絵にみる和食通⑩ 月より団子そして兎
「秋 無款」玉川舟調 画
(東京・リッカー美術館)
陰暦8月15日の月は古来、
仲秋の名月とされ、
江戸時代の庶民は、この日、
三方にすすき・御神酒・団子・山芋を供えて、
お供えの団子と山芋を食べる習わしがあり、
これを芋名月といったそうであります。
たすきがけで手拭を姉様被りにした母親が
月見団子をまるめており、
芥子坊(けしぼう)の女の子が団子にする餅を
取ろうと手を伸ばしています。
十五夜の行事は、
中国の「仲秋節」がルーツのようでして、
平安時代に入って、
宮廷に取り入れられたのが始まりです。
当時の宴は音曲だけで、
まだお供えはなかったようです。
「団子を持つ笠森おせん」鈴木春信 画
(個人蔵)
今のアイドルグッズの走りのようなものです。
江戸の陰暦では8月15日が「仲秋の名月」
旧暦=太陰太陽暦は、
月の満ち欠けをもとにしているで
毎月1日は新月15日は満月だったそうです。
江戸の人たちは月の満ち欠けで、
日にちを知ることができたというわけ。
どこか今より便利なような気もします。
「道外十二支/卯のだんごや」歌川国芳 画
ところで月と兎。
わらべうた『うさぎ』にも、
十五夜のお月様を見てはねる「うさぎ」。
月と兎は、仏教説話集のジャータカ(jātaka)に、
中国の「仲秋節」がルーツのようでして、
平安時代に入って、
宮廷に取り入れられたのが始まりです。
当時の宴は音曲だけで、
まだお供えはなかったようです。
「団子を持つ笠森おせん」鈴木春信 画
(個人蔵)
お団子などを供えるようになったのは、
江戸時代も後期になってからなのだそうです。
いまもそうですが、
江戸の団子は丸くて、
関西では小芋形(涙形)になったのもその頃から。
江戸時代も後期になってからなのだそうです。
いまもそうですが、
江戸の団子は丸くて、
関西では小芋形(涙形)になったのもその頃から。
「笠森おせん」は”明和の三美人”の一人、
錦絵、手ぬぐい、双六といた、
”おせんグッズ”がたくさんつくられていたとか。今のアイドルグッズの走りのようなものです。
江戸の陰暦では8月15日が「仲秋の名月」
旧暦=太陰太陽暦は、
月の満ち欠けをもとにしているで
毎月1日は新月15日は満月だったそうです。
江戸の人たちは月の満ち欠けで、
日にちを知ることができたというわけ。
どこか今より便利なような気もします。
「道外十二支/卯のだんごや」歌川国芳 画
ところで月と兎。
わらべうた『うさぎ』にも、
十五夜のお月様を見てはねる「うさぎ」。
月と兎は、仏教説話集のジャータカ(jātaka)に、
『ササジャータカ』という説話が残されてるとか。
月と兎の関係はここにルーツが辿れるそうです。
「むかしむかし、
インドにサルとキツネとウサギが仲良く暮らしていた。
ある日三匹は、やつれて倒れている老人に出逢った。
三匹は老人を助けようと考え、
サルは得意の木登りで木の実や果物を集め、
キツネは素早い駆け足で川から魚を獲り、
老人の所へ運んできた。
ところがウサギだけは、
どんなに苦労しても何も採ってくることができなかった。
何とか老人を助けたいと考えたウサギは、
サルとキツネに火を焚いてもらうと、
「わたしは何も持ってくることができません。
せめて私の肉を召し上がってください。」と言い残し、
火の中へ飛び込んだ。
倒れていた老人は、実は帝釈天であった。
倒れていた老人は、実は帝釈天であった。
ウサギの捨て身の慈悲行に感心した帝釈天は、
ウサギを月へと昇らせ、永遠にその姿をとどめさせた。
月に見えるウサギの姿の周囲に煙状の影が見えるのは、
兎って一途なんですね(・ω・)v
おそらくはじめて描かれた
ウサギの絵の日本で最初は、
中宮寺に伝わる
中宮寺に伝わる