楊貴妃に拝顔す〜泉涌寺
雨の京都の遠足のイチバンの目的は
「御寺 泉涌寺」を尋ねること。
もとは弘法大師が草庵を結んだ「法輪寺」、
のちに宋の法式を取り入れて
大伽藍が造営がされたとき、
寺地一角より清水が涌き出たことにより
「泉涌寺」と改められたと...
ただ「応仁の乱」でほとんど焼失したという、
京都の人の「戦後は応仁の乱後」とは、
かなりの京都通を買いかぶる言い方だけど...
大門から参道を下って正面の仏殿は、
徳川家綱によって再建されたもの。
切妻式の浴室には
寺名の起源となった名泉より、
寺名の起源となった名泉より、
今も用いられるのだという。
1882年に霊明殿炎上してしまったのだが、
京都御所内にあった皇后宮の御里御殿が
ここに移ってきています。
1818年(文化15)の造営されたもの。
御座所の東南から御殿の南側の
「御座所庭園」へ。
「月輪陵」(つきのわみさぎ)。
手に持っている花は
四条天皇をはじめ
後水尾天皇から仁孝天皇までの25陵、
5灰塚、9墓が営まれている。
お祀りされているのだという。
で...
お目当ての楊貴妃さまへ...
唐に渡った湛海(たんかい)という僧が、
像を避難させるように頼まれたことで…
この地にあるそうなんです。
お堂で頂いたお写真...手に持っている花は
極楽浄土にしか咲かないという
「法相華(ほうそうげ)」。
髭のようにも見えるんだけども、
髭のようにも見えるんだけども、
慈悲を説く口の動きを表しているのです。
1964年まではなんと100年に一度の
1964年まではなんと100年に一度の
御開帳という秘仏だったのだそうです。
イマはいつでも逢えますよん(・ω・)v