倉敷で遊びょーる⑥ 倉敷館
倉敷美観地区には
朝早くに着いたので、
2 階は櫛形ペディメントとし、
1・2 階の窓間には
スティックワークが
雨が降っている前にパチリと…
もともとは「倉敷町役場」。
いまは「倉敷館」として、
美観地区の観光案内所になってます。
無料休憩所として内部公開中。
隅部角塔のドーム
白壁の町並みの中にあって、
異彩を放っていました。
木造2階建の下見板貼り。
江戸時代の庄屋 植田氏の
もともとは「倉敷町役場」。
いまは「倉敷館」として、
美観地区の観光案内所になってます。
無料休憩所として内部公開中。
隅部角塔のドーム
白壁の町並みの中にあって、
異彩を放っていました。
木造2階建の下見板貼り。
江戸時代の庄屋 植田氏の
屋敷地だったそうで、
村会所だったことに発します。
明治以降はそのまま村役場、
現在の木造洋風建築は
1917年(大正5)竣工です。
町役場として建てられましたが、
小さな建物は程なく手狭となって、
1928年(昭和3)に新庁舎へ移転。
竣工後わずかでその使命を
終えてしまった後は、
様々な公共施設とされますが、
最終的には
村会所だったことに発します。
明治以降はそのまま村役場、
現在の木造洋風建築は
1917年(大正5)竣工です。
町役場として建てられましたが、
小さな建物は程なく手狭となって、
1928年(昭和3)に新庁舎へ移転。
竣工後わずかでその使命を
終えてしまった後は、
様々な公共施設とされますが、
最終的には
解体修理が施されました。
ペディメント屋根。
裏口の設えもリッパです。
設計は不詳とされていますが、
おそらく岡山県内で公共建物を
手掛けた江川三郎八※ではないかと…
窓上部は、1 階がペディメント、ペディメント屋根。
裏口の設えもリッパです。
設計は不詳とされていますが、
おそらく岡山県内で公共建物を
手掛けた江川三郎八※ではないかと…
2 階は櫛形ペディメントとし、
1・2 階の窓間には
スティックワークが
施されています。
※江川三郎八(1860-1939)
日本の建築技師。岡山県庁在勤当時、
国重要文化財の旧遷喬尋常小学校校舎や
閑谷学校資料館などを手がけた。
“江川式建築”とされる木造大型施設は高く評価され、
国重要文化財として保管されている施設も多い。
似通った部分も多いから、
おそらく彼の設計かと。
※江川三郎八(1860-1939)
日本の建築技師。岡山県庁在勤当時、
国重要文化財の旧遷喬尋常小学校校舎や
閑谷学校資料館などを手がけた。
“江川式建築”とされる木造大型施設は高く評価され、
国重要文化財として保管されている施設も多い。
※このブログは以下の論文を参考にしています。
「江川三郎八と岡山県の江川建築」小西伸彦
吉備国際大学研究紀要 第24号,2014年