京の冬の旅2023+ 龍安寺石庭へ


龍安寺の石庭…
母親曰く何度も行った筈
祖父母が京都西陣におりましたので、
幼少の頃いろんなとこに連れてもらった、
そうだけど"枯山水を愛でる"なんて、
齢ではなかったので…

妙心寺の北門を出ると"龍安寺御陵道"

エイデンこと叡山電鉄の踏切、
"北 一條天皇外五陵"が龍安寺方面
ちなみに"南 花山陵"…
宮内庁治定粟田口三条坊町
十樂院上陵ですから、
これは"妙心寺"のこと。

龍安寺駅踏切をすぎると
子どもたちの描いた龍たち。

道標はふんだん…

迷うことはない

大雲山 龍安寺とあります。
臨済宗妙心寺派の寺院で
妙心寺との関係が深く、
山内塔頭と同様の扱い
を受ける。

松の内なので正月飾りが
迎えてくれました。

もと徳大寺家の別荘
1450(宝徳2)年に細川勝元
譲り受けたが戦災で焼失、
1499(明応8)年に細川政元が再興。

鏡容池が藤原時代の由緒を留める。

"水分石"…「みくまりいし」と読む。
水深を測るメジャーの役目、
貴族の別荘地になる前は、
灌漑用のため池だったので、
水を管理していたことが伝えるもの。

方丈への石段…
ここは何か記憶があります(笑)

拝観受付にも注連縄…
拝観券のモギリがあり、
あたふたしました。

「結廬在人境 而無車馬喧
 問君何能爾 心遠地自偏
 採菊東籬下 悠然見南山」

陶淵明の詩の読み下しはこんな感じ、
 廬を結んで人境に在り
 而も車馬の喧しき無し
 君に問う何ぞ能く爾ると
 心遠く地自から偏なり
 菊を採る東籬の下
 悠然として南山を見る

"雲関"
大雲山龍安寺すなわち"雲山の玄関"、
『碧巌録』に「雲門和尚云く關」、
「韶陽の一字」とも…
關は玄関あるいは関所の意、
入るために通るところ、
通らねばならぬところ
の意味。
"關"の くずしのクセが強い!

裏は"通気
通ずは"とおる" "つらぬく"
そして"ゆきわたる"。
気は"心のはたらき" "ちから"
禅寺は開けっ放しではなく、
"通気がよい"場所だと…

前置きが長過ぎた(T_T) 石庭を!







どうしても欲しくなって"石庭"、
家に持ち帰りました

龍安寺石庭文鎮!!

フル石庭もあったのですが、
この石組みをゲットしました。

油土塀の傾斜による"遠近の謎"

必ず14個しか石が見えない
東洋世界で完璧を示す"十五"、
不完全な世界を見ることで、
さらなる高みを目指す禅問答。
"刻印の謎"、"作庭の謎"、"遠近の謎"。

龍安寺のHPにも綴られているが、
答えのないものをどうみるか!
自己が"三昧" "無"になりきること、
自他一如の世界の自覚」、
永遠に新しい庭として生き続ける。

縁側に人気の無い景色、
多くがスマホで発信する景色…
次の時代もきっと新しい庭が、
ここにはあるのだと思う。


目の不自由な人のための石庭…

"画"としてでなく"気"に触れる

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