京の冬の旅2022 "お東さん"の日本一高い木造楼門


「お東(ひがし)さん」の入口
日本一高い木造楼門初公開!

"京の冬の旅2022"のキャッチフレーズ。
親鸞聖人御誕生850年
そして立教開宗800年慶讃法要
2023年に控える真宗大谷派の本山
一般に"東本願寺"と呼ばれますが、
正しくは「真宗本廟」と称します。

浄土真宗の門徒さんら一部を除き、
通常非公開の"御影堂門"は、
1911(明治44)に再建されたもの。
現在の伽藍は1864年(元治元)の焼失後、
幕末から昭和にかけて再興されました。

高さが26.897mを誇り、
東大寺や知恩院の門を上回り
国内最大の木造山門とされ、
近年修復を終えて美しい
外観を見せてくれています。

柱の根元が傷まないように
巻かれた柱根巻には、
あわせて32体の獅子がデザイン。

さまざまな表情をみせています。



"本願寺抱き牡丹紋"
を見上げる唐獅子…
牡丹紋を使用していのは、
近衛家と鷹司家でして、
東本願寺の寺紋の"抱き牡丹"は、
近衛家と東本願寺との
婚姻関係によるもの
とされています。
寺紋と家紋には少し違いがあって、
"東六条八藤紋"の東六条は、
東本願寺の場所のこと指し、
八藤紋をも用いるのは、
親鸞聖人が藤原氏の流れを汲む、
日野氏出身であること
かと…

いざ受付へ…
予約時間まで少しありましたが、
列が途切れたので入れて頂きました。

左右繋塀山廊が付属していて、
烏丸通に面して南側より…

急峻な階段を臨む…
「階段では撮影禁止」
ガイドさんからも
注意がありました。

外側から見るとこんな感じ…
手摺を使わずに降りるのは、
なかなか難しい角度でした。

楼上に上がるとほぼすべての扉が、
開け放たれていて…

「真宗本廟」の扁額はかなり大きく…
ところで廟とは墓所のことでして、
本廟は根本の墓所という意味です。
親鸞聖人の「はかどころ」として
その始まりは"大谷祖廟"にあるからです。
『御伝鈔』によると、親鸞聖人没後、
荼毘にふされたあと墳墓に埋葬、
1172年(文永7)に新たに御真影を
安置した仏閣に改葬されました。
この仏閣が大谷祖廟と
呼ばれるものなのです。
遅くとも1132年(元亨元)には、
「本願寺」号を名乗ったとされます。

《大谷本願寺親鸞聖人之縁起》
 第四幅より一部 瑞光寺 所蔵

南北朝内乱の兵火で、
『親鸞伝絵』の六角形の小堂は、
1336年(建武3)に焼失しますが、
二年後に方形の堂舎に改められ、
阿弥陀如来立像を本尊に安置、
本来の親鸞聖人の廟堂としての
性格が失われた一時期がありました


本願寺をあくまで廟堂であるとする
 関東門弟たちの願いは強く、
 ついに永享11(1438)年に
 御影堂と阿弥陀堂が併存する
 両堂形式の堂宇が営まれるに
 至りました。」※

御影堂、阿弥陀堂それぞれ門を開き、
親鸞聖人の教えを象徴する
 御真影を帰依拠
とし、
 その御真影の前で教えに出遇い、
 聞信するであるからこそ、
 真宗本廟を教法宣布の根本道場
 位置づけているのです。」※

楼上から南をみると京都タワー

東面していますので遠景には東山

控柱の頭貫は彫りは、
深いですがシンプルな文様。

漆黒の柱が重量感を示していました。



こちらから北側の山廊へ
降りる階段があります。

御影堂側へ

ここにも頭貫の上に台輪があり、
開け放つことができるようです。

楼上の南西よりの京都タワー

楼上内部は撮影禁止でしたが、
京の冬の旅HPの写真などをお借りし、
改めて綴りたいと思います。

※このブログは
 大谷大学学長 草野顕之さんの
 「真宗本廟とは」を参考にしました。
 所収『真宗本廟造営史
    ―本願を受け継ぐ人びと―』
 2011年 東本願寺出版部

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