京都のトク旅 2016〜誓願寺
総本山・誓願寺。
創建は飛鳥時代まで遡り、
法然上人、西山国師、
立信上人と続く浄土門の聖地に。
街の中にある暮らしに密着した
信仰の場 念仏道場として、
愛され続けている場所。
創建は飛鳥時代まで遡り、
法然上人、西山国師、
立信上人と続く浄土門の聖地に。
街の中にある暮らしに密着した
信仰の場 念仏道場として、
愛され続けている場所。
第三幅が江戸時代の絵師
海北友雪※ (かいほうゆうせつ)
の作と伝えられています。
今年になって
第一幅の明治時代の
写しが発見されたとか…
見つかったのは本堂下の
地下倉庫というのが
ちょっとオドロキです。
第一幅の模本の、
醍醐天皇や恵心僧都源信、
清少納言、和泉式部らの、
顔の表情などがクッキリと。
ふだんは京都国立博物館に
寄託されているので、
21年ぶりに三幅そろっての、
お寺での展示となったのです。
近くには和泉式部ゆかりの
お寺 誠心院があります。
藤原道長が和泉式部のために、
御所東側に一庵を起こし…。
天正年間(1573~91)に
この地に移されたのだそうです。
この地に移されたのだそうです。
ココにも顔出し(・ω・)v
本殿前の装飾彫刻に
虎と笹ハッケン!
手挟の彫刻もナカナカです。
(新京極通り六角下る)
※海北友雪とは?
※海北友雪とは?
江戸初期の海北派の画家。京都生。
父は画家海北友松。名は道暉(道輝)、通称は忠左衛門。
画を父友松、のち狩野探幽に学ぶ。
春日局によって徳川家光の推挙を受け海北家を再興した。
狩野派や大和絵の影響を受けた装飾的画風の
海北派を樹立し、晩年は禁裏諸建築の
障壁画制作にも関与した。延宝5年(1677)歿。