丹下健三の足跡を追う② 焼け野原に都市を再生する


〈香川県庁舎〉を見つめる丹下健三

丹下健三の歩みは
そのまま
戦後日本の都市と建築の歩み
でもあるとも言えます。
米軍の空襲によって焼け野原…
首都東京に限らず軍都であった地方でも、
都市機能を失っていました。

〈香川県庁舎〉断面図(1955年)。

屋上も解放され、
周囲に大きな建物がなかったころは
瀬戸内海が一望できたそうです。

丹下健三が手がかけた香川県庁舎は、
いまなお現役です。
当時の香川県知事は金子正則氏、
「戦後、民主主義の時代に
 相応しい県庁舎を建てたい!」

という理念をもっておられた方。

香川県高松市生まれの
画家・猪熊弦一郎さんに、
金子知事は出張で上京した時に会い、
建築家・丹下健三氏を推薦されたそうです。
庁舎1階ロビーには、
猪熊氏による壁画が残されているとか。

この建物は誰の設計か丹下の登場までは、
知られることは多くはありませんでした。
ただ丹下は自作も含め、
建物とともに写真を撮っていたそうで、
みえる建築家の誕生でもありました。

打放しのコンクリートでできた柱、
その上に渡された梁が、
日本の伝統的な木造建築を
イメージさせています。
型枠に杉材を使用することにより柱、
梁のコンクリートには
美しい木目模様が写しだしているのです。
バルコニーは室内調光のための
工夫でもあるのです。
美しさと機能性が同居しています。

〈香川県庁舎 模型〉
 香川県立ミュージアム蔵


〈旧東京東京都庁舎 東西断面図〉
 岡本太郎記念館 蔵

東京都庁のコンペ、丹下は1等
コンペ当時、丹下は労働者や学生が
都市のコアへ集中することで
引き起こされる人口過密について、
肯定的であったようです。
ただ戦後復興という時代に、
都市のコアを目指す人々の動機
豊かさの実現でもあり、
就業の機会を得ようとする行為は、
欠かせない都市現象で必須でした。

〈旧東京東京都庁舎 透視図〉

ピロティ形式のエントランスホール
来訪者を瞬時にエレベーターで各階へ、
ただ現実の旧東京都庁舎は高さ31m
1・2階を吹き抜けとしたたため、
各階の階高が低く抑えられたようです。
都庁機能の膨張により収容人数以上の
都庁職員が勤務するなど、
竣工まもなくて多くの問題が生じ…
その後 新宿新都庁への
超高層に転じるのは、
避けられなかったかも知れませんね。

〈旧東京東京都庁舎〉


〈旧東京東京都庁舎〉

※このブログは「うどん県旅ねっと」
 「香川県庁東館」特集を参考にしました。

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