七面さんのおられる宝塔寺へ


立ち寄った深草山と号する
日蓮宗寺院の宝塔寺へ。

境内の広さは約1万坪あり、
多くの塔頭寺院が並びます。
観光寺院ではないようで、
ひっそりとしていました。
京阪 深草駅前にも
七面大天女」の
碑石がありました。
総門は、四脚門(しきゃくもん)
門柱の前後に控柱が2本ずつ、
格式の高い門の設えです。
朱塗りの仁王門は、
宝永8年(1711)の再興。
日蓮の御紋 井げたに橘
赤い大提灯が下がります
日蓮宗の中で京都最古の本堂。
御本尊である釈迦如来とともに、
日像上人像日蓮上人像
祀られているそうですが…
堂宇には入れず。

あの大坂の陣のキッカケ
「国家安泰、君臣豊楽」の鐘銘、
方広寺 大仏殿の余材を寄進されて、
慶長13年(1608)に建立とか。
そして右手に多宝塔。
一層目は行基葺き
二層目は本瓦葺きという形式。
行基葺の瓦は
丸瓦の片方が細くなっている
末広がりのものを使ったとか。
室町時代に建立された
京都市内に現存最古の多宝塔は、
応仁の乱をくぐり抜けた塔。
太鼓楼をくぐって
寺の背後の「七面山」へ

長い石段を登り…

なかほどの鳥居のそばに
日蓮さんがおられました。

宝塔寺は藤原基経 創建の
真言宗の極楽寺が前身。
住持である良桂(りょうけい)
日蓮宗の日像(にちぞう)が、
三日三晩論じ合って、
良桂が日像に帰依したことで
日蓮宗のお寺となったとか…

宗祖である日蓮聖人より
帝都弘通(ていとぐづう) ※
という遺命を受けた
日像上人の影響により、
真言宗 極楽寺の大伽藍が、
一朝のうちに日蓮宗の道場
なったという話です。

経一丸(きょういちまる)さまと
書かれた銅像…
西を向かれて拝礼する姿。

経一丸とは日像の幼名で、
日像上人廟が杉木立に立ちます。



日像上人は康永元年(1342)に
妙顕寺というところでで
亡くなりますが、
荼毘に付されたのは極楽寺。

ほどなく七面宮へ。
寛文6年(1666)に勧請された
七面大明神(七面天女)
祀られています。

七面大明神とは、
釈尊の化身で身延山の鬼門を
封じて山を守るべく、
七面山の頂上に姿を著した
吉祥天のことで、
岩に座り右手に鍵、
左手に宝珠を持つ姿だとか…
正月三が日には
お会い出来るそうです。

さらに奥山に熊鷹大明神



清麿姫大神とか…

「宝塔寺」の寺名の由来は、
日像上人没後に、
京都に通じる七つの街道の
入り口に建てた法華題目の
石塔婆の一つが当寺の
日像廟所に奉られたため、
といわれています。

※帝都弘通とは
日蓮聖人が入滅したころは、弟子・信徒を合わせても数百人、
東国数ヵ国に散在していて、日蓮聖人の教団は微々たる
地方教団にすぎなかったそうです。
日蓮聖人の教えを全国に弘めるためには、
天皇のおわす文化の中心地の京都への布教が必要だった。
そのことに勲功があったのが日像上人だったとされる。
日像は臨終間際の日蓮から帝都弘通(京都の布教)、
宗義天奏(天皇への布教)を遺命されたといわれます。

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