京の冬の旅2023 上徳寺


塩竈山 上徳寺
"源融"の"河原院"があったとか…
河原院には陸奥国の"塩釜の浦"の
景色を模した庭が造られていて、
難波から海水を運び塩を焼く
"塩竈"に興じていた
そうです。
山号だけでなく地名は"本塩竈町"
ご住職の姓も"塩竈さん"なのです。

京の冬の旅2023 "上徳寺"は、
京阪電車清水五条駅からほどなく…
1603(慶長8)年 徳川家康により創建、
側室 阿茶の局が開基となり、
叔父にあたる伝誉蘇生を開山に
迎えて建立したとされています。
門前右手に"冠翁堀内雲鼓墓所"の碑。
堀内雲鼓冠句の唱道者とか…
俳句と同じで五・七・五の17文字、
上五と七・五の照応が生み出す
詩想の世界を大切にする文芸が"冠句"。
ちなみに京都新聞の文化欄には、
俳句、川柳とともに冠壇があるとか…
「日のめぐみ うれしからずや夏木立」
上五あとに一文字の空白を置くこと、
季語という概念のない句作法

本堂は1753(宝暦3)年に建てられた
永観堂 祖師堂が明治期に移築。

極彩色の柱ながらも荘厳な雰囲気。

本堂へ…
家康と二代将軍・秀忠、阿茶局
これらの肖像画も寺宝として、
本堂に特別展示されていました。

才知に長けたという阿茶局は、
小牧・長久手の戦い、大坂の陣など
さまざまな戦に随行したとか…
大坂冬の陣では大坂城に出向き
使者を務めた女性でした。
家康死後も出家を許されなかった
江戸と京都の宗教的連携、
宗教政策や朝廷との融和政策…
彼女の終焉の地は京都でした。
江戸の菩提寺は霊光院ですが、
京都ではここ上徳寺が菩提寺です。

本尊の木造阿弥陀如来立像
1759(宝暦9)年奥書の
『塩竃山上徳寺本尊縁起』によれば
近江国矢橋の鞭崎(むちさき)八幡宮から
招来したと伝わる伝 快慶作

水晶であらわした"玉眼"とともに、
唇を水晶であらわした"玉唇"。
現在のところ
東京国立博物館所蔵の木造菩薩立像、
京都・仏性寺 木造阿弥陀如来立像の
2例が知られるのみとか…
京都国立博物館の調査でわかったとか。

正覚大音」とは真実の声のこと。
客殿内も特別公開…

円山派に学んだ画家の襖絵



聖護院の貴族屋敷を移築したものとか






そして客殿東の枯山水庭園






上徳寺といえば"世継地蔵”だそうで…
子授け祈願・安産祈願の信仰の地、
1656(明暦3)年に刻まれたという
地蔵菩薩立像が祀られています。
毎年2月8日に行なわれる
"世継地蔵尊大祭"は一億功日功徳日。
この日以外で間近に地蔵尊との対面、
"京の冬の旅"の功徳なのでした。
天明、元治の大火に遭い地蔵堂は焼失、
地蔵尊にもその痕が残されていました。
地蔵堂にかかる絵馬…
五角形が逆さになっているのです。
形が赤ちゃんの"よだれかけ"に見え、
よだれかけ絵馬」。
こちら地蔵さまが仲睦まじい。
第57回 京の冬の旅
 上徳寺
 2023.1.7 - 3.19


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