京祈りの地をあるく 臨済宗相国寺派・東山慈照寺
インスタに
「銀閣寺きらきら」とアップ、
「どこがキラキラしてるねん」と
旧友からツッコミが入った。
「きらめく」というコトバは、
今昔物語には
「道の程、従者 (とものもの)
多く仕はれて、
きらめ・くも理なり」と、
着聞集にあるのは
「風炉たきなどして
きらめ・きたりけり」は、
盛んにもてなす。の意。
室町幕府 八代将軍の
足利義政によって造営の
山荘東山殿を起源…
義政没後、臨済宗の寺院となり
慈照寺と名付けれたのは、
義政の法号 慈照院に因むもの。
《滑稽都名所 銀閣寺》芳梅
銀閣寺と称せられること
になったのは江戸時代、
金閣寺に対峙しての名は、
後世のものなのです。
市バスもガラガラ…
銀閣寺橋をこんな風に、
人影なくカメラに収まる。
こんな風景が訪れるとは…
誰もが予想だにしなかった事。
銀閣寺垣にもディスタンスサイン、
でも前の人に追いつけない(T_T)
人影まばらな向月台の前、
いきなり登場のこのフォルムに、
「でっかいプリン!
胡麻プリンかな?」
って若い女性の声が響いた。
この砂盛りは月待山に上る月を
愛でるのに作られたという説…
月の光を反射させて
本堂を照らす役割がある…
ただ義政の時代には、
存在してなかったとか。
義満のころは羽振りが良かったが、
義政はお金がなかったから、
銀を貼ることができなかった…
実しやかに語られた俗説デス。
九歳にして家督、そして十五歳で
将軍職を継いだ足利義政。
簡素枯淡の美を映そうとした
義政が培った東山文化こそが、
日本の美意識として、
現代にも脈々と継がれたと。
《都百景 銀閣雪之曙》歌川芳豊
江戸期の銀閣寺は
雪景色で描かれているものが、
多いようです。
雪化粧は金閣寺よりも
銀閣寺は "雪映え"するのです。
銀沙灘の灘は中国の西湖を
表しているとされていて、
向月台ともにに京都特産の
「白川砂」により象ちづかれる。
光りの反射率が高いので、
向月台と銀沙灘は、
大掛かりな間接照明装置、
そう解説される人もおられます。
鳳凰をいただく屋根。
銀閣とよばれる建物は観音殿、
観音菩薩さまを守っているのです。
金閣寺と同じように後ろ姿を…
キラキラしているのは金閣寺😁
もさを。が歌う
「♫きらきら」という歌を
知っていますか…
「♪きらきらと 眩しいあなたに
心奪われてしまいそう
惹かれていく あたしバカね
光るあなたは宝石のよう」
「♫きらきらと 煌くあなたに」…
「♪照らす太陽みたいな笑顔」
銀閣寺垣にも戻りますように。