1970EXPOユニコレ⑲ 鉄鋼館からEXPO70パビリオンへ


鉄鋼館は万国博終了後も
事前に保存が決まっていました。
「日本万国博覧会は,
 昭和45年9月13日を
 もつて終了したが,
 同博覧会一般規則によれば,
 参加外国等出品者の施工に
 かかる建築物および施設は,
 博覧会閉会後6ヵ月以内に撤去し,
 かつ敷地の原状復旧を
 行なわなければならない
。」
同規則第24条第2項の定め、
その例外が鉄鋼館でした。

万博閉幕後は大阪市へ譲渡されますが…
なかでも"スペース・シアター"は、
1008個のスピーカーが
天井、壁、床下に配置され、
スペース・シアター全体を
音楽が駆けめぐるという、
ホールそのものが巨大な楽器
だといえる代物だった。

ただ閉幕後ここがコンサートホール
として使われたことはないという。
ホールでの楽曲提供した高橋悠治さん、
鉄鋼館の“末路”に痛烈なコトバが
残されています。
「建物を維持するだけでさえ
 必要な巨額なカネを
 支出することができたとしても、
 スペース・シアターには
 あまりに限られた使用法しかなく、
 しかもだれがそれに興味をもったろう
。」

ホールは今やのただのハコモノ…
大阪府市が誘致していた
"国立産業技術史博物館"の収蔵品、
2万3000点ほど余りの多くが
長らく詰め込まれていたようです。

1階のホワイエには楽器彫刻が展示

フランス人の彫刻家の
フランソワ・バシェが、
音響技師である兄ベルナードと考案、
《IKEDA PHONE》は打楽器だが、
重みがある大きなバチで叩くと
音はパイプオルガンのような
深くて柔らかい音がするとか。
赤や白などのカラフルなコーンの
《KAWAKAMI PHONE》は、
寸切棒を叩いたり擦ったりさせる。
寸切棒、スプリングからの振動音は、
スピーカーの役割のコーン部分で
拡声され迫力のある音が出たという。

女性らしくファッショナブル、
鉄鋼館のユニフォーム

夏服はカントリー風な装い、
薄紫色のレースのシャツに
紫色のジャンパースカート、
丈はミニとロングの2種類あった。

昼間はミニにストローハット
軽快さを演出し
夕方になるとシフォンの
ストールをなびかせて
ミディを着こなしていたとか。



合服は春の明るさと、
新鮮な若さをモダンな感覚で、
かつ機能的なスタイルとして
デザインされていました。

寒い日はジャンパースカートと
襟なしのジャンパーを合わせる。
帽子はキャスケット型
雨の日にはその上に
レインコートをはおったとか…
鮮やかな柄がプリントされた
シルクの長いスカーフには、
森英恵のデザインを示す文字、
三越百貨店が製作担当でした。

こちらトレーニング期間用
ユニフォームも残されています。
鉄鋼館のホステスは61名、
結団式や研修を経て
開幕を迎えました。
ヘルメットをイメージして
作られた帽子が特徴的です。
さらにホステス研修合宿が
行われ当日に備えた。

こちらホスト役の出で立ち
実物はみられませんでした。

ユニフォームのお値段、
日本のパビリオンの中でも、
鉄鋼館はダントツ
だったらしく、
ブーツ、バッグ、アクセサリー込みで
1人40万円の最高額。
日本の鉄鋼業が元気モリモリ、
70年代はそんな時代でした。

万博中の鉄鋼館

EXPO70パビリオンとなった現在

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