ とか

猿田彦のミチを開くvol.22 少彦名命と猿田彦命

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伊勢神宮には猿田彦命は 祀られておらず… 出雲大社には少彦名命社は、 存在しないのだそうです。 大阪北浜・道修町にある 少彦名神社 は、 神農さん として今なお 信仰を集めています。 鳥居ではなく 注連柱 「 定給療病方威蒙 (やまいをおさむるのりを  さだめたまひ)   其思頼 (みなそのみたまのふゆを  かがふれり)」 と刻まれています。 江戸末期から明治の政治家、 東久世 通禧 の揮毫によるもの。 江戸初期の明暦4年頃から 薬種商が集まっており、 1722年(享保7)には、 道修町薬種中買仲間 として 幕府より公認されました。 生命に関する薬を 神の御加護のもとに 間違いなく取り扱えるよう、 薬祖である神農氏 とともに、 京都の 五条天神 から 少彦名命をお招きして、 仲間会所にお祀りしたもの。 境内に祀られれるのが、 五社明神は宮司家に 祀られていたもの。 伝わるところ… 伊勢の 猿田彦神社 の 猿田彦大神と天鈿女命、 久留米の水天宮、 香川の金刀比羅宮、 京都の北野天満宮です。 江戸時代から宮司家で お祀りされていたのを遷座 されたものなのだそうです。 『神代の物語』 ※1 少彦名命より 少彦名命の話に戻ります… 少彦名命はあの国造りを オオクニヌシと力を合わせて 成し遂げた神さまで、 『出雲国風土記』 には、 「天の下所造らしし大神、  大穴持命と湏久奈比古命と、  天の下を巡る時に、  稲種此処に堕つ。  故、種と云ふ」とあり、 極めて大切な存在なのです。 出雲大社のご祭神を改めて… 主祭神は オオクニヌシ 、 皇祖神と国津神に限られ、 例外として御客座五神や 祓戸大神と門神、 そして天津神が加わるのみ… なぜか少彦名命が 見あたらないのです。 伊勢神宮での猿田彦命と 同じような扱いを 受けておられるように 思われてなりません。 少彦名神社の少彦名命は、 京都の 五条天神 をルーツと されているという話がありました。 もともと「天神」とは、 天津神の造化三神 の子のことで、 大神の手の間からこぼれた 神であるがゆえに、 少彦名命は「天神」 あるいは「手間宮」として 祀られてきたのです。 天満宮の菅原道真公 が 天満大自在天神 として祀られる、 遥か昔のこと。 『出雲神話』 ※1 少彦名命より 大国主命といえば 「因幡の白兎」 「きれいな水

猿田彦のミチを開くvol.21 日向大神宮の八百神たち

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頑張って小登山をこなすと… そこには「 伊勢神宮遥拝所 」。 このさきには " お伊勢さん " が、 おられるのです。 手水舎より奥入ると… 「 右山上伊勢遙拝所道 」 倒木は 片付けられていましたが… サンダルやヒールではムリです。 見下げると… かなりの急勾配を 実感します。 「 京都一周トレイル 」の コースになってるんです。 南東を向いた鳥居の先には、 伊勢神宮 …その昔は、 ここから見えたとか… 見えなかったとか。 知らんけど(笑) 振り返って北西を見下ろすと… 平安神宮 でその奥の、 緑は 京都御所 です。 この山で一直線に 結ばれるのです。 そうこの大鳥居です。 神宮の多くは実は近代に 入ってからのものが多く、 朱塗りの社殿は、 第4回内国勧業博覧会 に 建てられたものを 転用したものなのです。 神宮とは天皇や皇室の 祖先神を祭神とする社号 のことでかつては、 新たに名乗るには、 勅許を必要だったのです。 日向大神宮には、 実に多くの神さまが 座しておられます。 「 朝日天満宮 」 菅原道真公と少彦名命 手水舎にほど近くにある 朱の鳥居は狐さま。 神田稲荷神社 弁財天を祀る厳嶋神社 イザナギとイザナミの ミコトを祀る 多賀神社 「 福土神社 」は縁結び フクドと読みます。 で… 猿田彦命 は?? 外宮の手前にひっそりと… 猿田彦神社 と花祭神社 花祭(かさい)神社 には、 コノハナサクヤヒメ。 天鈿女は恵比寿と一緒、 なぜ木花開耶姫なのか? 木花咲耶姫は猿田彦命の 妻神である天之鈿女命とともに、 配祀として 祀られている神さまですが… 交通安全・安産守護とあります。 富士山を抑える役目 を 果たしていたともされる 木花咲耶姫… 荒ぶる神である猿田彦命は、 あえて外宮の手前に… 夫婦で日向大神宮を 護っているという ことなのでしょうか… 神域はこの山全体で、 そこかしこに鳥居が 立てられています。 伊勢一の宮の 椿大神社 でも、 猿田彦命ともに 祀られていたのは、 瓊々杵尊 、その母 栲幡千々姫命、 そして瓊々杵尊の妻 木花咲耶姫でした… 日向大神宮は 伊勢と日向を 体現できる場所 … 言うなれば イイトコドリの お伊勢参り が出来る スポットなのかも知れません。

猿田彦のミチを開くvol.20 京のお伊勢さん・日向大神宮

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南禅寺や永観堂にほど近い… ディープなスポットだけど、 きっといつもなら 青もみぢ を 愛でる人で賑わっていた… そんな近くに座す 日向大神宮 。 ⼀の⿃居 は 三条通 に⾯し、 交通の要衝地として、 粟⽥⼝ と呼ばれた地、 近代以前は"お伊勢さん"への 代参地でもありました。 大神宮の擬宝珠橋は、 琵琶湖疏水 に架かります。 石灯籠の奥に見えるのが、 二の鳥居 になりますが… 笠木が失われています 。 手水舎近くまでは、 クルマでも上がれるようです。 第23代 顕宗天皇 の御代、 筑紫日向の高千穂の峯 より、 神蹟を移したのが興りです。 地元では” ひゅうが "とも 読むとか… 神楽殿の奥に座すのが、 下ノ本宮でもあり 外宮 、 げくうではなく「げく」。 外削ぎの千⽊に、 堅⿂⽊は本殿7本と 御⾨の屋根は5本。 天津彦火瓊々杵尊 と 天之御中主神 が 座しておられます。 造営年代は詳しくありませんが、 江戸期18世紀末の 『 拾遺都名所図会 』に その姿を認めることができます。 京都市内では数少ない 神明造本殿の例であり、 間近にその構造を知ることが できる地でもあるのです。 両脇に⽴つ 棟持柱 や、 ⾨と板垣で敷地を区画式。 古式にのっとった 切妻造と茅葺が美しさが 際立っていました。 勾玉池に橋掛かり。 橋の手前に二社。 恵美須神社 と 天鈿女神社 ここに アメノウズメ が 祀られています。 「 朝日泉 」御井(ミイ)神社、 水波能売神 (ミズハノメノカミ)を祀ります。 京名泉の⼀つ に数えられ、 清和天皇の勅願 により、 ⽔を振る舞うと疫病が 治まったと伝わります。 石段を上がると、 丸柱に五⾓形の笠⽊、 貫に楔が打たれた ⼩⽯根巻 が付く、 伊勢⿃居を持つ内宮。 上ノ本宮である 内宮(ないく) 、 天照大御神 、多紀理毘売命、 市寸島比売命、多岐都比売命を お祀りされています。 女神ですので… 内削ぎの千⽊、 堅⿂⽊は8本頂きます。 神域のそばに立つ神石、 "日向" に対峙 する名が付く 「 影向岩 」(ようごういわ)。 平安京遷都に際して、 四方の石座を鎮めた 「 東の岩倉 」の地を 伝えるものと見られます。 左手に「 天の岩戸 」の矢印。 赤い大きな岩、 最近ではパワースポット として注目を集めるのは、