京都十六社めぐり 粟田神社
京の七口のひとつ粟田口、
ただ残り6つは時代によって
変化しています。
秀吉の御土居築造の際には、
東寺口、丹波口、清蔵口、
鞍馬口、大原口、荒神口。
江戸時代には、東寺口、五条橋口、
四条大宮口、竹田口、三条橋口、
大原口、清蔵口とされ、
粟田口は含まれず…
粟田神社は東山道・東海道に面し、
都を離れるという気持ちからか、
旅の安全を祈り、
無事に都へ戻れたと感謝しお参り。
いつしか旅の神様として、
知られることとなったそうです。
鳥居には「感神院新宮」の扁額、
平安時代の876年(貞観18)、
兵災あり疫病流行で、
時の清和天皇は藤原興世を
勅使として「感神院祇園社」、
今の八坂神社で祈願したそうです。
「我は大己貴神なり。
祇園の東北に清き処あり。
其の地は昔、
牛頭天王に縁ある地である。
其処に我を祀れ。」と…
御祭神は主座に素戔嗚尊、大己貴命、
左座に八大王子命、
だといわれています。
剣先は真鍮の鋼で造られています。
室町時代には祇園会が
行われなかったときは、
粟田祭をもって"御霊会"
としたと伝えられます。
神紋は八坂さんと同じ…
孝昭天皇の流れを組む、
粟田氏の氏神として
創建された社とも伝わります。
室町時代には祇園会が
行われなかったときは、
粟田祭をもって"御霊会"
としたと伝えられます。
神紋は八坂さんと同じ…
孝昭天皇の流れを組む、
粟田氏の氏神として
創建された社とも伝わります。
境内の白梅は咲き始め…