京の冬の旅2022 醍醐寺 弥勒堂・奥宸殿


三宝院弥勒堂の弥勒菩薩さま。
本堂の裏に護摩壇が
あるので"護摩堂"とも呼ばれれる
三宝院 本堂の内陣は今回初めて
特別公開となっったところです。
内陣は絵葉書にて
向かって右に宗祖 弘法大師
左に開祖 理源大師の脇仏。
そして本尊の弥勒菩薩、
快慶の作とされています、
もと上醍醐覚洞院の伝来で、
後白河法皇追善のためのもの。

膝裏に朱漆銘
「願主権僧正勝賢
 建久三年八月五日始之、
 同十一月二日供養、
 巧匠安阿弥陀仏」、
明快な顔立ちと左右相称に
配された衣文を通して、
みずみずしい肉付け、
しかるべき由緒をそなえた
快慶最初期にして随一の傑作

蓮華座の下にさらにある台座、
台座の獅子が"ある展覧会"で注目を
浴びたことがあったそうです。

堂内の醍醐寺僧侶の方の解説
長く途切れないお話の一節です。
弥勒菩薩は釈迦入滅後
56億7千万何後に悟りを開き、
如来になり衆生を救う未来仏、
とてつもない遠い未来ですねと。
快慶は後に「安阿弥様」と呼ばれる
端正な阿弥陀立像の様式を確立した人
最も初期の代表作は弥勒菩薩像、
卍崩しや立涌といった規則正しい文様、
それを截金(きりかね)で施す…

間近で堪能させてもらいました。

有り難いお話が続いていましたが、
堂内の見所を回り叱られるのかと…、
「あの方はよくご存知だ!」(-_-;)
御扇子で指されて…
ガイド役さんからも深々と
お辞儀をされ恐縮ですm(_ _)m。

「酒づくし」の庭
苔と白砂だけで瓢箪徳利
などが表されています。

ここも普段は非公開エリアです。

聖天堂をすぎると…

奥宸殿の東北側の茶室"松月亭"へ。
江戸末期の作とされ、
四畳半に丸窓に躙り口、切妻柿葦。

水の中に設置された手水鉢は、
"流れ手水"なのかも知れません。

"純浄観"の下から池の流れがあり、
さすが醍醐寺と唸らせる圧巻の一景。

大玄関から戻って室内を…
"葵の間"には石田幽汀の《葵祭図》
石田幽汀という人は、
円山応挙の師として知られます。
ただ…狩野派を継承する
山本家の5代目 山本探川と同じ齢、
叙位がやや遅れていたのは、
家格が重んじらた時代を示します。

"秋草の間"《秋草図》

"勅使之間"は《竹林花鳥図》
石田幽汀作以外のこれらは、
長谷川等伯一派として名は
出て来ないのです。
座主が日常生活を営んでいた間で、
あったことに理由があるのかも?

表書院の下段の間は、
別名「揚舞台の間」。
畳をあげると能舞台になるとか…

こちら上段の間
下段の間より一段高く、
能楽や狂言を高い位置から
見下ろせるようになっています。

三宝院 奥宸殿の障壁画は、
慶安年間(1650頃)に狩野素川信政が、
息子の秀信とともに手掛けたもの。
奥宸殿周辺の杉戸絵には、
秀信は署名に12歳とあり、
若くして醍醐寺に入山した
高賢と同じ齢であったため、
署名に年齢を入れたとされています。

主室 上座の間に床棚書院、
武者隠しである帳台構を備えます。
"天下の三大名棚"の一つ
"醍醐棚"の違い棚でして、
修学院離宮の"霞棚"
桂離宮の"桂棚"とともに…

最後に"純浄観"の襖絵
平成の世に浜田泰介画伯が
描いたものです。

《春の朝》

《錦秋》



《舞》

次回は五重塔初層を綴ります。

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