いざ江之子島政府へ③ 島であったころ
大阪府西大阪治水事務所が運営の
「津波・高潮ステーション」には、
大阪市浪速区の大正橋のたもと、
「大地震両川口津浪記」の
レプリカが置かれています。
安政南海地震の翌年1855年に
建てられたもので、
148年前の宝永南海地震の
教訓を活かせずに多くの犠牲を
出した悔しさとともに、
教訓を活かすよう願ったものです。
高波を模した高潮被害トンネル…
高潮災害に見舞われた場所でも
あったのです。
高潮防災施設 安治川水門の
模型もありました。
閉鎖には主水門だけで
およそ30分かかるそうで、
すべての作業には約1時間。
場所にあったもの。
「鼠島」の由来には諸説あり、
コレラの避病院があったとか、
カタチがネズミに似ている、
とも言われています。
かつては多くの橋が、
島に架けられていました。
「ざこばばし」とあります。
[浪花百景 雑喉場 芳瀧(よしたき)画]
天満の青物、堂島の米と並んで、
魚を商う市があったのが雑喉場。
安土町・備後町辺りにあったのを、
夏場には魚が腐ることで、
ここに移ってきたそうです。
照明灯がついた雑喉場橋、
実は塩昆布で有名な老舗
「神宗(かんそう)」さんの本店にも、
そのレプリカが置かれています。
「材料を選ぶ目や食材を活かす技を
磨いた雑喉場での時間を
忘れることのないように」
との想いの表れ。
こちらは「江之子島橋」の橋柱。
[浪花百景之内 木津川口甚兵衛の小家」
長谷川小信 画]
[大坂名所 木津川及大坂府庁 1891年]
※このブログは月刊中之島 Vol.47(2012年6月)
『大阪の「ウェストゲート」を旅する。』
を参考にしています。
天満の青物、堂島の米と並んで、
魚を商う市があったのが雑喉場。
安土町・備後町辺りにあったのを、
夏場には魚が腐ることで、
ここに移ってきたそうです。
照明灯がついた雑喉場橋、
実は塩昆布で有名な老舗
「神宗(かんそう)」さんの本店にも、
そのレプリカが置かれています。
「材料を選ぶ目や食材を活かす技を
磨いた雑喉場での時間を
忘れることのないように」
との想いの表れ。
こちらは「江之子島橋」の橋柱。
[浪花百景之内 木津川口甚兵衛の小家」
長谷川小信 画]
こんな漁村風景も時代とともに、
役割を変えていったのです。
[大坂名所 木津川及大坂府庁 1891年]
※このブログは月刊中之島 Vol.47(2012年6月)
『大阪の「ウェストゲート」を旅する。』
を参考にしています。