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鬼のいるウチ

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おなじみの 仙厓義梵の描いた鬼の絵。 虎次郎のウチにもそこかしこに鬼がいる。 節分に近づくにつれ、鏡餅なんかの正月飾りの後に、 飾られているのが鬼たち。。 こちらは 「大津絵人形」 「鬼の寒念佛」  という定番モノ 鬼が僧衣を まとっています。 慈悲ある姿とは裏腹な人の心を映したもの。 鬼の住まいは人間の心の内にあるということでしょう。 鬼の角って 「貧欲(どんよく)」「瞋恚(しんに)」「愚痴」   の三つから生えて来ると言われます。 ちなみに「瞋恚」という聞き慣れないコトバ。  自尊心を否定された時に、人は憤ることを。  驕り高ぶりから生じた「いかり」のこと。 こちらは 「男鹿 首ふりなまはげ」 です。 一度 ブログにも登場しました!! ←2006/07/08 「阪神なまはげと53年ぶり。。」へ 虎次郎のウチのそこかしこに飾られている鬼。 鬼に睨まれると?? 泣いてしまう近所のおチビさんたち。 いたずらよけには最適です!! そういえば、 昔 虎次郎の家には 延暦寺の 「角大師」 のお札が、 トイレの前にありました。 夜にトイレに行くとどうしても この「角大師」が目に入ってしまう。。 子どもながらにいつも、、   コワかったです(・ω・)v 角大師とは???  永観2年、全国的に疫病が流行して、巷では疫病の神が徘徊し、  多くの人々が次々と全身を侵されていった。  お大師様は、この人々の難儀を救おうと、大きな鏡に自分の姿を  映されて、静かに目を閉じ禅定(坐禅)に入られると、  お大師様の姿はだんだんと変わり、  骨ばかりの神(夜叉)の姿になられた。  見ていた弟子た ちの中でただ一人、  明普阿闍梨だけがこの姿を見事に写しとられた。  お大師様は、写しとった絵を見て版木でお札に刷るように命じられ、  自らもお札を開眼され た。  出来上がったお札を一時でも早く人々に配布して、  各家の戸口に貼り付けるように、再び命じられ、  病魔退散の実を見事に示されたのであった。  やがてこの お札(角大師の影像)のあるところ  病疫は恐れて寄り付かず、一切の厄難から逃れることが出来た。  以来、千余年、このお札を角大師と称し、  元三大師の護符と して、  あらゆる病気の平穏と厄難の消除に霊験をあらわし、  全国的に崇められているのである。      「元三大師と角大師の由来...

ろうそくのあかりで観る障壁画

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最近の展覧会は企画ものっていうか、 さまざまな試みがみられます。 どのように配置するかということも     ありますし・・・ もともと博物館とか美術館という建物は     古い作りのものが多く、 展示室のスペースと   どう仲良くするか で工夫が見られます。 三井寺展の「勧学院客殿障壁画」の展示は、   「あかり」 にこだわっておられました。 「桃山時代の襖絵を代表する作品」なんで、   その時代には電球とか蛍光灯はありません。 『一般的な展覧会での照明(約6分)』、 もう一つは 『 ろうそくのようなあかり (約3分)』で、  約10分間で一周する仕掛け。  蛍光灯による照明<上>と  ろうそくの明かりを模した照明<下> 襖絵の金箔(きんぱく)には、      自然光もいいけど。 ろうそくの如く淡いオ レンジの光で、 「あっ、昔の人はこんな感じで眺めたのだ」            と感じ入りました。 実は虎次郎は学芸員の資格を持っています。 大学で美術史を学んだんで必須のように思っていますが、 最近の学芸員さんの踏ん張りを見ると、   「ええ仕事してはるな」 って思います。 学芸員の資格って最近その専門性が問われ、 なんでもかんでもの資格乱発って批判があがりました。 結局のところ学芸員課程の見直しは見送られました。 見直しの大きな理由は、カリキュラムで時間数を増やす裏付け、  いわばお金がなかったということ。 大卒での学芸員就職は現実的ではない     現状の解決とは直結しないこと。 話がグジャグジャになる前に まとめときまひょ。。  展覧会に足が向くというだけでも、  学芸員資格が役に立っていると思うんです!!            (・ω・)v ←ランキングにポチットな(・ω・)v

吉祥果を持つ「護法善神」

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昔、虎次郎の祖父の家の庭には ザクロの木がありました。 いわゆる庭木なので「酸っぱい」とプチッとする感じ、 そういえば、、 一時期 「ザクロブーム」 ってのがありましたね。 三井寺展に出展されていた 護法善神立像 (ごほうぜんしんりゅうぞう)  という唐風の衣裳をまとって立つ女神。 智証大師=円珍が子供の頃と 入唐後にその姿をあらわした  訶梨帝母(ハーリーティ)で、   護法善神堂の本尊。 滋賀県文化財保護審議会委員の 石丸 正運 さんの講演「智証大師と護法善神」によると、 三井寺の中興の祖である智証大師と その守護神である護法善神の関係について、 「智証大師が5歳の時、護法善神が降臨し  『あな たは仏法を興す人。    その時、私があなたを守る』と告げた。    その心は母親のものと重なる」        と説明されていたようです。 手に持つのは 吉祥果=柘榴 です!! 訶梨帝母ってのは実は2006年夏に紹介した    鬼子母神と言われることもある神さま。 子供を食う鬼神でありましたが、 お釈迦さんが人肉を食べないように約束させ、 その後お釈迦さんに帰依したといわる神さまです。 ところで。。。 ザクロの効能は洋の東西を問わず      認められていたようで、 無数のツブツブは繁栄をあらわすものとして     珍重されていたようです。 「ザクロブーム」は「エストロゲン」なる成分が、   女性の身体を整えると言われ、 科学的にも女性に優しい果実に        追認されたというわけです。 最近の研究では強い抗酸化力の成分も 確認されてますますアリガタイ   「吉祥をもたらす果実」       と認められています。 ←2006/08/14 鬼子母神の話のブログ 「今年の流行はブルーの朝顔!」へ ←ランキングにポチットな(・ω・)v

秘仏であるが故に・・・・

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「天台密教の秘仏、     そろってお出まし」 大阪市立美術館でスタートした「国宝 三井寺展」、 東京ではあの東京ミッドタウンにある  「サントリー美術館」で2月7日から、 福岡にも4月1日から「福岡市博物館」の巡回が              予定されている。 京都国立博物館とかでなかったのが幸い、 虎次郎的にはラッキーだった!! 天王寺動物園のなかの美術館は去り往く秋を 満喫できる天気で、 日曜日であったにもかかわらず、  ゆったりと。。 念願の立体黄不動と対面できた。 ちょうどしゃがみこむと視線が合った。 門外不出で 写真の掲載も制限されている 秘仏は掛軸の方だが、展覧会サイトでも。      こんな感じだ。。。 国   宝  不動明王像 [ふどうみょうおうぞう]と 重要文化財  不動明王立像(黄不動尊)  です!! 図像が平安時代(9世紀)で  彫像が鎌倉時代(13世紀)のものです。 アニメの3D化、 いわゆる実物大フィギュアというところでしょうか。 平面的なものが立体化をどうされていくのか。。。 「藤末鎌初」 (とうまつかましょ)の 創作意欲の旺盛さを感じることができます。 荒々しい不動明王には  鎌倉彫刻がよく似合います。 でも少し出っ腹です。。 虎次郎は言える立場にないですがね。 「千載一遇の機会」   大阪でのゆったり鑑賞は、       12月14日まで。 円珍が唐から密教の教えを持ち帰って 1150年の節目に当たることを記念しての開催なので、 次逢える機会はないのかもしれません。 図像を忠実に模刻した彫像の黄不動尊そろっての姿は、  今回特別に掲載が許可された展覧会ポスターで、 大阪市内の公共機関の駅のホームや天王寺公園付近の  地下街に貼られています!! 「三不動」、、 他説もいろいろあるが。   京都・青蓮院の絹本着色不動明王二童子像           「青不動」   和歌山・高野山明王院の  絹本着色不動明王二童子像の「赤不動」 そしてこの三井寺展のこの「黄不動」であろうと               言われています。 こちらは美術館のそばにある   「慶沢園」の紅葉です!! 紅葉の赤、銀杏の黄、そして青空が青不動か? ↑国宝 三井寺展のオフィシャルサイトへ <東京展> 【会期】2009年2月7日(土)~3月15日(日) 【会場】サントリ...

目的貫徹 矢の根おとこ 大津絵を往く2

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「矢の根五郎」 矢の根五郎とは、、 父の仇討ちに18年の 短い生涯のすべてを 尽くした 曽我十郎・五郎兄弟の    物語のひとつ。 鏑矢の鏃(やじり)を 研ぐ姿が描かれる。 鏃は矢の根にあるから 「矢の根」 という。 父の敵、工藤 祐経 を討とうと 矢の根を砥石で研いでいる場面は 「目的貫徹」 思い事が叶うようにと、、 「大津絵節」 という滋賀の民謡がある。。   げほう梯子ずり   雷太鼓で、釣をする   お若衆は鷹をすゑ   塗笠おやまは藤の花   座頭の褌、犬咬えつけア   仰天し、杖をば振上る   荒氣の思も發氣して、鉦撞木   瓢箪鯰で押へませう   奴の行列つり鐘辧慶   矢の根五郎。 「げほうの梯子ずり」 寿老人は長命を願い 大黒天が寿老人の 頭を剃っている。   穏やかな姿。。。 しかし、、、 剃る髪って あるのかね?? 「 お若衆は鷹をすゑ」 「鷹匠」  五穀成就  紛失帰る  商売繁盛 お若衆は  鷹をもつ 「 塗笠おやまは藤の花」 「藤娘」  愛嬌で良縁を得る    塗笠 お女郎  かたげた 藤のはな

雷公の太鼓吊り 大津絵を往く1

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東海道と大津街道の分岐点に   山科追分 という地があります。 東海道といえば 五十三次 というのが一般的ですが、  大津宿からは三条大橋に向かわずに、   ここから南西に向かうと伏見に行き着きます。 伏見までだと 東海道五十七次 になります。 54番目が 伏見宿 (京都府京都市伏見区) 55番目は 淀宿   (京都府京都市伏見区) 56番目に 枚方宿 (大阪府枚方市) そして最後 守口宿 (大阪府守口市)ということになります。 街道分岐点で賑わいをみせたのが 大津宿 、 寛永年間(1624〜44)である江戸時代中頃、 逢坂山 のふもとである追分・大谷付近で 町絵師が素朴な仏画を描いて旅人に売ったことが  「大津絵」 はじまりのようです。 「雷公の太鼓吊り」 かみなり たいこ   つるべ とる 商売道具の太鼓を 落とした雷さんが 錨(いかり)で 釣り上げよう  としている姿。。 怖いはずの雷が太鼓を 落として苦心。。。 この絵は 雷除け として 旅人に持ち歩かれたようです。