京の冬の旅2022 有楽斎の視点の先に…


東京有楽町は織田有楽斎に由来する
織田長益こと有楽斎の屋敷が
あったためと言われていますが、
有楽斎の江戸住まいの記録はありません

正傅永源院 客殿には狩野山楽
描いた襖絵「蓮鷺図(れんろず)」、
有楽斎は左手奥に座されています。

《織田長益像》

長益の歿した翌1622年(元和7)、
養子として嫡男となっていた
孫 長好が狩野山楽に描かせたもの
建仁寺大統院の奎文慈瑄の法を嗣ぐ、
古澗慈稽が着賛を寄せています。
有楽斎は1547年(天文16)、
信長の13歳年下の弟にあたります。
武将としてのイメージは"逃げ上手"、
"処世術に長けた"などとされます。

客殿中央の間の襖を開くと、
本尊の釈迦如来がおられるとか…
特別公開の日は閉じられていました。

襖絵「蓮鷺図」は三方をぐるりと、
蓮のつぼみから満開、枯れ葉に
至るまでの過程が描かれており、
華やかながらも"人生の移ろい"、
その栄枯盛衰を感じさせます。


中央右手の襖に座されるのが、
《細川頼有像》なのです。
その前の「蓮鷺図」には"双頭蓮"
1本の茎に2つの花を咲かせることから
そうよばれるのですが、
50年から100年に1度あらわれる
という大変珍しい蓮なのだそうです。
吉兆の兆しとされ、
見ると幸せになれるなどの
言い伝えがあるのです。
60で世を閉じた頼有の存在は、
その後の細川家の興隆の兆し
ということかも知れませんね。


客殿正面右手の間には、
第79代内閣総理大臣の
細川護熙氏 揮毫の襖絵

備後守護であった細川頼有は、
門前で無涯に会い師壇の関係に…
1372年に建仁寺塔頭に列し、
以後細川家の庇護は続いたとか、
2013年に奉納されたものです。
聴雪(ちょうせつ)》には、
大文字山が雪景色で描かれています。

奥の間には《知音(ちいん)》の襖絵、
東山の夜桜が華やかさを添えています。
こちらも護熙氏の揮毫のもので、
あわせて「四季山水図」24面

奥の間には違い棚と床の間

歴史が刻まれた襖絵が収まっています。

狩野洞雲の筆による三幅対、
白衣観音を中央に、左右に竜虎
狩野洞雲こと狩野益信は、
狩野永真の娘を妻とし、
駿河台狩野家の祖された人。
書を松花堂昭乗に学び、
絵を狩野探幽に学び養子に

今回の特別公開…
襖絵が唯一開かれていたのは、
有楽斎像がおられるところ。
有楽斎が生涯を閉じたのは、
1622年1月24日のことでして、
今年が400年忌にあたるのです。

客殿前の"心"という字を表した庭園
石塔が客殿と対峙しています。
1579年(天正7)に建立された
千利休の師としても知られる
武野紹鷗の供養塔なのです。
もとは正傅院にあったもので、
有楽斎が再興したときに、
紹鷗敬愛により懇願し自坊に
この供養塔を移していたのです。


廃仏毀釈で寺領が没収され、
1916年に関西財閥の
藤田平太郎の手に渡ります。
藤田家の邸宅はその後 太閤園に…
太閤園が2021年春に所有者変更…
ある宗教団体に売却されることを機会に、
藤田家より奉納されたのです。

およそ100年ぶり しかも…
有楽斎400年忌の区切りの年、
有楽斎墓石も紹鷗の供養塔にそっくり
紹鷗に憧れていた有楽斎への思いが
通じたのだと思います。

塔は竜山石製の五重塔で高さ約6m、
初層の四方には仏像が浮き彫りに。
やや斜めに設置されたのは、
客殿に坐す有楽斎の視点の先に、
意識して設置されたものなのです。

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