豊橋 近代化遺産をぶらり〜豊橋ハリストス正教会
豊橋市への訪問は、
みちすがらだったので
“ぶらり”のあとひとつ…
「豊橋ハリストス正教会」。
正しくは
「豊橋ハリストス正教会
聖使徒福音者馬太(マトフェイ)聖堂」。
ロシア正教会の信者が
増えていたこともあって、
1913年(大正2)に新築されました。
ただ建築には、
苦難の歴史がありました。
というのも、
日露戦争をきっかけとして、
ロシアへの敵意が高まった頃、
1905年の日露戦争終結から、
10年の歳月を要しました。
「マトフェイ」とは
マタイのことですが、
初代神父であるマトフェイ影田の
叙聖35周年の記念聖堂です。
木造平屋建てで玄関上部に
八角形平面の鐘塔が立っています。
正面入口は西向き、
玄関を入ると、
啓蒙所、聖所、至聖所が
続いているとか…
至聖所は聖遺物を安置する場所、
聖所と至聖所を区切る壁が
聖障(せいしょう)。
京都ハリストス正教会と同じく、
イコノスタスが残されています。
内部写真は豊橋市のHPより
外壁は下見板張りで白ペンキ塗り。
屋根は、現在は銅板葺ですが、
竣工時はブリキ葺だったとか。
建物の設計は、当時、
東京・ニコライ堂の副補祭を
務めていた河村伊蔵 ※という人。
松室重光が設計した
京都ハリストス正教会聖堂は
手本としたそうですから、
似ているのは至極当然のこと。
大工たちを連れて、何度も
見に行ったと言われています。
松山聖堂、大阪聖堂、
修善寺聖堂に続いて、
豊橋聖堂を設計したそうです。
「豊橋ハリストス正教会」
竣工年:1913年(大正2)
設計 :河村伊蔵
構造 :木造、一階建、
正面八角鐘楼付、銅板葺、聖障付
【国 重要文化財】
※モイセイ河村伊蔵(1860年 - 1940年)
明治・大正期の建築設計家であり、正教会の神品(聖職者)。
明治・大正期の建築設計家であり、正教会の神品(聖職者)。
主に日本正教会の聖堂の設計及び建築を行った。
「モイセイ」は聖名。1860年愛知県南知多に生まれる。
1883年内海正教会で洗礼を受けた後、
神田駿河台の正教会の神学校で学んだ後、
副輔祭として聖堂の庶務に就き、
のち、各地の聖堂の建築にあたるようになる。