京の冬の旅2022 醍醐寺 三宝院庭園


"京の冬の旅"は3/18で終了ですが、
ちょっとネタが溜まっています。
四条近くから直通市バスのルートで、
醍醐寺へ足を伸ばした2月27日のを。

地下鉄醍醐寺駅近くでバスを降り、
坂道を昇りきると…

三宝院は1115年(永久3)は、
第14世座主 勝覚僧正が創建、
醍醐寺の本坊的な存在として
歴代座主が居住する坊なのです。

三宝院庭園作庭は1598年(慶長3年)、
豊臣秀吉が"醍醐の花見"にあたり、
自ら基本設計をしたといわれ、
桃山期の華やかな雰囲気を伝えます。

総門は風格はあるものの、
寺域の規模から見て小ぶりな印象を
感じさせていました。

醍醐寺の寺紋の一つ"五七桐"
総門の左右の軒丸瓦の上にも。

醍醐寺の"五七桐"は花が"蕾"のようで、
一般的な五七桐とは少し異なります。
国宝指定の"三宝院唐門"、
"醍醐の花見"の翌年に建造で、
2010年の修復により創建当時の
黒漆塗り、金箔に戻されたもの。

こちら三宝院庭園内ゆ…
両面に菊の紋ともに金ピカ
秀吉の花見にちなんで行われるのが、
4月の第2日曜日の"豊太閤花見行列"。
唐門から練り歩くのですが…
秀吉没後に朝廷の使者を
迎えるためのものでした。


三宝院大玄関は"醍醐の花見"で造立。
醍醐寺創建は平安初期874年(貞観16)、
何度かの戦乱による伽藍の
焼失を受けていますが、
洛南である醍醐も応仁の乱は、
大きな戦火として影響を受けました。


復興は秀吉の担うところ大

塔頭 金剛輪院の建築と庭園に
大規模改修が実施され、
後に金剛輪院が"三宝院"の名を
受け継いで今に至っています。


書院内は撮影NGでしたので、
"表書院"よりお庭を愛でます。
三宝院作庭には一流庭師が参画、
小堀遠州と石組の名手
賢庭も名を連ねています。
縁側に勾欄をめぐらし、
西南隅に泉殿が造られた、
寝殿造の様式の表書院。

こちら"賀茂の三石"
賀茂川の"流れの速いさま"、
そして"川の淀み"

そして…
"川の水が割れて砕け散る"様子が
表されているとされています。

こちらは向こう岸にある"藤戸石"、
平家物語』を元とする
謡曲「藤戸」に因む"勝利石"で、
岡山県 藤戸の渡より
細川氏が京へ運んだもので、
その後 信長が1569年(永禄12)に
二条城に移したとされます。
綾錦の布で包み花を飾り、
音曲を奏でつつ大綱で引く…
信長みずからが指揮をとり、
石を運んだとき、
信長が亡後に聚楽第へ。
"醍醐の花見"には、
三宝院へと移されていたようです。

庭の中心に位置していて、
阿弥陀三尊を表しています
桃山期の庭の特色を示す
景観の中心に守護石となる石、
ちなみに80代の座主が記した
義演准后日記』では
"主人石"と呼んでいます。

池には亀島鶴島
五葉松も天下の名木で、
亀の"静寂"と"躍動感"の鶴

醍醐寺といえば桜ですが…
三宝院庭園は秋の風情が佳きと
言われています。
"三段の滝"は深山の趣を加え、
滝山を高く滝の音が、
庭園を引き立てているとか。

庭の南東には躙口ではなく、
"貴人口"を持つ茶室"枕流亭"。

新緑のころも艶やかだとか…
奥に建つのが"純浄観"でして、
太閤秀吉が槍山で
花見をしたときの建物が
移築されているものです。



次回は絵葉書などをもとに…
三宝院の表書院、純浄観、
特別拝観の目玉でもある、
快慶作の弥勒菩薩を祀る
"護摩堂"を綴りたいと思います。

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