京の冬の旅2022 有楽斎の"如庵"のこと


正傅永源院の庭園には茶室"如庵"
こちらは"写し"でして、
愛知県犬山市の有楽苑移築のものが、
オリジナルです。
ちなみに"本歌"というそうです。

織田有楽斎千利休に茶道を学び、
利休十哲の一人にも数えられ、
後に自ら茶道「有楽流」を創始
利休門下ではありながら"有楽斎好み"、
利休作の侘びた草庵茶室とは
やや趣を異にしています。
本歌の茶室"如庵"には、
隠居所が付属していて、
"旧正傅院書院"がそれです。

明治維新に至るまでの二百数十年間、
正傅院所有として維持でしたが、
その後は転々と移築が繰り返される
数奇な運命をたどったのです。
1873年(明治6)寺領府引渡しに伴い、
京都市祇園町の有志らが所有者となり、
"有楽館"と名付け保存公開…
しかし維持運営が困難に陥ります。
1908年(明治41年)に全館売却、
"如庵" "書院" "露地"を買い取ったのが、
表千家11代の千宗左に師事していた
三井高棟の三井北家でして、
現在の六本木の東京今井町の
三井本邸に移築されたました。

ただ東京に移築された"如庵"、
20年間茶会が開かれず
三井の総領として全事業統括の
立場にあった三井高棟は、
茶事風流を極力控えていたから…
高棟の古希が過ぎた1928年4月、
はじめて"お披露目"されたとか。
今井町三井邸は東京大空襲で焼失
ただ"如庵"はその難を逃れています
1936年に如庵と露地が国宝指定、
神奈川県大磯の別荘"城山荘"に
移築されていた
のです。
高棟さんに先見の明があったのかも…

時は流れ敗戦、財閥解体などを経て、
大磯の城山荘は1970年に三井家の
所有から離れることになります。
その後名古屋鉄道の管理となり、
愛知県の犬山市に移築されました。
名鉄犬山ホテルは
"ホテルミュースタイル
犬山エクスペリエンス
"に衣替え、
如庵と旧正傅院書院は維持され、
2022年3月ごろより公開が再開とか。

では…京都の正傅永源院の如庵は?
扁額は細川護貞氏の揮毫でして、
旧肥後熊本藩主細川家の第17代当主
第2次近衛内閣で総理秘書官で、
細川護煕 元総理大臣の父にあたる人。

オリジナルの犬山移築のとき、
詳細な図面や記録を工事担当の
工務店は残されていたのです。
1977年竣工の三井物産の
京都嵐山寮の建設では、
如庵の写し 茶室 "長好庵"を建築。

"釜山海"という銘を持つ蹲踞
波に洗われてできた水穴の石
用いられたもので、
伝承によれば…
文禄の役の際に加藤清正が
釜山沖から持ち帰り、
秀吉が有楽斎に与えた
とか。
正傅永源院のは"写し"…

有楽斎は織田信長の実弟
信長は宣教師を優遇していたことが
知られていますが、
宣教師たちから建築技術の
アドバイスを受けたことで、
安土城が短期間で築城されたとも
言われているのです。
信長と宣教師とのやりとりには、
実弟の有楽斎が必ずいたとか。
織田有楽斎もかつてはキリシタン
家康にも仕えたのですから、
多くの記録は失われています。
洗礼名は"ジュアン"とも"ジョアン"
ジョアンという名は、
イエス12人の弟子のうち
一番若い弟子"ヨハネ"のこと。
"如庵"の不思議な空間、
三角形の板畳「鱗板(うろこいた)」
祇園衆に売渡し解体されたとき、
この謎の三角の空間から
不思議なものが出てきた
とか。
いまだ明らかとされていませんが、
キリシタンの信仰に関わるもの
だったと言われているのです。
表千家の側近である久田家あたりから、
明らかにされる日もあるかも知れません。
キリシタン大名として知られるのは、
キリシタン王国を夢見た
大友宗麟 (ドン・フランシスコ)、
バテレン追放令後も信仰を捨てず、
国外追放となった高山右近 (ジュスト)、
関ヶ原後に切腹を拒絶し斬首の
小西行長 (アウグスチノ)、
禁教令後も布教活動を続けた
浅井久政の次女 京極マリア
( )はいずれも洗礼名です。

そして…細川忠興の正室
ガラシャこと細川玉子
織田家と細川家の縁のある
正傅永源院が存在
しているのです…
最後に造った茶室に有楽斎が
あえて洗礼名を号したのは、
"生き続ける"ことを選んだ、
証なのかも知れません。

"如庵"の壁面には
古暦が張られています

暦張りの席」とも…
腰張として用いられる反古紙の
暦張紙は白色でコントラスト。
文字が書いてあるという点でも
目を引く要素として、
土壁と別要素として認識…
本能寺の変で天下人の弟から一転
そのとき武人としての野望は諦め、
茶人有楽としてひたすら
生き抜くことを目指したのは、
ジョアンとしての生き方だったかも。
剃髪して"有楽"と名乗るのは44才。
隠居して建てた如庵は71才のこと、
亡くなる4年前のこと…
"暦"に重ねていたのでしょうか。

「みわたせば 
 花ももみぢも なかりけり 
 浦のとまやの 秋の夕暮」
藤原定家の歌を心とした
武野紹鴎の茶の道は有楽斎に。

正傅永源院は紅葉も佳きとか…

※このブログはコラム「三井を読む」

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