京の冬の旅2022 仁和寺の天台教学への関心


《弘法大師像》室町時代

仁和寺は真言宗の寺院でありながら、
創建当初から天台僧が別当に就くなど、
天台宗との関わりが深かったのです。
北西隅に建つ"御影堂"は、
弘法大師空海の像を祀っています。

大師像は10点所蔵されていますが、
《弘法大師像》は今も
"伝法灌頂"に奉懸されるものです。
凭(もたれ)のない牀座(しょうざ)に
坐されている御姿は八祖様の形式で、
仁和寺院家の真光院に伝わったもの。
国宝に指定される《三十帖冊子》は、
東寺から一時高野山に出て、
再び東寺の秘宝として護持されましたが、
1186年(文治2)に第六世守覚が借覧、
以来 仁和寺経蔵に収められています。

《孔雀明王像》国宝
 中国・北宋時代(11-12世紀)

歴代御室が修した孔雀明王法の本尊、
孔雀に乗り来臨した三面六臂の姿は、
"極神秘なる本尊"と言われたものです。

《文殊菩薩坐像》鎌倉時代(13世紀)

聖僧として祀られた仏菩薩
代表とされる文殊菩薩ですが、
日本仏教では多くの宗派が
聖徳太子を崇めていました。

《聖徳太子像》
 鎌倉時代(13-14世紀)

多く流布された父 用明天皇
病衣平癒を祈る孝養像のうち、
意匠の要でもある柄香炉は、
茶の下地に金泥を塗り込め
墨線で輪郭が描かれ、
リアルな御姿となっています。

《悉達太子座像》
 院智作 1252年(建長4)

《悉達太子座像》は永らく、
聖徳太子として尊拝してきたとか…
美豆良の御姿が所以だと思われます。
悉達釈迦の出家前の名
日本では早くから聖徳太子の
イメージに重ねられてきていて、
仁和寺で"聖徳太子像"とされたのは、
"決して故なし"なのです。


『本要記』の「密教相応」では、
「仁和寺が大乗純熟の勝地である」と…
太子が楓野大堰に宿り、
蜂岡に仮宮を置き寺とした、
という太秦広隆寺創建の別伝を引く。
広隆寺は仁和寺の院家に列せられ、
太子信仰の繋がりが伝わります。

『本要記』顕證が江戸初期にまとめた
仁和寺の御由緒を記したものですが、
"当寺は他宗門を雑住されることなかれ"
との「他宗不雑」なる記述がみられます。
他宗とは七宗顕教のことなのですが、
真言の宗である天台の三井・山門も
制するべきであろうか。
答うるに、両者といえども雑住は
これあるべからず、

と問答形式で記されているのです。

「他宗不雑」は中世以降の山内の
雰囲気を伝えたもの逆にいえば…
平安期には少なくとも"雑住"していた
そう見ること方が自然だと思います。

大師像を祀る御影堂の建立は、
1211年(建暦元年)に供養がなった
現在の御影堂は慶長年間のもの、
蔀戸の金具なども清涼殿のもので、
弘法大師が住まう落ち着いた
仏堂の印象を与えています。

御影堂の前には御室成就山八十八ヶ所
"御山めぐり"の碑石がたちます。

"OMURO88"のスタート地点でもあり、
次はこれに挑戦しようかと…
密かに企んでおきます

弘法大師のおしえに
「心暗きときは 
  遇うところ悉く禍なり」
御室桜の咲く頃に…
今の世情に心病むことなく
前向きに生き抜いて、
ふたたび訪れたいと思います。

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