和順な華頂山へ 法然と親鸞


方丈庭園を奥いると石段を登ると
"権現様影堂"に家康・秀忠・家光
三代の霊が祀られています。
度重なる火災に見舞われ焼失、
1979年の開宗800年記念で再建。

石段下にある茶室"葵庵"庭園には、
東照宮五重石燈籠が遺ります。
"権現様影堂"は東照宮
呼ばれていたのやも知れません。

東照宮といえば日光東照宮と
通ずることが御影堂にも…
"葺き残しの瓦"は竣工時に
あえて残されたものだとか。
日光東照宮の陽明門では
柱12本の内1本だけを逆さ
に、
"満つれば欠くる世の習い"の故事。
完璧なものには魔が潜むとされ、
こうして未完成な部分を残すことで
難を逃れようとした古来の習わし。

方丈庭園にある"慈鎮石"は、
慈鎮和尚が座禅をされたと
伝えられている石です。
慈圓和尚とも称されますが、
天台宗の僧で諡号は慈鎮和尚、
親鸞と法然を比叡山の抑圧から
庇護した高僧
として伝わります。

こちら知恩院にほど近い青蓮院門跡
宸殿に祀られる慈圓和尚の御厨子。

知恩院塔頭 崇泰院の門前には、
"大谷本願寺故地"の石碑。

"親鸞聖人旧御廟所"の碑には、
本願寺発祥之地
蓮如上人御生誕之地の刻。
親鸞聖人29歳の時、
比叡山の仏教と決別し、
道を求めて聖徳太子ゆかりの
六角堂に籠こもられました。
そして聖徳太子の夢告に導かれ、
法然上人のもとを尋ねられます。

法然上人は、だれに対しても平等に
「ただ念仏もうしなさい」
お説きになっていました。
親鸞聖人は、この教えこそ、
すべての人に開かれている
仏道であるとうなずかれ、
法然上人を生涯の師と仰ぎ、
念仏者として歩み出されました


法然上人と親鸞聖人は師弟関係
僕らが学んだ日本史教科書は、
「法然の教え(浄土宗)を、
 さらに発展させたのが
 親鸞の浄土真宗」

最近では、親鸞が新たな教説を
生み出したとか、独自に展開…?
法然上人を心から尊敬された親鸞、
新宗派を立てようとか、
新たな教団を作ろうという
気持ちは少しもなかった
のです。

法然上人が亡くなられたあと、
浄土宗は、解釈の相違から
5つの派に分かれます

教えの乱れを嘆かれた親鸞聖人は、
『教行信証』を著され、
法然上人の本当の御心の開顕に
努められたのです、
その教えを聞く人々が後代、
大きな集まりとなり"浄土真宗"
と呼ばれるようになったのです。 

さきほどの童形像は親鸞聖人
9歳のとき1181年(養和元)、
青連門院で得度されたお姿で、
得度の際馬を繋いだ"古松"後に立つ。
「明日ありと 思う心の あだ桜
 夜半に嵐の 吹かぬものかは」


明日でいいという思いから、
機会を逃してしまうこと。
先延ばしをすることで、
想いの強さは薄れてゆくもの。
何が起こるかわからない
世の中は今も同じです

今逢いたい人に会えること、
小さな奇跡を大切にしたいものです。

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